第164話 赤ん坊、納得する

「はあ」と、父は大きく重たげに頷いた。


「理解しました」

「そうか」

「それにしても――当然の疑問と思いますが、一歳児の叙爵など前代未聞、真面目に受け入れられるものでしょうか」

「それだがな」宰相は、軽く肩をすくめる。「叙爵はともかく、一歳児が爵位を継承したという前例なら、ある」


 ああ、と納得する。

 つまりは当主の死亡時、跡取り候補が赤子しかいなかったというケースだろう。

 家の存続のために、とりあえず形式だけでも赤子に継承させる。当然、親戚などの後見人がつくことになるはずだ。


「一歳児が爵位を持つことは、可能なのだ。叙爵が不可能と言うことはできぬ」

「はあ」

「調べてみると」と、王太子がやや表情を緩めて口を入れた。「他国、ダルムシュタットでは数十年前、赤子が爵位を継承直後に陞爵された、という実例があった。つまりは爵位持ちの父親が戦争で多大な功績を挙げて戦死、血縁が乳飲み子しかいなかったので直ちに継承、その後に父の功績が加味されたということのようだな」


 これもまあ、納得できる。

 父親が陞爵した後に子どもに継承、というのが本来あるべき姿なのだろうが、諸々のタイミング的に事情が許さなかったということか。

 まあそれにしても、と一同同感で顔を見合わせ。代表して宰相が苦笑した。


「本人の功績で一歳児が叙爵など、前代未聞と言うより、空前絶後だろうがな」

「でしょうね」

「とにかく爵位持ち赤子の前例があるのだから、ためらう理由はない。ルートルフの身の安全と、功績に報いる広報の意味だけを見てもな」

「はあ」


 宰相の言葉に、父はまだ機械的な相鎚だけを続けている。

 頷きながら、王太子もそれに続けた。


「その他にも、いろいろ利点はある。まだわずか三ヶ月ほど前に過ぎないのか、ルートルフの王宮勤めを決めた際に、このような役職を成人前の者に任せた例は王族しかいないので、同等扱いとするとしたが」

「そうでした」

「正確には、王族でなくとも貴族当主ならあるんだ、前例が。まあ十四歳とかそれぐらいらしいが」

「そうなのですか」

「現実には、成人前の王族より貴族当主の方が希少なので、当時は検討の俎上にも上がらなかったのだが。あの時点では、ルートルフの叙爵など理由もつけられないし、王族扱いをでっち上げる方がはるかに容易だったわけで」

「ああ」

「これからはルートルフの立場もはっきりして、大威張りで仕事を任せられることになる」

「よろこんでいいのかな、それ」

「本人はいざ知らず、私としてはかなり気が楽になるな」

「わあ」

「その辺はさておき、様々な面でやりやすくなるのではないか。たとえば例の商会も、ルートルフ名義にしても公に無理はなくなるだろう」

「ああ」


 うーん、と唸り。いろいろメリット、デメリットに思いを馳せる。

 とにかくもう拒否はできない決定のようなので、その上で今後を考えなければならない。

 頷きながら、宰相は少し背を起こして父に目を向けた。


「そういうことだからな。ルートルフの男爵叙爵は事実上明日より発効。しかしまだ此度こたびの戦にまつわるものも落ち着かぬし、これから冬前にかけては各領主も収穫時期などで忙しくなる。正式な叙爵の式典などは貴族が王都に集まりやすい来春でよかろう。ベルシュマンはそれまでにルートルフの身辺を整えてやることだ」

「は。承知しました」


 納得して、父は頷いている。

 宰相の言う通り王都に貴族が滞在するのは、貴族学院が終わり子女の成人の儀が行われる三の月から四の月頃と、各地で畑の準備などが落ち着き建国記念祭が開催される五の月末から七の月初め辺りが多いらしい。

 成人の儀だけでなく婚礼なども、たいていこの期間に集中する。

 その時期まで、一冬かけていろいろな体裁を整えておけ、という宰相の指示だ。


「細かくはこれから、父親も交えていろいろ詰めていくことになろうがな。爵領を持つか法衣貴族として王宮勤務に手当をつけるのみにするかも要相談だが、領地としては旧クーベリック伯爵領の一部が候補に上がっている。また、王都に屋敷を持たなければ格好がつかぬからな。王室からの祝いとして、今商会に貸与している元ディミタル男爵邸の土地を譲渡する方針だ」

「それは――何ともいろいろご配慮頂き……」


 またしても、宰相や王太子の辺りですでに話は詰められているようだ。

 ほとんど外堀を埋められたという状態で、こちら父子からは反駁の余裕もなくなっている。

 それにしてもなあ、とほとんど現実逃避の心境で思ってしまう。


――本人の功績で、とは言うけど。


 ほぼほぼ、実感がない、のだ。

 紙と印刷の開発、戦闘を大勝利に結びつけた功績――。

 何一つ、自分の手を動かしていない。

 紙の作り方も版木の彫り方も、横から見て指示していただけ。

 戦闘の指示など、騎士団長が書面を書く傍で口を出していただけ、だ。自分では文字一つ書いていない。

 指示するだけというのは貴族としてあり得ない姿ではないだろうが、文書ひとつさえ書いていないというのは、そうそうないのではないだろうか。

 これで叙爵して、実態が知れ渡ったら――。


――「口だけ男爵」なんていう異名を頂戴してしまうかもしれない。


 そんな馬鹿なことを考えている間に、宰相と父でいくつか確認を交わし、この場は解散となった。

 宰相室での機密性の高い懇談には文官も護衛も入室できないので、外に待たせていたウィクトルに赤ん坊車を押させて廊下を戻る。

 執務室でこの件を告げると。

 ヴァルターとナディーネは、ぽかんと口を開けて固まってしまっていた。


「ルートルフ様が――」

「男爵様――?」

「そういうことに、なった」


 あっさり告知すると、ややしばらくの呆然態の後、文官はゆるゆると首を振った。


「いえ、ルートルフ様の功績として、不思議はないわけですが。それにしても、急な話で。まだ他国とのごたごたも落ち着かないこの時期に」

「まあ、だからこそ、らしい」


 宰相と王太子が並べた理由等々を簡略に伝えると、一同納得して頷いていた。

 中でもやはり、文官のヴァルターは理解が早いようだ。


「なるほど。確かにルートルフ様の安全ということを考えると、納得されますね」

「らいはるまでにいろいろつめていくけど、とうめんはせいかつもしごとも、ひょうめんじょうかわらない。みんなにはめんどうかけるけど、よろしく」

「はい、畏りました」


 侍女と護衛は現在王宮所属だが、僕個人の雇用に移行できたら、と希望している。本人たちの希望も確認して、来春の時点で決定することになる。

 まあ、テティスに関しては意思確認の必要もなさそうだが。侍女たちについては本人の意思だけでなく、家族との確認の時間をとるべきだろう。

 ヴァルターは執務室づきの文官ということで、ほぼ立ち位置は変わらない。

 この他には、屋敷と領地を持つことになったら、それぞれを管理する用人を雇うことになるだろう。その辺が当分の、悩みの種だ。

 それにしても当面生活の場は変わらないので、ゆっくり考える余地はある。

 貴族当主が後宮に住まうというのもあり得ない話だが、これは特例として当分継続することにした。前例踏襲主義の王宮では異例の判断だが、まあ悪例として将来に影響を及ぼすこともないだろう、という国王の決定だ。

 簡単に言えば、未成年の貴族子弟を無闇に王宮の執務で厚遇する前例を作った場合、将来有力貴族がごり押しを始めたら収拾がつかなくなる恐れがある。しかし一方、未成年貴族当主を後宮に住まわすなど、今回の特例以外認められようもないし、検討の俎上に上がることも考えられない。そういうことだ。

 それでも今回の決定は特例中の特例と明記して記録に残す、と宰相が厳しい表情で断じていた。

 とにかくもそういうことで、見た目あまり変化なく僕の生活は続けられることになる。



    ***


 突然で申し訳ありませんが、本作はあと数回で完結とさせていただく予定です。

 これまで拙作をお読みくださった皆様、ありがとうございます。

 最後まで楽しんでいただければ、幸いです。

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