第162話 赤ん坊、巧む

 執務室に入ると、終業の片づけをしていたヴァルターに驚嘆された。この日は商会の小屋から直帰すると告げてあったのだ。

 報せを聞いて、すぐに父が駆けつけてきた。


「ルートルフ、大事ないか!」

「ん、だいじょぶ。ごえいたち、がんばってくれた」

「そうか――」


 慌ただしく抱き上げられ、ぎゅうと締めつけられる。

 そうしている間に、王太子も飛び込んできた。


「またもルートルフが襲われただと?」

「ん」

「急ぎ報告を受けたところだと、どうもダンスクの者らしいと。まだ姑息な狙いを諦めぬのか、かの国は」

「いままでいじょうに、よゆうない、かんじした」

「余裕がない、と?」

「ん」


 前の例のように陽動で気を逸らすとか、護りが手薄なところを狙うとか、十分計画されたようでない。とにかく数を頼んで乱暴にけりをつけようとした、という感覚だ。

 そう話すと、テティスとウィクトルも同感と頷いている。


「なるほど。王都警備隊の捜査でも、近くに逃走用の馬車などが用意されていた形跡もなかったらしいしな。貴族街の中で不審に思われないよう、あらかじめ人数を分けて潜ませていたというのが想像される程度だ」

「ん。しほうにわかれてた」

「捕らえたうちの二人が、そこそこ大きなズタ袋を懐に入れていたという。ルートルフをそれに入れて運び去ろうとしていたのかもしれない」

「ふうん」

「何とも乱暴な話ですが、狙いはルートルフの命ではなかったということでしょうか」


 不安そうに、父が問いかける。

 唸りながら、王太子は軽く首を捻った。


「まだ証言はとれていないので、何とも言えないが。しかしかの国の指示だとすると、今ルートルフの命を奪う理由は考えられないと思う。荷車や紙の開発に関係しているという情報は掴んでいても、先般の戦闘結果にルートルフが絡んでいるとは知る由もないはずだ。製紙などはもう開発者がいなくても止まりようがないのだから、現時点でルートルフを消して今後の戦闘や外交交渉で利益になる、という考えには到らないだろう」

「そうですね。紙の輸入を止められたことへの対抗で、開発者を攫ってあちらで製紙を可能にする、という目的の方が現実的ですか」

「現状あちらの頭痛の種は、小麦と砂糖の輸出と紙の輸入の停止で周囲から突き上げを受けていることだろうからな。紙の点だけでも非難をかわそうと考えた可能性はありそうだ」

「それにしても、乱暴な話で」

「それだけ、あちらの中枢に余裕がなくなっているということかもしれない」

「そんなところ、だとおもう。ぞくのねらい、ぼくと、こどものだれか、りょうほうだった、きがする」

「そうですね」テティスが口を入れた。「賊の大半はルートルフ様を狙っていましたが、数名が脇を抜けて子どもたちの方へ向かっていきました」

「なるほど。紙の開発者と実際の従業者を連れ去ろうとした、と考えてよさそうか」


 数度、王太子は頷いている。

 何度も頷き頭をかいて、ううむと唸り。


「とにかく直ちに捕らえた者たちを締め上げ、指示の出所を吐かせよう。ダンスク政権の関与が明らかになれば、強い抗議を送る。現政権の対抗勢力にも情報を送って、さらに揺さぶりをかけていくことにする」

「ん」


 翌日には、捕縛した賊の複数名から自白を得た、という報告があった。

 一人はダンスク国軍の工作員、王都ヘンゼルト担当の統括で、ねぐらを捜索すると身分を証明する文書が見つかった。

 残りの九名とともにしばらく前からこちらの王都に潜伏し、諜報活動をしていた。そこに先日、「最大限早急さっきゅうに、紙の開発者と作業員一名を拉致連行せよ」という指令が下ったということらしい。

 開発者の正体と作業場の所在はすでに掴んでいたので、即刻行動に移したことになるようだ。

「最大限早急」などといったとにかく急がせる意味合いの指示だったので、事前準備の手間はとらなかったと思われる。

 実行者十名ともに剣の腕には覚えがあり、対象の護衛の倍近い人数なので、し損ないの懸念はほぼ持たず実行に及んだらしい。

 今回の実行後も拉致した子どもの搬送は部下数名に任せて、くだんの統括は引き続き王都での間諜の活動に残るつもりだった、という程度の楽観さだったという。

 どうも、今回の戦乱に関する情報はこちらで壁新聞から得た程度、その後の制裁にまつわることは把握しておらず、その辺の交渉における紙の重要度、グートハイル王国側の警戒度も十分認識していなかったようだ。

 この辺も、我が国と隣国の情報伝達における速度と量の差が現れた結果だと思われる。

 あちらの首都からだと、鳩便を送るにもリゲティ付近を経由して鳩を交代させる必要がある。さらにまだ紙を使用できていないので、文書量にも制限があるのだ。


「ここまで得た証拠だけでも、十分だ。あちらの首都に駐留する公使に指示を送って、厳重に抗議させる。まあ、あちらはまただんまりを続けるだろうがな」

「だろね」


 この日も執務室を訪ねてきた王太子と、その後の話を交わした。

 向こうの政権担当は、まだ昨日の件の結果を把握していないくらいだろう。対応を十分に検討できないうちに抗議を送るとともに、周辺に情報を伝えて混乱を誘う、という。


「たぶんあちら、こんかいのせんとうけっかとか、まだこくみんやかいきぞくなんかに、つたわっていないだろね」

「だろうと思われるな」

「こっちからじょうほうをながせば、もっとこんらんするんじゃない?」

「かもしれないな。どうやってする?」

「かべしんぶん、おくる」


 過日、八の月の四の空の日、ダンスク共和国よりグートハイル王国に対して宣戦布告がされた。

 グートハイル王国西部コリウス砦にて翌土の日、開戦。ダンスク軍は千名以上の戦死者を出して敗走。

 続く八の月の五の水の日、リゲティ自治領との境界で戦闘。ダンスク軍は数百名の戦死者を出して、国内まで壊走した。

 この結果グートハイル王国は、二十四年間にわたり不法占拠されていたリゲティ自治領を自国の領地として奪還した。

 グートハイル王国はダンスク共和国に対し、この戦闘の賠償と捕虜の受け取りを求めている。

 その要求への返答がないため、ダルムシュタット王国、シュパーリンガー王国と連携して、ダンスク共和国に交易上の制裁を科す。

 小麦と砂糖の輸入を制限し、荷車と紙の輸出を停止する。

 その通知の直後、九の月の二の水の日グートハイル王国の王都で、ダンスクの工作員による紙の開発者誘拐未遂事件が起きた。

 グートハイル王国はダンスク共和国に対し、この件でも抗議、責任の解明を求めている。


 といった内容を壁新聞にまとめ、ダンスク、ダルムシュタット、シュパーリンガー、シュトックハウゼン四カ国の政府に対して送付する。

 同時に公使から、ダンスクの主だった貴族に対しても配付する。

 さらに、ダンスク首都のグートハイル公使館で、外に向けて壁新聞を貼り出す。

 場合によっては、さらに国民に対して情報流布する策を採る。


「なるほど、国民から政権を突き上げる動きを促す、か」

「ん」

「うむ、やってみよう」


 即刻また、ヴァルターと王太子付き文官で文案を練り、ナディーネに清書させる。

 すぐに国王と宰相に上げるとともに印刷に回し、当日中に各国宛てに送付を実現した。

 駐ダンスクの公使館宛てには、十数羽の鳩が飛ばされることになった。すぐに指示に従って、文書を政府に届けるとともに主だった貴族に配付し、外に向けて掲示を始める。

 これにより貴族の間だけでなく、一般民衆の中に大きな衝撃が走り、騒ぎが巻き起こったという。

 ダンスク国民には、グートハイルへの派兵の事実も千名を超える戦死者を出したことも、制裁宣言を受けたことも、一切知らされていなかったというのだ。

 現政権を糾弾する声が、一気に轟き上がった。


 三日後、ダンスクで政権交代が実現した、という報せが届いた。


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