第160話 赤ん坊、打ち合わせる

「しかし」と、父は首を捻った。


「ダンスクに打撃、とは言っても、効果を上げるにはかなり時間を要するのではないですか」

「これらの輸出を止められたとしても、辛抱しようと思えば一年やそこら、かの国の財政が揺らぐことはないだろうな。下手をすると、こちらの小麦不足への辛抱とあちらの輸出収益減、どちらが先に音をあげるかの我慢競べになる可能性もある」

「ですよね」

「しかしそこで、あちらの国内事情だ。どれだけ続くか分からない輸出減を現政権の失政のためと周囲からの突き上げが強まれば、早々に保たなくなる可能性も考えられる。またそうなるように、シュパーリンガーに協力を請うてダンスク国内への働き掛けを進めていく」

「なるほど」

「ダルムシュタットとシュパーリンガーには、協力要請を伝え始めているところだ」王太子も補足した。「早々に細かいところを詰めて、ダンスクに制裁を宣言したい」

「二国とも、協力に前向きの感触を得ている。特にシュパーリンガーにとっては、自棄を起こしたダンスクが攻撃を西に転じる可能性もまんざらないとは言えず、他人事と静観もしていられぬからな」

「ああ、そういうことになりますか」


 従来、このような国家間の重要かつ繊細な扱いを必要とする事項について、やりとりが迅速に行われることは考えられなかった。

 当然ながら、一国からそれなりの身分の者が出向いて相手国の重鎮と会談の上、話を詰める必要がある。

 それが今回は、各国に駐在させている公使と政権側の担当者とのやりとりで、話が進められている。

 これまでこうした方法がなかなか採れなかった、理由はほぼ一点だった。

 母国と公使の間で、十分な情報の伝達が迅速にできなかったことだ。

 それが、紙を使用した鳩便でかなりのところ可能になった。まだ始めたばかりで多国間での有効性は確立していないものの、国王や宰相の印のある相手国宛ての文書を送ることも、できるようになっている。

 こうした国家間の文書、これまで公式には羊皮紙が使われてきているわけだが、今回初めて略式として紙を用いたものが使用されている。とにかくも事の重要性と緊急性を考えると、これまでの習慣に拘ってはいられないのだ。

 つい先日まで鳩便に使われていた木の皮では、王の印など判別のしようもなかった。少なくともその点では大きな改善がされていることになる。

 まあとにかくも現実、今回はこの二日程度の短い期間で、友好三国の間で話が詰められてきている。


 こうしてそれからさらに二日後、三国からダンスクに対して制裁の宣言がされた。

 ダンスクの首都にも、三国の公使が駐在している。その公使から政権宛てに通達文書を手渡したという格好だ。

 公使からの報告では、かの国の中枢にかなりの衝撃を与えたことになるらしい。

 当然詳細は掴めないが、連日会議が招集されて激しいやりとりが交わされているらしい、という。

 その翌日そうした話を伝えに来た王太子は、今にも笑いが零れそうな顔を努めて引き締めているかのような表情だ。


「国家間のやりとりがこれほど急速に進められるというのも、今まで考えられなかったことだがな。もしやすると数日中にも何らかの反応が出てくるかもしれぬ」

「そ」


 予想として、グートハイル王国にとって不都合な結果に到ることは、まず考えられないという。

 実際の戦闘が再開されることは、到底あり得ない。

 あちらからの進軍はリゲティ自治領近辺かコリウス砦しかあり得ないわけだが、どちらも十分な兵を駐留させ、監視を続けている。

 しかも万が一の際にはダルムシュタットが援軍を差し向ける、と伝えてきている。

 加えて、ダンスク軍がこちらへ向けて東進を始めたとしたら、シュパーリンガーが西から隙を狙って侵攻する準備を整えている。

 早い話が二国とも、混乱に乗じて漁父の利を得ようとする魂胆満々なのだ。

 普通に考えて、ダンスク軍が動き出すことはあり得ないと予想される。

 残された成り行きは宰相も言っていた、こちらの小麦不足への辛抱とあちらの輸出収益減、どちらが先に音をあげるかの我慢競べというものが何処まで続くかというところだろうという。


「シュパーリンガーからの情報では、ダンスクでこれまで事実上独裁に近い体制を続けていた公爵が、周囲の突き上げを受けてかなり苦しい状況に追い込まれているという。場合によっては早々に音をあげるかもしれないということだ」

「ふうん」


 ダンスクにとって、ダルムシュタットとシュパーリンガーに対し、それぞれ個別に懐柔の交渉を持ちかける手も考えられそうだが。こちら三国の動きがあり得ないほど速く、対応しきれていないのではないかと想像される。

 輸出を止められて紙を入手できていないので、こちらに対抗した動きをとることが不可能なのだ。


「陛下も宰相も、改めて驚嘆しているぞ。こうした事態で紙というものがこれほど有用だとは、想像もしていなかったと」

「ん」

「コリウスやリゲティでの戦でもある意味、紙で指示を送ることができたのが勝因とも言えるしな。何度も言うがこの最近の多国間でのやりとりも、従来あり得ないことだ。本当に今回の一連の経緯で、紙の存在が歴史を変えたと言ってもよさそうだ」

「ん」


 コリウス砦の戦闘では、小麦粉散布や『風』や『火』を送るタイミングなど、こちらから詳細に伝えた指示通りに実行されなかったら、あのような奇跡的な結果は得られなかったと思われる。

 リゲティ境界での方は、火炎瓶の使用を含めたこちらからの指示の徹底に対し、敵国側ではコリウス戦の詳細も十分に伝達できていなかったと思われる、情報伝達量の差が現れた可能性が高い。

 そもそも紙というものが開発されてからまだひと月かそこらなのだから、我が国以外でこれが十分活用されているはずもない。

 ある意味今回の経緯では、奇跡的にそうした優位性を得ていたと言えるかもしれない。

 大々的に輸出を開始しているのだから、こうした国家間の差は早晩埋められていくと考えられる。


 また国内でも、いろいろな意味で紙の存在が評判を上げている。

 まず輸出も国内需要も爆上がり一方で、各地の製紙場の製産量上昇、好景気を呼んでいる。

 今回の壁新聞の好評で、今まで紙の存在をよく知らなかった国民にも周知が広がり、単純な筆記用途以外にも貼り出し、掲示の効用が知れ渡って、地方でも販売量が増えている。

 王都の貴族や商人の間では、購入の予約待ち状態が続くほどだ。

 さらに貴族学院開始が近づいて、王女の学友候補になる公爵息女を始め、同年代の子女の間に絵本とカータを求める声が高まっている。

 やはり貴族に対しては特殊紙製のカータの需要が高いが、ヴィンクラー商会の運営でここにばかり力を割くわけにはいかない。品薄で予約待ち状態になっているくらいの方が先々の売上げ上も印象がいいだろう、とあえて製産量を増やさずにいるところだ。

 一方の絵本は、これまで売り出しているものの増刷とともに、まだ印刷せずに保管していた別作品の発売準備を進める。貴族学院が始まる前に、もう一山ブームを呼べそうな予想が立てられている。

 さらに、低位貴族や富裕商家を主な対象に、本を貸し出す商売開始の検討を始めている。

 王宮を中心に評判が高まり噂だけは広まっているものの現物をなかなか見ることができない絵本に手が届くようにするとともに、ここでは大人向けの物語本を紹介、需要を掘り出したい狙いがある。


 王太子と話した翌日の夕方、そんな諸々の打ち合わせのため、商会の小屋を訪ねた。

 小屋の内外で、製紙も印刷も見るからに活気にあふれた様子で進められている。

 マーカスもアントンも、やる気満々という表情で身を乗り出して、僕の話を聞いていた。


「このこや、たてなおして、さぎょうじょ、てんぽ、じむしょ、つかえるようにするべき、おもう」

「そうですね。いずれはそうしたいと思っていましたが、この好景気に乗って思い切ってもよさそうです。貸本の店舗が必要になりますし」

「だね」


 話を済ました頃には、作業所の片づけも終わっていた。従業員の退勤時刻だ。

 子どもたちの元気な終業挨拶を聞いて、一緒に外に出る。

 日没が早くなってきて、灯りの点った王宮の門が見えている僕の方はともかく、子どもたちの帰り道にはそろそろ松明が必要になりそうな薄闇だ。

 孤児たちのがやがやとした話し声を背後に聞きながら、道に出ようとしたところ。

 だだだ、と忙しない複数の足音が右から近づいてきた。

 王宮とは逆側すぐ、両側の小路の陰から、黒っぽい身なりの者が何人も駆け寄ってくる。

 全員が、剣を手にしているようだ。


「何者だ!」


 ザムに乗った僕を背に庇って、ウィクトルが大声で呼ばわった。


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