第159話 赤ん坊、訊かれる

『壁新聞』と名づけたそれは、国王にも宰相にも感心され、推奨を受けた。

 認可された原稿は、ヴァルターが翌日早くヴィンクラー商会に持ち込んだ。最優先で印刷するようにと僕の指示を伝えたところ、まだ昼前早いうちに完成品が届けられた。

 先んじて執務室で、父とゲーオルクにその使用法を詳しく理解させておく。

 でき上がりの新聞を持って、父は王都内での広報のために準備させている警備隊の兵への指示に出かけていく。

 ゲーオルクには、王太子と宰相の名のもと、全領主への配付に回ってもらう。現在王宮内で勤務をしている者には直接渡し、領地に戻っている者には王都内の屋敷から指示書をつけて鳩便で送ってもらうことになる。

 王都内への兵の出立は、午前のうちに行われた。二十名程度が五箇所ずつ回って読み上げと貼り出しをする予定だそうだ。

 各領主への配付も、この日のうちには終了するだろう。

 ひと段落したところで、父と昼食をとりながらそんな確認をした。


「何とも慌ただしい話で驚いたが、以前マーカスと話していた案が、急転直下実現に動いたことになるわけだ」

「ん」

「先ほど届けに来たマーカスも、驚きながら大喜びの様子だった」

「ん。これでちかいしょうらい、しょうかいのぎょうむに、くわえられる」

「その見込みが立ちそうだな。確かに、今回のような好機は滅多にない。戦勝と領土奪還の報せときたら、これ以上全貴族、国民が喜んで受け止めるものはまずないだろうからな」

「ん」

「将来これを商会の業務にするにはまだまだ困難もあるだろうが、一度こうして実現してしまえば、その困難もかなりの部分消え去るだろうな」

「ん。なによりこんかいは、へいかとでんかが、おおいにのりきになってる」

「だろうな。陛下にとってもこれ以上の国内結束、国威発揚を望める報せはそうそうないだろう。熱気の冷めぬうちに広く伝えたいところだ」

「でんかは、もしかすると、それいじょうかな」


 あまり明言されることではないだろうが。国王が「ここの部署の目覚ましい成果」と称賛した、という点。

 王族貴族の勢力争いから頭の離れない人々にとって、これは明らかに「現王太子の成果」という受け止めになるはずだ。王太子の肝煎りで設立し、活動している部署なのだから。

 王太子にとって、ここ数ヶ月の活動でいろいろ好結果を出し、反対派を潰したり翻意させたりを実現してきたようだが、今回の成果で完全にその地位を不動のものにしたと言ってもよさそうだ。

 何より、第一王妃の実家で上の二王子の死去以来一歩退いた感覚で国政に参加していたシェーンベルク公爵が、今回の件でほぼはっきり現王太子支持派についた格好になる。

 当分のところ、現国王と王太子の地盤は安定したと言えるだろう。


 王都でも各領都でも、壁新聞は驚きと興奮をもって迎えられたという。

 戦勝と領土奪還という内容への歓喜もさることながら、印刷した紙を並べて貼り出すというその手法が、民衆の度肝を抜いたようだ。

 担当者の読み上げを終えた後でも貼り出されているその前に珍しそうに立ち止まる人は跡を絶たず、何度も読み返したり文字を読める者に音読を頼んだりの光景が続いていたらしい。


 そんな騒ぎの中、月が変わった。

 九の月の最初の週末、恒例の空の日の報告会に宰相室へ向かう。

 以前は父の執務室を使っていたこの集まりが、最近は宰相室に場所を変えていた。定期的な父との面会という目的から、趣旨が変わったという意味合いらしい。

 会場変更とともに、列席者も変わってくるようだ。

 前週は直近の戦の情報整理の意味もあり、宰相と父の他に王太子とシェーンベルク公爵、騎士団長が先日の続きよろしく集結していた。

 一週間後のこの日も、王太子が臨席している。

「戦争処理の状況について、ルートルフの意見も聞きたい」ということだ。


「その後状況が膠着しているのでな。このままダンスクにだんまりを続けさせて、今回の件をなかったことにさせるわけにはいかない」

「当然ですな」


 王太子の言葉に、宰相も相槌を打つ。

 かなりのところ、前週も話し合った続きということになるが。

 隣国ダンスクとはその後軍の衝突はないものの、事実上交戦の態勢が続いていることになっている。

 その状況を収めるべく使者を送っているのだが、梨のつぶてなのだという。

 その内容が「敗戦の事実を認めて停戦に応じよ」というものなのだから容易に受け入れられる要求ではないだろうが、二箇所での戦闘の結果が明らかなのだから、他の選択もそうそう考えられないところだ。

 しかもその停戦にあたっては、今回の戦闘に関する賠償と捕虜引渡しの対価が伴ってくる。

 ちなみにここには、リゲティ自治領領有の変更を認めよ、という要求はない。本来グートハイル王国の領土であったものが元に戻ったと、他国に対して宣言するだけだ。

 二十四年間の不当占拠に対する賠償は、また追って要求していくことになる。


 ところで。

 何を今さらという気がしないでもないが、この機会にダンスクの中央体制について情報を集めてみた。

 近隣五カ国の中で唯一、ダンスクは王制ではない。正式国名は「ダンスク共和国」となっている。

 多分に漏れず、四十数年前までは国王が統治していたらしい。しかし公爵侯爵クラスの貴族のクーデターによってその地位を追われ、直系の血は絶えたということだ。

 現在そうした爵位階級は残っていて、そのときの公爵侯爵を中心とした合議制で国を運営している。

 しかしまたこれも当然のように、その中で勢力争いは絶えず、現在は公爵の一人が実権を握ってワンマン体制に近くなっているとのこと。

 新しい製鉄による軍備増強、二十四年前のリゲティ自治領削奪、豊富な小麦生産による貿易収入増加、などで実績を上げ、ここしばらくはその地位を磐石なものにしているという。


「あちらは王制ではないからな」宰相が考える様子で続けた。「実績を上げ続けられないトップは、下からの突き上げを受けかねない。ここまで二十年以上文句なしの体制を続けてきたのだろうが、最近は抜きん出て国内に訴え掛けられる功績を上げることが少なく、焦りを覚えてきたのかもしれぬ」

「それで昨年来、我が国に好戦的な態度を向けてきたということですか」

「ではないかと思う。まずは貿易収支で利益をふんだくろうと目論んだところ、通商会議で言ってみれば反撃を受けてしまった。そのまま国内に対して引っ込みがつかず、兵を起こすに到ったというところではないか」

「なるほど」


 相槌を打つ父に頷き返して、宰相の目の先は僕の方に移った。


「今さらながらにこんなことを確認するのはな、そういう状況だとするとかの国は、政権周囲の風向き次第で黙りを続けるのも難しくなる可能性が、十分に考えられるのだ」

「しゅうい?」

「こちらの友好国、ダルムシュタットやシュパーリンガーにも協力を要請して、ダンスクに制裁を科していく。特にシュパーリンガーには、ダンスクと繋がりの深い貴族が多いからな。そちらから揺さぶりをかけていけば、トップの座を揺らがすこともできる公算が高い」

「そうなんだ」


 具体的には、ダンスクからの小麦と砂糖の輸入を制限し、先日の会議で約束した荷車と紙の輸出を停止する。

 現在のダンスクは、かなりのところ小麦と砂糖の輸出で国家財政を支えている状態だ。こちらの友好国三国で足並みを揃えてこれらの輸入を制限する措置を執れば、大きな打撃になる。

 もちろん三国とも、これらの輸入が途絶えれば国内の食料事情が危ぶまれる事態にもなるのだが。


「そこで、ルートルフの意見も聞きたいのだがな。一時的に小麦と砂糖の輸入が途絶えても三国の国民に不満が広がらないように、手当てをしたい」

「ん」


 砂糖に関しては、我が国でアマカブ糖の増産をして二国に輸出する。状況によっては、アマカブ製糖の技術を供与する。

 アマカブ製糖については特許申請中だが、ダンスクのように「これは先に我が国で開発した技術だ」と横槍を入れられる事態にでもならない限り、現段階で技術を公開しても大きな問題はない。まだこちらに特許使用料が入らない、というだけだ。

 その他、キマメ、ゴロイモ、黒小麦、ナガムギの加工技術を供与して、短期間ならば小麦が不足しても食料事情が悪化しないように配慮する。特にキマメとナガムギに関しては物珍しさも手伝って、しばらくは庶民の食生活から小麦を減らす効果を上げられるのではないか。

 場合によっては我が国内で黒小麦の流通を増やし、他の二国へ小麦を回す態勢も用意する。

 この方針の打ち出しで、かなりのところダンスクを締めつけていくことができるだろう。


「どれも、かのう、おもう」と、僕は頷いた。


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