第158話 赤ん坊、提案する

 部屋の主が出ていったところで、宰相室の集いは解散することになった。

 父と昼食をとった後午後は後宮の部屋に戻っていると、夕方、王太子から呼び出しがあった。

 間もなく帰宅させるイーゼルとナディーネを連れて執務室へ赴くと、もう王太子とゲーオルクがソファに座って、ヴァルターが応対している。

 二人の顔を見る限り、悪い話ではなさそうだ。

 僕が向かいに座るのを待って、王太子がテーブルに置いた薄い紙の束を開く。


「リゲティ自治領境界の戦について、続報が来た。宰相や陛下やで一通り検証し、喜ばしい内容、ここの部署の目覚ましい成果だというお言葉があったので、二人に伝えたいと思ってな」

「そ」

「凄いぞおい、結局リゲティの奪還まで果たしたんだってよ」

「そなの?」


 すでに説明を受けていたゲーオルクが、興奮を隠さず声を入れてきた。

 それによると。

 先の報告にあった通り、敵は全軍撤退。シェーンベルク公爵領兵の軍はそれを追走した。

 戦場となったカスケル川流域の緩衝地帯からリゲティ自治領の市街へ向かう街道は途中狭まる箇所があり、大軍は進行が妨げられて追っ手に追いつかれる懸念が大きい。

 したがって敗軍は市街を北方向に大きく迂回し、直接ダンスク国内に到る径路をとる。

 公爵領兵軍はそのまま国境まで追走し、そこで追跡を止めることになった。

 敵軍を追うことを断念した代わり、一部の兵を市街に派遣。そこに駐留していたダンスクの残兵を掃討して自治領の領有を取り戻した、ということだ。

 実際に剣を交えたのは敵軍の先頭二百名程度相手だけだったが、その際に新しい製鉄による武器の質の高さが大いに役立った。

 また敵軍の撤退に直結したのは、ルートルフが発案しゲーオルクが公爵領に伝えた新兵器の効果、と断じてまちがいない。

 いずれもこの部署の功績、ということで陛下から称賛のお言葉があった、ということだ。


「この結果が公表されれば、明日にも王都中がお祭り騒ぎになるだろうよ」

「そうなんだ」

「何だお前、反応が薄いぞ」

「ルートルフには実感がないかもしれんな」王太子が苦笑した。「二十四年にもわたって煮え湯を飲まされていた、領地の奪還なのだ。大喜びしない国民はいないだろう。しかもこの領有についてはただちに五カ国の間に宣言されることになるが、今回は例の古文書で我が国の最古の領有を主張できる。どの国も表立って反論することはできないはずだ」

「なるほろ」

「だから、反応が薄いっての。嬉しくないのか、お前は」

「いや、よろこんでる。なんとなく、じっかん、ないだけ」

「そうかよ」


 ゲーオルクは妙に疑わしそうな視線を送ってくるが。実感がなくても、無理はないだろう。

 長年煮え湯を飲まされていた、という感覚が僕には実際のものとしてないのだ。

 初めてリゲティ自治領について聞いたのは、確か兄とともに領を訪問した際、エルツベルガー侯爵からではなかったか。あれが五の月中旬のことで、それからまだ三ヶ月余りしか経っていないことになる。

 まあ、めでたい出来事だということだけは分かる。

 しかしこの慶事を全国民に伝えるには、広報伝達の手段充実が必要だなあ、などと別のことが気になったりしている。


「でんか」

「ん、何だ?」

「こんかいのけん、おうとみんに、こうひょうする?」

「ああ、めでたいことだからな。明日にも広く伝えられることだろう」

「どうやって?」

「うむ――決まった方法はないが、王都警備隊の兵を通じて町の有力者に情報を流すという感じか」

「それ、かみにいんさつしたの、つかったらどうだろ?」

「紙に印刷、だと?」

「ん。かみよんまいくらいに、ぶんをまとめて、おおきめのじで、よみやすくする。へいがよみあげて、まちのなんかしょかにはりだす」

「貼り出すだと?」ゲーオルクが素っ頓狂な声を上げた。「何だそりゃ、聞いたこともねえ」

「ん。はじめてのこころみ、のはず」


 今までは紙も印刷もなかったのだから、実現できているはずがない。

 貼り出すのは紙でなくて板でも可能だろうが、印刷技術がなければ同じものを大量にというのは無理だ。

 従来は、よほどの重大事でなければ似たようなこともしようがなかっただろう。

 その辺りを思い描いたようで、王太子はゆっくりと頷いた。


「それだと確かに、広く正確に伝わる、か」

「ん。あと、ぜんりょうしゅに、にぶずつくばって、りょうちに、はとびんでおくらせる。りょうちでもおなじように、よみあげて、はりださせる」

「何だあ、全領主だと――?」

「全国に、即座に伝わる――か。まず、各領都だけだが」

「ん」


 領都で貼り出す以上の広げ方は、各領主に任せるが。口伝えにしても貼り出した紙を巡回させるにしても、広報の速度は従来の比ではないだろう。


「画期的な発想だな!」

「殿下」ヴァルターが声をかけた。「画期的、斬新な発想ですが、すぐにも実現可能と思われます」

「そうか?」

「ん。いますぐここで、ぶんをかんがえて、なでぃねにせいしょさせる。はじめてのこころみだから、へいかやさいしょかっかに、まずみてもらう? そのあと、うちのしょうかいでいんさつさせる」

「明日の朝から印刷を始めても、午前中にはでき上がりますね。あらかじめ警備兵の準備をさせておけば、午後には王都内に出回らせます。各領主に配付して、明日中には領地へ送ることができそうです」

「何と――」


 僕とヴァルターの説明に、王太子とゲーオルクは呆然と顔を見合わせていた。

 ヴァルターには一度聞かせた案なので、すぐにイメージが掴めたようだ。

 むう、と唸って、すぐに王太子は顔を上げた。


「やってみる価値はありそうだな」

「ん」

「分かった、やってみよう。かかる経費は、私が負担する」

「ん、りょうかい」


 まずヴァルターと、王太子についていた文官一人を呼んで、文案を考えさせる。

 文頭に「ダンスクと開戦、我が国の大勝利!」と見出しをつける。


 八の月の四の空の日、アドラー侯爵領西のコリウス砦にダンスクの軍が現れ、我が国に対して宣戦布告がされた。

 翌土の日、開戦。アドラー侯爵領兵と国軍で、敵を打ち破る。

 続いて八の月の五の水の日、リゲティ自治領との境界で、ダンスク軍とシェーンベルク公爵領兵軍が戦闘。敵をダンスク国内まで壊走させた。

 この結果、二十四年間にわたり不法占拠されていたリゲティ自治領を、我が国の領地として奪還した。

 その際、ウェーベルン公爵領で製産した鉄の武器と、シェーンベルク公爵領で開発した新兵器が、大きな役割を果たした。


 そんなことをまとめ、ナディーネに紙に清書させる。

 ナディーネの均斉のとれた文字だと、大きめに書けば少し離れても読みやすい。

 書き上がった紙を、まず宰相に見せる、と王太子とゲーオルクは出ていった。

 ヴァルターには、この件を父に伝えるように頼む。

 国王と宰相から認可が出れば、印刷はヴィンクラー商会の業務になる。

 またおそらく、王都内への広報活動には父が手配に携わるはずで、その意味でも早めに知っていた方がいいだろう。

 清書原稿が戻ってきたら明日の朝すぐにも商会に持ち込んで印刷を始めさせる、必要部数を算出しておくように、とそこまでヴァルターに指示をしておいた。

 なお、使用するのは標準紙の予定だ。上品な使い方ではないので上等紙である必要はなく、経費は抑えられる。貼り出しても丈夫さには問題ない。

 また鳩便で送るには、標準紙の方が薄く軽いので、適しているのだ。

 そんな打ち合わせをして、僕は後宮に引き上げた。


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