第156話 赤ん坊、面倒がる

 それから読書に戻っていた午前中、訪問者があった。

 珍しく、ヘルフリートだ。当然ながら、父からの遣いということになる。

 宰相から呼び出しがあり、ルートルフも伴うように、という指示らしい。

 機密の要素が入るかもしれないので、文官だけを同伴するようにという。

 ナディーネとテティスはザムとともに残し、ウィクトルと戸口前の二人を連れて出かけることにする。

 久しぶりにヴァルターに抱かれて廊下を進むと、待っていた父の腕に渡されることになった。

 護衛たちは外に残し、宰相室に入る。まるで数日前の続きのように、宰相の他に王太子と騎士団長が卓を囲んでいた。

 ただこの日はもう一人、見たことのない年輩の男性がいる。


「シェーンベルク公爵だ、ルートルフ」


 口早に、宰相が紹介した。

 どうも緊急事態らしい忙しない空気なので、軽く頭を下げる程度で席に着く。とはいえまあ、僕は父親の膝の上だ。

 考えてみると、この公爵とは初対面なのだった。製紙の説明でかなりの人数の領主たちと顔を合わせたが、三公爵への説明は違う流れになったのだ。


「悠長な前置きをしている場合ではないのでな」


 宰相が、父の顔を見る。

 他の面子はすでに承知している情報を、こちら父子に簡潔に説明しよう、ということのようだ。


「リゲティ自治領とシェーンベルク公爵領の境界、カスケル川流域の緩衝地帯で、戦端が開かれた」

「何と」

「しばらく前からダンスク軍のかなりの数がその地域に移動を見せていたので、公爵領兵をそれに対峙させる形で様子見をしていたわけだがな。今朝四刻頃、向こうから開戦の宣言があり、戦端が開かれたということだ。どちらも兵は五千名程度を集めている。その点ではほぼ互角なので、すぐ決着するということはなさそうだ」

「ん」


 父と僕は、短く相鎚を返す。

 当然初対面の公爵からは珍獣を見る視線が注がれているが、構っていられる状況ではないようだ。


「まあ、ある程度予想されていた事態なのだが」騎士団長が唸った。「先日までの状況に比べて、国軍と我が領の援兵が駆けつけるのに時間がかかる、ということになる」

「コリウス砦に向けて移動させていたところだからな」王太子も頷く。「向こうで我が国に対する宣戦布告をした後なのだから、こちらで半日猶予を置く必要もない。おそらくかの国としては、予定していた動きなのだろう」


 一同緊迫はしているが、先日コリウス砦の件を聞いたときのような驚愕、絶望の様子はない。

 話に出ているようにかなり予想の範疇、シェーンベルク公爵領兵はある程度準備ができた上で、迎撃を始めているのだ。

 なお、このような協議の場にベルシュマン子爵が招集される謂れはない。父子が呼ばれたのは、主に僕に対する用件だろう。

 先日のコリウス砦の際の指示を評価されたことと、事前にシェーンベルク公爵領へ送った情報に関する件と思われる。

 訊くと、当の公爵が僕の臨席を望んだらしい。

 王太子が公爵に問いかけた。


「私は実際に見たことがないのだが、カスケル川流域の緩衝地帯というのは、草原の態をなしているのであったな?」

「はい。縦横千マータ足らずといった広さの平地で、低い草が茂っています。両側に軍が集結した状態で、その間数百マータ、視界を遮るものもないはずです」

「ふうむ。ほとんど逃げも隠れもできない、肉弾戦が展開されるということになるのか」

「おおよそ、そういう予想になります」

「コリウス砦の場合とは異なり圧倒的な兵力差があるわけではないのだが、敵は兵が同数程度であれば勝算は十分あると踏んでの侵攻なのだろうな」

「うむ」


 宰相の言葉に、シェーンベルク公爵は渋い顔で頷いた。

 深々と嘆息し、居並ぶ人々の顔を見回す。


「思い返すのも腹立たしいが、二十四年前にダンスク軍がリゲティに侵攻した際には、我が領兵を中心とした国軍が敵とほぼ同数の兵力で惨敗を喫した結果に終わったわけだからな。向こうはその再現と考えていることだろう」

「その際は、剣などの武器の質の差が大きかったということだからな」王太子が頷く。「我が国でもふた月前から鉄の質を上げた武器の製造を始めているわけだが、これは公にしていない。特にこのリゲティでのもしものことを考えて、王宮上層部と国軍内の他には製鉄を担うウェーベルン公爵領、優先的に新しい武器を配備するシェーンベルク公爵領、アドラー侯爵領だけで情報を抑えている。ダンスクと癒着の疑われた何名かの貴族や間諜などから情報は流れていても、おそらく二ヶ月以上前のもので止まっているはずだ」

「はい。新しい武器の配備はかなりなされているし、最近向こうから我が領を揶揄する噂が流れているなどで、領兵の士気は上がっている。加えてつい最近ゲーオルク殿からもたらされた情報に基づき、新しい兵器の開発に成功してこれも十分な量ではないが配備することができています。この情報も、元はルートルフくんから出たということだったな?」

「ん」

「こういう好条件が揃っているからな。今回は以前の二の舞はない、二十四年前の雪辱を果たしてくれるものと信じている」

「ふうむ」宰相が頷き、それから首を傾げた。「それにしても、その新しい兵器というのはどういうものだね」


 見ると、当の公爵と王太子以外は訝しげな顔になっている。

 まあ父はともかく、国を挙げての戦に導入する新しい兵器について、宰相や騎士団長が知らないというのも確かにおかしな話だ。

 つい先日執務室での思いつきを、ゲーオルクを通じて公爵に流したばかりのものなのだ。

 本来はしばらく公爵領で実験を繰り返した上で実用化を探り、それから情報を広げようと考えていたのだが。思った以上に容易に実用が見極められ、しかもその使用が間に合う範囲で実戦が開始されたことになる。

 宰相と団長のもの問いたげな視線が、僕に集まる。が。


――説明、面倒……。


 しかしシェーンベルク公爵はもたらされた情報を担当者に渡して開発については丸投げだっただろうし、王太子は執務室で少し話を聞いていた程度でまるで実現イメージを掴めていないはずだ。

 そもそも僕だって、それが実際使われたときの効果を目で見たことがあるわけではない。

 うーむ、と悩んでいると。

 救いの手があった。

 いや、そんな表現をとるような可愛いものではない。

 戦場からの続報が届いたのだ。


「どうなった?」

「第一報からまだ三刻程度だぞ、戦闘が決着したにしては早すぎる。何か不測の事態か」


 届けられた書面に宰相と公爵が飛びつくようにして、開く。

 王太子と騎士団長も向かいから覗き込む。

 そうして、一同の目が一斉に大きく見開かれた。

 何だか、数日前に同じような光景を見たような。


「敵軍、一斉撤退だと?」

「敵の死者二百名程度、捕縛百名程度、退却する敵軍を追走中。今のところ、我が軍に死者はなし――」

「つまり、大勝利ということか!」


 公爵たちの交互の読み上げに、団長が大声を上げた。

 こちらから、父も大きく身を乗り出す。


「それは、どのような? 戦況については書かれているのですか」

「簡略すぎて、よく分からぬ」シェーンベルク公爵が唸った。「敵軍先頭との衝突直後、その少し後方に新兵器を打ち込んだところ大きな効果があり、後方の敵軍は一斉に撤退を始めた、と」

「まったく分からぬわ、それでは!」宰相が声を荒げた。「ルートルフ、その新兵器とは、どういうものなのだ」

「でんか、おねがい」

「こっちに振るのか?」


 とりあえず、最初の説明が煩雑なのだ。

 数日前の執務室で、まずゲーオルクに理解させるのに、さんざん苦労をした。

 それを横で聞いていた王太子になら、その部分の説明はできるだろう。


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