第155話 赤ん坊、言い含める
「だから、味方にも敵にも今回の出来事は詳しく明かさない、という判断をしたわけだ」
「なるほど」
「味方には、今後に期待されても困るしな。隣国にはとにかくもの凄い爆発で大軍が撃退されたということだけが伝わるはずだから、再現できないことが知られなければ勝手に怯え続けてくれるだろう」
「そういうことになりそうですな」
王太子の説明に、団長は何度も頷いている。
腕を組み、暫時唸って納得を確かめる様子の後、その顔がこちら向きに持ち上げられた。
「とにかくも、今回の大勝利はひとえにルートルフくんのお陰だ。土壇場で小麦粉の件を思いついてくれていなければ、決してこの結果は得られなかった。これ以外は、三千人の兵の命が失われ、我が領のかなりの土地が奪われるしかあり得なかったのだからな。いくら感謝してもし足りない思いだ」
「ルートルフが提案した『風』と『火』の戦法に、この小麦粉の思いつきがなければ、いくら偶然が重なってもこのような幸運は得られなかったのだからな」
「だんちょの、えいだんのおかげでもある」
「ああ、そうか。ひと月以上前になるのか? ルートルフの提案を団長が取り入れて領兵に修練させていなければ、これはあり得なかったことになるのか。確かに、団長の英断のせいとも言えるな」
「ん」
「しかしそれも、ルートルフくんの提案あってのことだ。私としては、あの日ルートルフくんに戦闘について話を振った自分を褒めてやりたい気はしますがな。今にして思えば、あれも奇跡的な幸運だった」
「まあ」
奇跡的とか偶然とか、言って言えなくもない、気はする。
王宮入りして最初の週の、宰相への報告の場だったはずだが。本来あの場に騎士団長がいる予定はなかったのだし、戦闘についての話題が出るはずもなかったのだ。
しかし今から考えると、あそこで話題にして侯爵領で実験的に修練させようという流れにならなければ、今回の結果に繋がらなかったといえる。
確か団長が出席したのは製鉄の話題を聞きつけたためだったし、戦闘の話になったのもたまたまの流れだったように思う。
さらに僕がそこで『風』と『火』を思いついたのも、本当にたまたまのことだ。
――そういえば。
その思いつき、直前に王太子とゲーオルクの戯れがあったことからの連想ではなかったか。
製鉄の件もゲーオルクが勇んで走り回り、早期の成果に結びつけたものだ。
そう考えると、二つの件を合わせて、今回の奇跡の発端はゲーオルクにあったと言えなくもない。
――まあ、本人にこれを言うのはやめておこう。無闇に増長させてもつまらない。
「何にしてもとにかく、すべてルートルフくんの功績だ。我が国も我が領も、これ以上なく幸運な形で救われた。我が領民はルートルフくんに足を向けて寝られぬ」
「おおげさな」
「これまでに、幾重にもルートルフくんの発案からの恩恵に与ってきたと言えるわけだしな。私個人としても、どうこの恩に報いてよいか分からぬほどだ。とりあえずもこの身、生涯を通してルートルフくんの味方であり続けることを誓おうぞ」
「わ」
思い出した。
この侯爵も領民も、そういう性格ということだった。
――何とも、傍迷惑レベルで熱苦しい……。
とりあえずこの件、ナディーネには詳しいことを伝えまい、と決めた。
またもあの大仰な忠誠を誓われては、こちらが疲れてしまう。
今傍らで聞いているメヒティルトに、何とか秘匿を言い含めておこうと思う。
「まあしかし、私の生涯とルートルフくんのそれでは、何とも言いにくいところですがな。ルートルフくんの成人まで我が身が存えるものかさえ、保証の限りでもない」
からからと、いつもの豪胆な笑いになっている。
この辺、「そんなことないでしょう、長生きしてください」と無責任に言って済むものでもないかもしれず、困ってしまう。
当然息災をを願いたいところだが、相手は軍の専門家なので、「命大事に」だけを押しつけるわけにもいかない気がするのだ。
仕方なくただ、
「こうえい。ありがたきおおせ」
とだけ、頭を下げておく。
何にしてもこの方の「味方」宣言は、嬉しい限りだ。
翌日の朝は、ナディーネとカティンカを伴って執務室に入った。いつものようにカティンカとリーゼルを後宮に戻らせ、それぞれ机に落ち着く。
ナディーネは向こうの部屋を出る真際に届いた手紙を受け取っていて、ヴァルターに断りを入れてそれを読んでいた。
僕はヴァルターから、この日王宮に入っている情報を聞く。
コリウス砦にはその後異状なし。山地の方にも敵の残兵は見られない。
国軍の再配置も、無事進んでいる模様。
アドラー侯爵領については、落ち着きを取り戻したと思っていいようだ。
敵兵数百名の捕虜は領都に移送したが、この処理については今後検討していく。隣国に賠償請求とともに、扱いを諮っていくことになるだろう。
そんな報告を受けていると。
「え?」とナディーネが声を上げた。
「どうしたのですか、ナディーネ」
「え、はい、その――」
侍女は目を丸くして、僕の顔を見据えていた。
読んでいた木の皮の手紙を持つ手が、ぱたぱたと振られている。
「先日のコリウス砦での大勝利、ルートルフ様のお陰、ということになるのですか?」
「え」
「父からの手紙なのですが。戦から戻ってきた村の男が言っていた。戦事の詳細は口止めされていて話せないが、王宮のルートルフ様の指示で我々は九死に一生を得、大勝利することができた。またしてもルートルフ様はこの地を救ってくれたことになる。ゆめゆめこの恩を忘れてはならない、と」
「わ」
僕は、ヴァルターと顔を見合わせていた。
今回の作戦の詳細については箝口令を敷いたことだし、郷里が救われた結果に僕が絡んでいることを知ったらナディーネがまた狂熱に我を忘れそうな危惧を覚えたので、ある程度話を聞いていたメヒティルトにも口止めしていたものだ。
しかしこちらの表情を見ただけで、侍女は粗方を察したようだ。
「またも村はルートルフ様に救われた、とみんな感謝の祈りを捧げているそうです」
「……やめて」
「うちの村だけでなく、周囲のいくつかの村、皆同じだそうです」
「わあ……」
「わたしも、このご恩は一生忘れません。村人たちに代わって、わたしが必ず――」
「ナディーネ」
頭を抱えていると、ヴァルターが妙な音調の声をかけた。
顔を上げると。
二人だけでなく、両側に立つテティスとウィクトルまで、口を押さえて笑いを堪える表情だ。
肩を震わせ、ナディーネはにっこり笑いを向けてきた。
「分かっています。ルートルフ様がお困りになるような大げさは申しません」
「ん」
「ただこの感謝の思いは、わたしの衷心、変わることはございません」
「わかった」
今となっては最も僕の気持ちを慮るに慣れている侍女は、やや冗談めかした表情の会釈で話を収めた。
全員そろって咄嗟にからかいを巧まれたらしい空気にこそばゆいものを覚えながら、文官を見上げる。
「とりあえず、しょうさいのこうがいきんしは、てっていされてるか」
「そう思っていいようですね。ルートルフ様感謝の布教は、その点では問題にならないと思われます」
「こっちはめいわく、だけど」
まあこの期に及んでは、僕の名が秘かに仄聞される程度の方がむしろ、秘密の新兵器の信憑性が隣国に伝わるかもしれない、とも思える。
今のところ悪い流れではないだろう、と頷き合う。
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