第153話 赤ん坊、報告を読む 2
机で四つん這いになって、板に書かれたその報告書を読んでいると。
応接テーブルから、王太子が問いかけてきた。
「どう思う?」
「このひっしゃ、おもしろいぶんさい。ぜひ、しょうかいにやといいれたい」
「いや、そういう話ではないのだが……」
と、言われても。
僕にとっては、書かれた内容よりもこの文調そのものの方が興味惹かれるのだ。
成り行きの概要については、すでに二日前に最初の報告を受けて大騒ぎしたことだし。
二日前の朝、騎士団長が現地へ急行した後。
残った我々は、そのまま次の報告を待って宰相室に座り込んでいた。
簡単に朝食をとって、ほとんど交わす会話もない。
鳩便の報告が届いたのは、午前十刻過ぎだった。
思ったよりも早い。と、一同の顔が暗くなる。
報告の鳩が飛ばされるのは砦を捨てて撤退を始めるタイミングのはずだから、これだとせいぜい二~三刻で勝敗が決したことになる。
「期待したほど保たせることはできなかったか」
「そのようですな」
開いた紙を広げて、王太子と宰相が同時に覗き込む。
そうしてたちまち、目の玉が飛び出そうなほどに、両眼が見開かれた。
「何だと?」
「敵は、全軍撤退?」
「は?」
「どういうことです?」
横手から、僕と父も驚愕の声をかけていた。
がさがさがさと、慌てて宰相の手がさらに紙を広げる。
そうして、これ以上開くとは思えなかったその目が、またさらに大きく丸められた。
「何――分からん、どうしたことだ?」
「何と書いてあるのです?」
「指示通り目眩ましを撒き、『風』で『火』を送った。その結果、隧道内で大音響が轟き、天井が崩壊したらしい、と」
「はあ?」
父の驚愕顔に目もくれず、宰相は慌ただしく紙を繰る。
王太子が横からそれを目で追う。
「敵の後続が隧道から出てこないようなので、とりあえずも、先に通過させた敵兵約五百名を砦の全軍で制圧した。一刻もかからず、半数以上がそのまま投降したらしい」
「事実上、三千対五百だからな。これは納得できる」
「結果、砦の側は十数名が軽傷を負ったが、死者はなし。その後隧道の中を調べたところ、手前約半分の範囲で崩壊した天井の岩が折り重なり、夥しい数の敵兵が岩の下敷きか大火傷かで死に絶えていたということだ。隧道内は続く崩壊の恐れがあるので、まだそれ以上調べられない。ただ見通す限り、山側にいたはずの敵軍は姿を消しているらしい、と」
「何と」
「まったくの推定だが、敵兵の死者は千の数に上りそうだ、と書いてある」
「はあ……」
「とりあえず第一報は以上、追って続報を送る、と」
信じられない、躍り上がって喜びたいほどの朗報のはずなのに。
一同呆然と、ややしばらく声もなく顔を見合わせていた。
やがて、「つまり……」と、王太子が唸るように呟いた。
「隧道内で原因不明の大爆発が起こり、それによって我が軍は勝利を得た、ということか」
「そういうことに、なりますな」
「これは、どういうことだ、ルートルフ!」
理解不能のことは何でもこちらに投げる、というのは勘弁してほしい。
しかし今回の件は、確かに想像だけなら、つく。
「さいごの、ついかしじのせい、おもう」
「あの、最後に送った鳩便に土壇場で追加した指示か」
「ん」
開戦に間に合わせる指示の鳩便を送る際、最後の最後まで、頭を絞っていた。
『風』と『火』の攻撃について、何とかその効果を高める方法はないか。
とはいえ、普段は少人数しか駐留しない小さな砦に、そんなうまい武器や道具などあろうはずもない。何があるかないか、問い合わせる余裕さえない。
とにかくも数十人が数ヶ月逗留できる、その程度の設備だ、という話だ。
――とまで整理して、思い当たった、のだ。
数十人、数ヶ月分の食糧――。
「最後の追加指示、とは言っても、虚仮威しの上の虚仮威し、という程度のものだっただろう」
「ん」
気がついた、のだ。
砦付近に、パン屋などがあるはずもない。パンは自前で焼くことになるだろう。
数ヶ月分の食糧といえば、かなりの量の小麦粉が含まれているのではないか。近辺は、国内有数の小麦産地なのだ。北の地域のように欠乏していることもないのではないかと思われる。
騎士団長に確認すると、「確かに。数百マガーマ規模で在庫しているのではないか」ということだった。
そこで。作戦指示を微調整した。
隧道出口上に潜ませる兵の役目を、石の投げ落としではなく、大量の小麦粉散布に変更する。
それにタイミングを合わせて、まず砦前から『風』だけを送って隧道内に小麦粉を撒き広げる。
間髪を容れず、『火』を『風』で送り込む。
空気中に散布した小麦粉には、引火しやすい。
ただ『火』だけを浴びせるより、被害を大きくする期待が持てるだろう。
――その程度の、目論見だった、のだ。
まさか、大爆発を起こすほどの効果を上げる、とは。
「小麦粉の散布だけで、そんな大ごとにまで到るというのか?」
「うまく、せまいなかでくうきちゅうにひろがれば、ありえる」
「何と――」
発案者としても、にわかには信じられない結果だ。
しかし、他に原因も考えられようにない。
想像以上の現象が起きた、ということなのだろう。
ちなみに、後続の足止め効果を高められるなら、敵の先頭兵を相手にする時間をそれだけ増やせる。当初通過させるのは約二百名としていたが、欲張って五百名程度に増加してもいいのではないか、と指示を加えた。
それも、敵兵の捕虜を増やす好結果に繋げることができたようだ。
宰相は、急ぎ国王への報告に出ていった。
二刻ほど遅れて、第二報が届いた。
それによると。
隧道の上の脇を越えるようにして、何人か山側を偵察する兵を送った。
その結果、敵の全軍は姿を消していた。何とか隧道から逃げ出したが火傷で息を引きとったらしい数百名程度の死体と、虫の息の重傷者が数名、転がり残されていた。
残る全軍は、山を越えて帰国する道を目指したと思われる。
読んで、ううむ、と王太子は唸った。
「何とも見事に、あっさり撤退したということらしいな。あまりに呆気ない、というか」
「たぶん、ばくはつ、わけわからないせい」
「訳分からないから、即逃げ出したというのか? 隣国の軍にしては、諦めがよすぎる気がするが」
「わからない、しんへいき、つかわれたとおもったんじゃ」
「新兵器――? ああつまり、これまで見たこともない、大爆発を起こす兵器を我が国が開発したと」
戻っていた宰相も、難しい顔で頷く。
ああ、とそれに王太子は頷きを続けた。
「あり得るか。ただでさえ我が国は最近、荷車や紙など誰も思いつかなかった開発品を公表している。その勢いで新兵器の開発もされたと、疑心される可能性は確かにありそうだ」
「それなら、続けてその新兵器を使われて全滅させられる前に撤退しよう、という判断にもなりますか。つまりはこれも、ルートルフの手柄のうちということだな」
「だとすると、このしんそう、ひみちゅ、にすべき」
「秘密? ――ああ」王太子が大きく頷いた。「真相は明らかにせず、我が国が得体の知れない新兵器を持っていると疑わせていた方が、今後向こうの出方を牽制する効果を持ちそうだな」
「ですな」
山側に残っていた敵の残兵も、火傷を負って逃げ出した者たちも、隧道内で起きたことの詳細は理解できていないだろう。せいぜいが、いきなり見渡す限り炎が充満して鮨詰めの兵たちがそれに包まれた、信じられない光景程度と思われる。
もう一度大きく頷き、宰相は室内を見回した。
「この件は原則、今ここにいる者と陛下、騎士団長以外には口外しないものとする。全員、そう心得よ」
「は!」
数名在室していた文官と護衛の者も、受けて礼を返した。
頷き、宰相は顔を戻す。
「現在コリウス砦にいる者たちにも、口外無用を通達しましょう。あと国内への公表は、領兵本隊と国軍が間に合って敵軍を撤退させた、ということにしますか」
「それがいいだろうな」
もとより、今回の隣国進軍の件はまだほとんど国内にも詳細を発表していないのだから、本隊の動きなど後からなら何とでも捏造できるだろう。
二日前の話し合いは、その程度で収められた。
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