第152話 赤ん坊、報告を読む 1

 以下は、開戦の二日後、前線から送られてきた報告の抜粋だ。

 砦の前で弓隊として参加することになった予備兵の手記、だという。


(手記)

 八の月の四の土の日、夜明けを迎えた。

 俺たちは、夜半から配置についていた。

 陽が昇ると、頭上にはほとんど雲のない真っ青な夏の空が広がった。今日も、暑くなりそうだ。

 山間からの隧道の出口をすぐ左下に望む、高さ十マータ弱ほどの岩地の上。このコリウス砦近郊から召集された予備兵のうち『水』加護の者が二百名程度、横並び二列に、弓矢を準備してしゃがみ込んでいる。

 百マータ以上離れた向かいの高台にも、同様に兵が潜んでいるはずだ。

 また、道になっている両脇の草むらに、槍を手にした数名が隠れている。

 昨夜上官から受けた指示では、この朝三刻までに王都から指令が届き、戦端が開かれるかの決定が下される。いざ開戦となったら、この隧道から殺到してくるはずの敵兵を横合いから射撃するのが俺たちの役割だ。

 その朝三刻まで、あと一刻を切る頃合いになっている。

 俺も周りの仲間たちも、落ち着かずしきりと弓の弦や矢柄の具合などを何度もくり返し確かめている。いざというとき弦が切れたり、矢が折れたりなんかしたら、目も当てられねえ。昨日から何度も整備したんだ、そんなことあるわけはない、とは思いながらも気になって仕方ないのだ。

 敵は、この砦に詰めた味方兵たちより人数が多いぐらいらしい。

 いざ戦が始まったら、俺たちの役目は敵の全滅ではない。味方の応援が駆けつけるまで、何としてもこの砦を護ること、と言われている。

 とにかくも矢の尽きるまで撃ち続け、敵の出足を止めることだ。

 隣りに蹲る、同じ村のローベルトが掠れた声を漏らした。


「畜生、やたらと喉が渇きやがる」

「そうだな」


 緊張のせいってやつだろう。腰の革袋に水は用意しているのだが、もう半分程度が腹に消えている。これ以上は、どれだけここにいることになるか分からないのだから控えるべきだろう、とさっき話し合っていたところだ。


「合図はまだか? そろそろ三刻になるんじゃないのか」

「まだ半刻以上はあると思うぞ。必ず上官から指示があるはずだし、開戦となったら、まず敵軍に伝令が行くはずだ」

「そうは聞いてるけどよお。予定通りにいかないってこともあるだろう」

「それは分からんけどな」


 じりじりと、さらに四半刻ほども経っただろうか。

 物音が聞こえた、そちらに目を向けると、砦から騎馬が二騎出てきたところだ。鎧を着けた兵が二名、たちまち隧道に向けて馬を駆っていく。

 敵軍への伝令らしい。と思っていると、右手から上官の声が聞こえてきた。


「開戦だ。皆、怠りなく準備せよ!」

「は!」

「くれぐれも、指示に従え。まちがっても抜け駆けして逸早く射撃を始めるなど、するなよ。昨日の打ち合わせと微妙に変わる場合もある。絶対に合図に合わせて行動すること! いいな?」

「は!」


 どうあっても俺たち予備兵にとっては、上官の指示に従うだけだ。

 勝手な判断で攻撃を始めるなどという、わずかばかりも知恵などありはしない。

 隣の友人とも、武者震いしながら頷き合う。

 俺たちの働きで、自分たちの村が救われるかどうか、決まるのだ。

 この身をかけて戦う、しかない。


「いよいよ、だな」

「おう」


 隧道を抜けていった二人の伝令は、すぐに引き返してきた。

 開戦の意思を告げて、即戻ってきたということだろう。

 間もなく、隧道の向こうから地を震わすような、大勢の喚声が聞こえてきた。敵兵たちの、勝鬨かちどきらしい。

 これから戦端を開くというときなのに、もう勝利を確信したとでもいうような声の張りだ。

 騎馬が戻っていった砦前に、大勢の兵が並ぶ。味方のその軍勢からも、ときの声が上がった。

 少し離れたこちら両側の高台でも、それに続く。


「しまっていこう!」

「おう!」

「勝利を我らに!」


 声の尾が空に消えた後は、緊張の静寂が張りつめた。

 弓を持つ腕に、汗が伝い出す。

 事前に聞いた限りで、こちらとしてはまずひたすら相手の進軍を待つばかりだ。

 見ると、隧道出口の両脇と上の岩場に、それぞれ数人の動く姿があった。

 下の者たちは素速く横切り、何か紐のようなものを地面に這わせている。

 上の数名は半ば姿を隠しているが、大きめの袋を背負っているようだ。

 おそらく、何かこちらの作戦による動きだろう。


 やがて。

 隧道の口に、唸るような物音が響き出してきた。

 大勢の駆ける足音、鬨の声。

 うおおーー、といううねり声とともに、先頭が姿を現す。

 歩兵の具足姿に、槍や剣と盾を構えて駆け足だ。隧道の幅ほぼいっぱいになって、数十人は横並びになっている。

 それが、地響きのような声を立てながらひとかたまりになって、勢いよく足どりを揃えている。


「うおおおおーーー」

「いけーーー」

「敵はすぐそこだーー」


 矢を放てば届きそうだが、まだ指示はかからない。じっと我慢だ。

 ただ両脇の草むらに潜む伏兵には、合図があったらしい。喚声を上げて槍が繰り出され、端の数名が突かれて膝を折るのが見えた。

 槍を持った兵はすぐに、草むらの奥に潜り消える。倒れた兵はそのままに、敵は追おうという動きを見せない。目指すはただ、正面の砦ということらしい。

 昨日の打ち合わせでは、先頭二百名程度の敵兵をまずそのまま通す、ということだった。

 その後ろに、鍛練を積んだ砦前の兵たちが『風』で『火』を送る技を使い、敵を分断する戦法だ。

 二列、三列、と隧道から姿を現す。そろそろ二百名には上りそうだ。

 指示は、まだか。

 弓に矢をつがえて、待つ。

 指示は、かからない。

 もう、二百名ははるかに越えたのではないか。その倍を数えたとしても不思議はない、という気がしてくる。

 合図は、まだか。

 もしや、上官は指示のタイミングを逃して困惑しているのではないか?

 これ以上敵が増えたら、砦前もたいへんなことになるのではないか。

 思っているうち、隧道出口で声が上がった。


「わああ!」

「何だ、こりゃ!」


 地面に這わせていた紐を、両脇の兵たちが引き絞ったらしい。

 足を取られた敵兵が、たたらを踏んでいる。


「やった!」

「いいぞ、そのまま倒れろ」


 こちらから、歓声が上がるが。

 すぐに振るわれた剣で、紐は切られてしまったようだ。

 たたらを踏んだ程度で、倒れる者もいない。

 ただ、足どりを緩めた集団と先行の軍勢の間に、数マータの隙間が開いた。

 そのまま見ていると。

 あれ?

 次の瞬間、視界が白くぼやけた。

 おかしいなと訝っていると、間もなく元に戻る。

 一呼吸置いて。

 砦側から、赤い固まりが飛んできた。

 これは予定通り、『風』に『火』を乗せた攻撃だ。


「わあ!」

「何だ、これは!」

「火だ、消せ!」


 足どりを緩めていた敵兵に赤い『火』が襲いかかり、慌てて盾や手でそれを振り払うのが見える。

 だがほとんどの『火』は、そのまま隧道の中に吸い込まれていく。

 出口の両脇や上に潜んでいた味方兵たちは、急ぎ身を隠し遠ざかったようだ。

 それを見届けて、気を取り直した。

 俺たちの役目は、分断された先頭の敵兵への射撃だ。

 改めて集中し、矢をつがえた弓を引き絞る。

 その瞬間。


「わあああーーー!」


 何処からか、大勢の怒声が重なり響いてきた。

 続けて――。

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