第151話 赤ん坊、方策を練る 4

 隧道の出口のところで膝下程度の高さに紐を横に渡し、勢い込んで走り出てきた兵たちを躓かせる、ということはできないか。外側両脇に数名の兵を潜ませておき、先頭が出てくるタイミングを計って地面に這わせていた紐を引き張る、という方法なら、事前に気づかれにくいのではないか。

 大軍が密集して殺到してくる状況の中なら、将棋倒しで向こうの被害を大きくするという希望も持てるかもしれない。

 そんな提案をすると、子供騙しと一蹴されるかもしれないという予想を他所に、騎士団長の熟考に迎えられた。


「……わずかながらにせよ、効果は望めるかもしれぬな」

「そうか?」

「はい、殿下。うまくすれば敵に混乱と折り重なりの転倒被害をもたらし、死者を含め数百人規模の足止めを実現できるかもしれませぬ。しかし一方で、先頭の兵に気づかれて切り払われるなど対処された場合何の効果もなく終わり、まったくの子供騙し、と末代までの笑い物になるだけかもしれませんな」

「うむ。――しかしそのような、将来の評判など気にしていられる状況ではないな」

「真に。できることは何でもやってみるしかありませぬ」


 以前に宰相も交えて考察したような、騎士団の兵たちは個人戦に拘る、卑怯と見られる戦法を嫌う、などということを考慮する状況では、まったくない。

 本当に、できることは何でもやる、という気構えでなければどんどん悪い方に転がりかねない予想なのだ。

 隧道出口から砦までの間、高所に弓矢隊を、低所に槍隊を潜ませて、少しでも相手の数を減らそうという方策は当然すでに指示されている。

 それに加えてこの「紐張り作戦」、さっき団長から出た「頭上から石落し作戦」など、何でもとにかく準備していこうという話になっている。

 三公会議に諮る議案としては、さっきも整理したように「荷車と製紙の権利を渡す」「コリウス砦で徹底抗戦」「砦は即時明け渡し」の三択ということになるのだろうが、誰の頭もほぼ「徹底抗戦」を第一として考えを進めている。

 当然最も検討の余地が多いし、この策で何とかなってくれれば、という願望がここに寄せられていくことになる。


「すっかり、日も暮れましたな」


 窓の外に目をやり、団長が呟いた。

 もう、この日の鳩便は飛ばせない。

 間もなく、三公会議が開始されることになる。

 今後の予定としては、ほぼ夜を徹することになるかもしれない、この会議。

 その結果を受け、できれば夜明けすぐに現場に指示を送る。

 最近の日の出は夜中の九刻頃なので、それから鳩便が五刻で運ばれたとして、到着は午前の二刻頃ということになる。

 砦での抗戦を命じたとして、午前三刻の開戦まで、一刻程度しか余裕がない計算だ。

 すでに考えられる布陣についての指示がされているとはいえ、今も考えたような「追加作戦」については、かなり実現が限られる。よほど分かりやすく簡潔な指示をするしかないだろう。

 その後、領兵の本隊と国軍の到着は、早くても当日の日暮頃に間に合うのがせいぜいということらしい。

 砦で抗戦したとして、三千人でどれだけ時間を稼ぐことができるか、だが。団長の見立てでは「午前中保たせることができればいい方」ということだ。

 首脳陣の判断はかなりこの「徹底抗戦」に寄っていきそうに予想されるが、当然すぎて誰もはっきり口にできずにいる事実がある。

 この決断は事実上、三千人の兵に対する死刑宣告に等しいのだ。

 もちろん全員死亡の前に「降服」という結果に終わるのだろうが、首脳たちはできる限りそれを引き延ばしたいというのが本音だろう。


 やがて、宰相から使いが来て王太子と騎士団長は会議の場へ向かった。

 父と僕はそのまま、宰相室で待つことにする。何しろ荷車と製紙の権利譲渡が正式に決まったら、それを通知する前にこちらで正式に承認しなければならないのだ。いつもながらのことだが赤ん坊の身なので、保護者と連名の承認が望まれる。

 予想通り会議は長引き、日付が変わっても続いていた。

 僕は無理をせず、父の膝上で睡眠をとる。

 お歴々が戻ったという報せの声で、目を覚ました。くしくし擦りながら視線を上げると、まちがいなく王太子と宰相、騎士団長が一緒に入室してきたところだ。


「砦で抗戦、と決まった」

「やはりそうですか」


 宰相の短い言葉に、父が頷く。

 決まった以上はできるだけ効果の上がる抗戦を実現すべく、指示を送らなければならない。

 宰相と騎士団長で、砦に送る通信文を練り始める。

 文官に紙とペンを用意させながら、団長はいつになく殺した表情で、ちらりとだけ父と僕の顔を見た。


「現状砦では、敵の実態について一部上層の者しか把握していない。兵士たちには、相手の正確な人数等を知らせずに臨戦につかせる。また上層を含め、本隊の実状は伝えない。間もなく援軍が来るのでそれまで持ち堪えよ、という指示になる」


 思わず、息を呑む。

 事実上の死刑宣告、というだけではない。当事者たちは、これが死刑執行と知らされず刑場に赴かされるのだ。

 無論、首脳たちにとってこれが最善の処置ということは理解できる。

 予備兵がほとんどの軍勢なのだ。圧倒的な劣勢と知った上では戦う力も入らないだろう。上の命令を振り切って逃亡を図る者が出てきたとしても、不思議はない。

 国のために、ここはわずかな時間でも長く敵を足止めしてもらわなければならない。

 そのすべてが、アドラー侯爵領の領民だ。代々領民思いで知られるという侯爵にとって、我が身を切られる心持ちなのではないか。

 いつもは陽気で豪胆な様子の団長が、今は表情を殺して淡々と事務の手を進めている。


「戦術の指示について、改めてルートルフくんも知恵を貸してもらえるか」

「ん」


 赤ん坊と四名の大人が、作成される指示文書を囲んだ。

 これはすでに指示が送られているが、約三千名のコリウス砦軍のうち、『風』と『火』の加護の者約千五百名と『光』加護の中から約五百名が、弓矢を構えて隧道に向かった砦前に配置される。

 例の『風』と『火』で出端を挫く準備と、東からの朝日に加えて『光』照射を用意し、敵軍の視界を不自由にする目論見だ。

 隧道出口から砦に到る途中、両側高所に、『水』加護の者を中心に弓矢隊を配置する。隧道を出た敵軍を、できる限りここで仕留めようということになっている。

 また両脇の草むらに、小数の槍隊を潜ませる。敵の先頭隊の両端数名に留まるかもしれないが、一人でも二人でも数を減らすことを目標にする。

 昨日送ったここまでの指示に加えて、さっき検討した出口の紐張りと、頭上からの石落しを加えよう。と、改めて詳細を詰める。

 手順としてはやはり、敵先頭の二百名程度をそのまま通過させる。

 その二百名が隧道を出切るタイミングを計って、紐を張って後続の足を止める。ここで将棋倒しのような形が実現していくらかでも死傷者が出るようなら儲け物だ。

 同時に、頭上から石の投下を始める。

 その足止めされた後続へ向けて、正面から『風』と『火』を叩きつける。

 そちらが混乱している間に、先に通過した約二百名に対して弓矢、続けて剣を交えての戦闘を始める。後続の足止めが奏功していれば、砦側は二千名だ、さほど時間をかけず壊滅できるだろう。

 ――文章にしていると、情けなくなるほどセコい戦術だ。

 しかしわずかにでも緒戦を有利にしようと思えば、これで精一杯のところだ。

 それもおそらく、少しでも優位に立てる望みがあるのは、ここまでと思われる。

 紐張りも石の投下も、長く続けることはできない。

『風』と『火』が虚仮威しだと気づいた後は、敵軍が雪崩を打って殺到してくることになる。

 この後はとにかく数の勝負で、何処まで戦況を持ち堪えることができるか、神に祈ることしかできようがない。

 そんな指示を、五人でいろいろ検討しながら組み立てていく。

 いくつか追加の思いつきを加え、微調整も入れられる。

 そんな作業が、窓の外遠くの山際が薄明るくなるまで、続けられた。

 即刻宰相と団長のサインが入れられ、鳩便発送に送られる。

 そして間髪を容れず、騎士団長は身の周りを片づけて立ち上がった。


「それでは、私は現地に向けて急行いたします」

「うむ、頼んだ」

「武運を祈る」


 王太子と宰相の言葉を受けて、逞しい後ろ姿は足速に退室していった。

 父と僕は、無言でこうべを垂れるのが精一杯だ。

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