第150話 赤ん坊、方策を練る 3

 額に手を当て、考え込みながら王太子は口を開いた。


「いやその、敵国にとってその選択に利がないというのは、正確だろうか」

「農作物の収穫量を見ただけでも、明らかと言えそうです」

「しかしその比較は、昨年までの実績から、であろう」

「確かにベルシュマン卿からの提案で、この地域でも収穫量を増やす試みを始めていますが、まだ今年度は当てになりませぬ。隣国もさすがにそこまで細かな情報を得ているとは思いにくいですし」

「農作物の件だけではない。アドラー侯爵領でもロルツィング侯爵領でも、製紙場を設けたのはその北部地域ではなかったか」

「ああ、それは……」

「先ほどの、製紙と荷車の権利があちらの主目的、という想像が当たっているとしたら、製紙場を奪って製法を盗むというのは、利益と考えられているかもしれない」

「なるほど」

「そしてもしそうだとすると、先刻来のベルシュマン卿の懸念も、まんざら外れではないという可能性がある。子爵領を押さえることに、意味を見出しているかもしれない」

「どういうことでしょう」

「子爵領に結びついて、大きな価値を持つものがあるだろう」


 やや血走らせた目を、王太子は侯爵と子爵の間に往復させた。

 ふと交わった視線で、僕と同じ想像に到ったらしいことが窺える。


「ルートルフだ」

「「はあ?」」


 団長と父の驚惑の声が重なった。

 丸くなった侯爵の目が、僕の横顔に注がれる。


「子爵領を孤絶させるなり制圧するなりした上で、今度はルートルフ個人に要求する。製紙と荷車の権利を」

「あ……」

「家族が領に閉じ込められている状態だったとしたら、ルートルフは拒絶できないだろう」

「ん」

「今気がついたことで、明朝すぐにでも連絡をつけて避難させれば、これは間に合うだろうがな。もし思い至らないまま明日の暮れから明後日まで経過していたら、避難する余裕もなく陸の孤島に閉じ込められたかもしれない」

「……確かに」


 父が唸る。

 団長は目を丸くしたまま、声を高めた。


「しかし、かの国はそこまでルートルフくんの情報を掴んでいるのですか? 製紙と荷車の開発者で、北端の子爵領出身だということまで」

「これは、過日のクーベリック伯爵による襲撃の時点で、隣国まで情報は伝わったと疑っておくべきだ。あれからひと月近く経つのだ。さらに細かく調査する時間はある」

「ああ……」

「しかし――」しかめた顔を、父は左右に振った。「さすがにそこまでは、考えにくいと思われます。一万の兵、まあそのすべてではないかもしれませんが、それを本国と隔絶した地へ移動させてまでして、ルートルフの脅迫を企図するものでしょうか」

「まあ確かに、可能性は低い気がするな。それでも万が一この想像が当たったとしたら、国としても卿にとっても、とんでもない打撃となろう」

「はあ、確かに」

「うむ」団長もそれに頷く。「可能性は高くないにしても、備えておくに越したことはないのではないか。もしコリウス砦での戦闘が行われることになったとしたらだが、明朝早くに連絡を送って準備をさせておき、その戦闘後に敵軍が北に向かう動きを見せたら実行指示を出す、という動きで卿の家族の避難は間に合うと思われる」

「うむ、ロルツィング侯爵にもあらかじめ打診をしておけば、南方への避難に支障はないだろう」

「畏まりました。そのように動きをとることにいたします」


 王太子と団長に向けて、父は頭を下げた。

 敵軍の動き次第で、両侯爵領の北部領民にも避難指示を出すことになる。

 西ヴィンクラー村の村民たちには、いざとなったら東の森と岩山を抜けて東ヴィンクラー村に避難できるように準備をしておこう、と父と話し合った。

 諸々の点を再検討して、騎士団長は深い息をついていた。


「何度も繰り言になるが、とにかくもコリウス砦で敵軍を押さえられるのが最善、何か策はないか、本隊を間に合わせることはできないか、とただただ思ってしまいます」

「それは、当然だがな」


 当たり前のことを言うな、などという返しは、王太子さえ口にしない。今回の事実を知る者全員にとって、それは心からの願望だ。

 しかし、いくらどう考えようが、無理筋なのだ。

 三千名程度の予備兵中心の軍で、一万の軍勢相手に保ち堪えることはできない。

 早馬でも半日以上の距離にいる本隊を、間に合わせることはできない。

 何らかの魔法でも使えない限り、絶対に実現不可能としか断じようがないのだ。

 それでもテーブルを囲む四人、何かに憑かれたように未練げな目を卓上の紙面に戻していた。


「幅、長さ、ともに百マータの隧道、ですか」ぼそりと、父が呟いた。「あらかじめ出口を塞ぐ、などということはできぬのでしょうな、当然」

「山側すぐに敵軍が陣取っているということだからな」団長が渋面で頷く。「当然見張りは出しているだろうし、そんな動きを見せたらすぐに気取られる。約定を破って予定開戦時前に動いた、と鬼の首を取った勢いで、たちまち攻め込まれることになろう」

「当然でしょうな」

「幅百マータ――」王太子も、片頬を膨らませて呟く。「剣を振る余裕などを考慮しなければ、七、八十人は横並びできるか……」


 少しでも攻め手の勢いを鈍らせられないか、とさっきも考慮した問題を蒸し返して考えているらしい。

 しかしこれも、結論は変わらない。七、八十人も横に並べるなら、敵軍の攻めの陣形として、ほぼ支障が生じることはないらしい。


「長さも百マータで七、八十人が縦並びできるとして、一度に五~六千人程度、全軍の半数が隧道に入ることができる計算か。それを思っても、進軍に不自由はない、あっという間に砦に攻め込まれる状況が想像されてしまうな」

「ん」


 ほとんど意味のない計算、だが。

 数字を弄くることに慣れた者にとって、意味はなくても思わず計算してしまう、その結果に無理矢理意味をこじつけてしまう、というのはありがちなことなのだろう。

 つまりは何処にも光明が見えないまま、こんなことをぐちぐちこね回す以外することがなくなっているのだ。

 僕としても、王太子とほとんど思いは変わらない。

 今さっきの考察で、敵の進軍がますます身近に危機を運ぶ可能性が浮上して、砦でその足を止めたい思いはさらに募っている。

 しかし、何の策も浮かばない。

 団長が、自嘲気味の口調で吐き捨てた。


「その、敵軍の半数が中にいる状態で、隧道の両出口を塞ぐなどということができれば、最高なのですがな」

「まったく、だな」

「当然、無理ということですか」

「うむ」父の問いに、やはり渋面で団長は頷く。「隧道の壁も天井も、易々と崩せるものではない。出口のすぐ上辺りに人間数名なら登らせることもできようが、塞ぐような大きさや量の石を落とすことには到底及ばない。手に持てる石を落として数人の頭に当てるのがせいぜい、少し脇から矢を射かけることよりも効果は望めまい。――いやそれでも、少しであろうと効果があるなら、やってみるのも悪くないか」


 何だか、ほとんど自棄になったような策まで練り出している。

 やはりそれほどまでに、考え尽きているということだ。

 これも、僕としても変わらない。

 むしろその歯がゆい思いは、さらに大きいかもしれないほどだ。

 例によって『記憶』を探ってみると、さらにもう少し踏み込んだ策が浮かばないでもない。しかし原理的にやはり無理筋、やるだけ無駄か、慰め程度、という結論しか下せないのだ。

 たとえば、例の加護の『火』を『風』に乗せて飛ばす方法。

 うまくすれば、隧道の中央付近まで届かせることができるかもしれない。

 そして『記憶』の情報では、閉塞した空間で燃焼を続けると空気が変質し、付近の人間の呼吸に障害を及ぼす可能性がある、という。

「これは使えないか?」と思ったが。

 すぐに、思い出した。

 こちらの世でも、火が燃える近辺で「空気が薄くなる」という常識がある。しかし、加護の『火』は例外なのだ。

 どういう原理か分からないのだが、加護の『火』そのものだけなら、空気を変質しないらしい。他のものに引火した後なら、その限りではないのだが。

 今回の隧道の中でも、つまりは敵兵の衣服などに引火して大きく燃えない限り、効果は望めないということになる。しかし『記憶』の世界のように、火を使う武器などを所持しているわけではく、それ以上の燃え広がりは期待しようがない。「虚仮威し」とも評される『火』など、すぐに叩いて消火されて終わり、ということにしかなりようがないのだ。


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