第149話 赤ん坊、方策を練る 2

 敵軍の幅が数十人程度に制限されるからといって、それほど迎撃の有利に働く条件にはならないらしい。

『火』と『風』を使う方法にしても、この状況で大きく効果を上げるということになりそうはない。

 それでもまちがいなく相手は予想していないはずの戦法なのだから、「できるだけ効果を上げるタイミングを計らせたい」と団長は呟いている。

 もし砦の三千人で抗戦をする選択がなされたとしたら、この方法で緒戦の出足をどれだけ押さえられるかで、その後の領地を荒らされる範囲に影響が出てくるのだ。

 隧道のスケッチを見ながら、団長とひとしきり検討を交わした。

 最初の敵兵二百人程度を通した後で、その後ろの数百人に対して『火』を浴びせて足を止めさせる、出足を乱れさせて先頭の二百人程度は剣と弓矢、投石などで撃退する、という方針が最も効果が上がるのではないか、という話に落ち着く。


「足の止まった百名程度も弓矢で屠ることができたとして、最初の優位はせいぜいそこまでだろうな。虚仮威こけおどしの『火』の正体に気づかれたら、あとはそのまま強引に前進されて、数で押し切られることになろう」

「ふうん」


 それ以上は現実から目を背けたい、とばかりに団長は隧道スケッチの一枚をテーブルに置いた。そのまま次のページ、近隣の簡略地図を開く。

 横から覗き込む王太子に、説明を続けた。


「砦での抗戦を数刻間保たせたとして、その後当日中にこの程度まで敵の進軍を許すことになろうかと思われます」

「そうか」

「あ……」


 騎士団長の太い指が無造作に地図をなぞり、王太子が沈痛に頷く。

 それを目で追って、僕は小さく声を上げた。


「どうしたね、ルートルフくん」

「ぼいえむら……」


 団長が示した範囲の中に、見覚えのある地名があるのだ。

 瞬時目を丸め、それから団長は頷いた。


「ボイエ村――ああそうか、ルートルフくんに縁のある地域だったな。そうだ、ルートルフくんのお陰で回復者も多数出ているが、まだ体調不良の者も残っていると聞く。この辺一帯の領民に避難の指示を出しているが、そうした体調不良の者がいると、思うように捗らぬことも考えられるな」

「ひなん、まにあう?」

「急がせれば、何とかなるであろう」


 健康回復の指示が奏功した地域だから気にかかる、というだけでない。

 ボイエ村は、ナディーネの故郷だ。

 この戦の結果によっては、ナディーネが帰る家を失うということになる。

 ううむ、と僕は秘かに嘆息した。

 しかしだからといって、何か方策が浮かぶわけではない。

 さっき宰相が整理してみせたように、荷車と製紙の権利を渡す決断がなされない限り、まずまちがいなくこの地域一帯は敵の手に落ちることになるようだ。


「考えられるのは、こんなものか」


 ふうう、と深く息を吐いて、騎士団長は椅子の背に凭れた。

 隣の王太子を見て、さらに深々と溜息を落とす。


「こちらでできることがあまりにも限られて、歯痒くてなりませぬ」

「そうだな」


 午後の十一刻を過ぎて、もう日没が近い。

 今日の鳩便はもう飛ばせないし、あとは三公会議の結果を待って翌朝早くに一度飛ばすのが最後ということになるはずだ。

 その最後の指示を送り次第、騎士団長は近習だけを伴って騎馬で現地に向かうという。開戦には到底間に合わないが、同じく向かっている本隊と合流して指揮を執ることはできるだろう。

 本当なら今すぐにでも出立したいという内心を如実に物語るように、逞しい膝がしきりと揺すられている。

 本隊ほどの数にはならないが、砦から見て東の領都から駐留兵を、王都からも増兵を、すでに向かわせている。その王都から移動中の歩兵たちを明日中に追い越して、団長の騎馬は現地に急行する予定になるだろう、という。

 団長と王太子に加え、父も身を乗り出して地図を覗き込んでいた。

 代わる代わる紙面に走らされる、それぞれの指の動きによると。

 国の最西端に当たるコリウス砦に向けて。東側の領都、東南東の王都から増兵が、南南東のシェーンベルク公爵領方向から国軍と領兵本隊が移動を急いでいるということになる。

 何度も目で辿り、それまで発言を抑えていた父が、むう、と唸りを漏らした。


「団長閣下、私は軍事について詳しくはないのですが――」

「何だろう。気がつくことでもあろうか」

「考えたくもありませぬが、コリウス砦を破られた後のことですが。敵軍は周囲の村々を制圧しながら本隊との衝突を待つ、という以外に、可能性は考えられませぬか」

「うん?」


 父の指がもう一度、今さっき確認した援軍の移動を地図上になぞる。

 それらを例えば矢印記号で描き入れたとして、空いている箇所が残る。その方向へ、父の指が動いた。

 砦から見て、北から北東の方向だ。


「周囲の村を抑える時間をとらず、こちら方向へ移動するというのは?」

「ふむ――」ひとしきり顎髭を撫でて、団長は唸った。「まったく考えられぬでもないが、敵にとって利益はあまり望めないだろうな。南や東に比べて、北は農作物の収穫もさほど望めず、人口も少ない地だ。こちらを制圧して領地にしたとしても、我が国の本隊にコリウス付近を取り戻されてしまったら、ますます本国との連絡がつかない飛地になる。そこまでして領有する利益は考えにくいと言える」

「いや、しかし――」王太子が、目を細めて地図を睨みつけた。「こちらの本隊との衝突を避けながら我が国領土の侵奪を広げようとするなら、これもあり得るのではないか。面積だけを言うなら、本隊に追いつかれるまでに制圧できる領土は、さっきの試算をはるかに超えるのでは」

「確かに――先ほどの試算では、砦で抗戦の後侵攻を許した場合、南東方向に我が侯爵領の四分の一程度を奪われる恐れ、としましたが。北東方向なら、領の二分の一近くまで奪われる可能性もありそうです。しかし、小麦など農産物の収穫量を考えるなら、こちらの方が被害は少ないかもしれませぬ。敵軍がその辺の利益勘定をどう考えるか、ですが。私が敵将の立場なら、得るものの大きさを考えると南東方向を選択するでしょう。さっきも言った、嫌がらせよろしく畑を荒らす目的だとしても、こちらの方が打撃は大きいことになります。もし北東へ進軍してコリウス砦を取り戻されたら、向こうにとっては退路を断たれるということになりますし」

「そうか。地図上だけなら、北東の方が制圧する面積を広げて侵攻の成果を目で見て誇れる、とも思うのだが」

「それを利益と捉える可能性も、ないとは言えませぬが」


 唸り合う二人を横に。

 まだ父は、地図を睨んで顔をしかめていた。


「いえ、こんなときに手前勝手な憂慮を持ち出しては申し訳ないのですが。もし敵軍が北東方向へ、そのまま周囲の土地に目もくれず侵攻を進めていったとしたら、我が国の本隊が追いつく前にアドラー侯爵領の北部を抜けて、ロルツィング侯爵領北部に達する可能性まで考えねばならないかと思ってしまいまして」

「まあ、考えられなくもないか。しかしそれは、向こうにとってますます利のない選択ということになるであろう。本国との連絡はさらに困難になり、やはり農作物などの利益はさほど期待できない」

「ですよね」専門家の意見を得て、父の肩の力がわずかに抜けたようだ。「いえ、もしもそのような事態になれば、我が子爵領の西部は完全に陸の孤島となってしまいます。現在、妻も長男もそちらにおりますので」

「確かに、それは案じられるが」


――まあ確かに、そうなると我が子爵領にとって、存亡の危機ということになってしまう。


 しかし団長の言うように、これは隣国にとって利益のある選択にはならないだろう。

 アドラー侯爵領北部、ロルツィング侯爵領北部、ベルシュマン子爵領西部、どれも国有数の貧しい土地、昨年まではまともな農作物の収穫も望めなかったほぼ価値の認められない地域なのだ。もしこれらをすべて合わせて何処かの貴族の領地として割譲しようと提案されても、その貴族は二の足を踏むのではないかと思われる。

 天秤にかけてもおそらく、今案じられている南東部の侯爵領の四分の一より、広さは数倍あっても土地の価値はかなり低いという判断になりそうだ。


――子爵領の塩湖の存在と、今年からのこの地域での輪作の試みが向こうに知れていたら、少しは違うかもしれないけれど。


 まあさすがにそこまでは考えられないだろう、と目を上げる。

 と、斜め向かいの王太子の渋面と、視線が合った。

 瞬間、何か背中がそそけ立つようなものを感じさせられていた。


――あ――。


 あった。その地域を押さえる意味……。


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