第148話 赤ん坊、方策を練る 1

 ううむ、と宰相は口元を掌で擦って唸った。


「確かに、殿下の仰る通りですな。つけてきた条件の方が本来の目的、と考えるべきでしょう」

「そう思うか」

「考えてみれば、領地侵略が主目的であれば、奴らは律儀に半日以上の猶予を置くことなく、即座に砦を攻め落としているでしょう。リゲティのようなあちこちからの注目が集まる地とは違い、コリウスは自国の監視さえほとんどない辺境です。半日前に布告したかどうかなど、後からどうにでも言い繕える。しかも数十人の護りに対して一万の軍勢、これほど圧倒的に有利な状況は、過去例を見ないほど稀なものと言える」

「ああ」渋い顔で、団長も頷く。「ですな。かの国であれば、そうするでしょう」

「言い換えれば、我が国の本隊を撃破する自信とその後の飛地統治の見通しがあるのなら、おそらくまちがいなく即座に砦を攻めたと思われる。その方が明らかに、先んじて削奪する領土は広げられるわけなのだから。そうしなかったのは、それらに自信がなく、付帯条件の方が主目的ということではないか」

「なるほど、な」王太子も頷き返した。

「しかし、もしそうだとすると――」


 騎士団長がぐいと身を乗り出してきた。

 重大事に思考が及んだとばかりに唸り、声を絞り出す。


「別の懸念も考えられますぞ。将来にわたって領有する意図があるなら、その土地の領民や畑などについてもそれなりに気を遣うでしょう。しかしその気がない、本隊とも本気で衝突する気がないというのなら、その前に辺りの土地を荒らすだけ荒らしてさっさと撤退する、という成り行きも考えられます。

 周囲の農村に対しては早期の避難指示を出しているので、民衆への被害は少ないかもしれませぬが、まだ収穫の済まない畑を焼いたり異物を混ぜて当分使い物にならなくされる可能性がある。コリウスから広がる領の西部は、国内有数の小麦の産地です。もし試算通り我が領の四分の一から二分の一の土地を荒らされ収穫を台無しにされたら、領の税収や食料事情は壊滅、全国的にも多大な影響を及ぼすことになりかねませぬ」

「そういうことになるか」


 宰相も唸って、暫時考え込んだ。

 きりりと食い縛るように口元を歪め、ゆっくり一同を見回す。


「整理してみよう。敵の主目的は、荷車と製紙の権利強奪、さもなければコリウスから広範囲にわたって土地を荒らし回り、我が国の食料事情に打撃を与えること、という可能性がある」

「うむ」王太子が、頷く。

「我が国の対処については、おおよそ三通りが考えられます。

 一、条件を呑んで、荷車と製紙の権利を渡す。

 二、コリウス砦で徹底抗戦をする。

 三、コリウス砦は即時明け渡し、本隊到着まで臨戦を避ける。

 といったところですか。

 一の場合は先の通商会議での成果がすべて立ち消えとなり、我が国は交易上の苦境に戻される。

 二の場合は、およそ三千人の兵の命を犠牲にして、その後の敵の進軍を侯爵領の四分の一程度に留める。

 三の場合は、人的被害は最小に留める代わり、土地の被害は侯爵領の二分の一程度まで広がる可能性がある、ということになりそうです。

 二、三の場合とも、その後敵軍がどのような動きを見せるか不明。こちらの本隊と出会う前に撤退するつもりか、こちらを撃破して飛地の領有を続ける算段があるのか。

 また一の場合も、コリウス砦より先に兵は進めぬと言っていますが、砦を占拠して駐留は続けるつもりはあるのかもしれない」

「そういうことになるか」渋い顔で頷き、王太子は騎士団長に目を転じた。「再度確認するが、コリウス砦で籠城して敵軍の侵攻を止めるのは、難しいのだな?」

「はい。地形的には山間から平野に出る狭い径路を砦が塞いだ形なので、籠城が可能ならかなり侵攻を止めることはできるのですが。砦は籠城向きの造りになっておりません。また予備兵中心で実戦に慣れた者が少ないこと、あの砦までにはまだ新しい製鉄による武器が届いていないこと、などを考慮すると、まず無理筋と思われます」

「そうか」

「確か砦内に井戸が作られていて、水の供給に不安はない。平常詰めている数十人に対して数ヶ月程度は保つだろう穀物が備蓄されているので、そういう点では籠城の助けになるわけですが。ああそれから、例のルートルフくん発案、『火』と『風』で機先を制する戦法は現地の予備兵も含めて訓練させているので、使えます。しかしこうした条件も、一万の軍勢相手には慰め程度にもならないはずです」

「相分かった」


 王太子はしかめ顔で頷き、宰相は口を一文字に結んで黙している。

 そうしてややしばらくの思案の後、大きく息を吐いた。


「おおよそ、状況把握としては出揃ったか。この分析を持って、私は陛下に報告に行く。至急、三公会議を招集して、陛下と協議することになろう。あまり例は見ないが殿下と団長も列席していただく可能性が高いので、しばしここでお待ちいただきたい」

「はい」

「分かった」


 二人の承諾を確認して、宰相の顔はこちらを向いた。

 子爵に、ではなく、その胸元の赤ん坊の顔に。


「そういう状況だ。不本意ではあるがこの後の話次第で、荷車と紙の権利を手放す断を下すことになるかもしれぬ。ルートルフはそのつもりでいてもらいたい」

「ん」ここでごねる余地はないので、即頷き返す。「ただそのばあい、こじたちに、かわるほしょう、こうりょしてほしい」

「うむ。善処しよう」


 表情少なく頷いて、宰相は足速に部屋を出ていった。

 打ち合わせの通り、王太子と騎士団長は残る。

 協議の結果を聞く必要があるので、父と僕もそのまま待つことになった。

 これから夜にかけて、話し合いはいつまでかかるのか分からないわけだが。大人たちは一睡もする気になれないだろうし、僕は保たなくなったら父の膝で眠らせてもらうことにする。

 そんな方針で、ヴァルターを呼んで用を言いつけた。

 カティンカを後宮に帰らせて、その旨を伝えさせる。

 リーゼルはまだ明るいうちに帰宅させる。

 それと、執務室から先日作った図書館本の写しを持ってきてほしい。

 文官を送り出すと、室内はまた沈痛な静けさに包まれた。

 ややあって、こほん、と騎士団長の空咳が聞こえた。


「悲観論ばかりを交わしていても詮ないこと。できる限りの策は練っておきたい。ルートルフくん、例の『火』と『風』の戦法は、今回の状況で活かすことができると思うか」

「ん――とりでとやまのあいだ、おおきな、ずいどう《隧道》でくぎられてる、とか」

「おお、よく知っているな」

「さいきん、ほんでよんだ。そのうつし、いまはこばせている」

「そうか」


 話している間に、ヴァルターが戻ってきた。

 話題にしていた写本を受け取り、テーブルに広げる。

 過去の記録が少ないこの国に珍しく、四十年ほど前に少数のダンスク兵がコリウスに侵入した件が、そこそこ詳細に残されていたのだ。

 周辺の簡単な地図や砦の外観、今話に出た隧道のスケッチなども載っていて、カティンカに模写させていた。

「おおそうだ。こんなものがあったな」と、団長も大きく頷いている。

 王太子も覗き込んでくるので、そちらから見やすい向きに整える。

 その簡略地図を、団長は指で辿った。


「この山間からは周囲を切り立つ岩地に囲まれて、この地点の隧道と砦の中を通る道以外、平地に出る方法はないのです。数名がこっそり岩壁をよじ登るというなら別ですが、何百何千という大軍なら、砦を攻め落とす以外の選択はあり得ない」

「なるほどな」

「報告によると、敵軍はこの隧道の山側出口の地点に集結しているようです。隧道を抜けると百マータ程度で砦ですから、もう戦端を開くしかない。そのため開戦までは、手前で待機しているということでしょう」

「うむ」

「隧道と言っても、さほど窮屈なものではありません。ああ、こちらに図絵がありましたな」


 紙を一枚捲って、隧道のスケッチを示す。

 説明によると高さ二十マータほどの岩山を穿った形のそれは、長さも幅も百マータ程度、中の高さは一定でないがどこも成人男性二人分くらいはあるらしい。

 確かに、人が通行するには十分な広さだ。


「幅百マータ程度、か」王太子が唸った。「数十名は横並びできる、さほど進軍の妨げにはならないということだな」

「はい。普通の平地での戦闘でも、最先端は数十名という隊形をとることがよくあります。先頭の人数が制限されて迎撃がしやすい、という望みはそれほど持てないでしょう」


 ううむ、と王太子は唸った。


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