第147話 赤ん坊、控える

 宰相付きの文官が応対に出て、「王太子殿下がお越しです」と告げる。

 急ぎ宰相が迎えに立ち、父は膝をついて礼をとる。

 扉を開くと、王太子に続いてアドラー騎士団長が慌ただしく入室してきた。


「急で済まない。騎士団長より緊急の連絡ということで、伴ってきた」

「緊急、ですか」

「はい」


 宰相の問いに、団長はまだ立ったまま礼をして肯定し、続ける。


「我が領より、連絡が入りました。領の西部に、ダンスクの軍勢が現れた。その数、推定一万、と」

「何だと?」


 日頃感情表現の少ない宰相が、目を剥いた。

 少し脇へ退いていた父も、言葉を失って目を瞠っている。


「場所は、何処だ」

「領の西部、コリウス砦奥の山間やまあい、ということです」


 ああ、と少し納得する。

 知っての通り、グートハイル王国とダンスクの境界はほぼ険しい山地で遮られている。そのほとんどが、アドラー侯爵領の西端ということになる。

 先日読んだ本の中に、記述があった。

 国境の山地のほとんどは、人力で越えられないほどの険しさだ。その中でわずか一箇所、登山行に熟練した者なら何とか踏破できるかという径路がある。

 そのグートハイル側の出口が、コリウスという地域になっている。

 過去少数ながら強行軍で山を越えて攻め入ってこられた例があったので、その場所に砦を作って見張りの兵を常駐させている。

 つまりその登山熟練者限定と思われていた径路を使って、大軍が山を越えてきたということになるのだろう。


「あのホルツヴァート連山を大軍が越えてくるなど、想像もできないのだが」

「これまでの登山道を秘かに拡張や整備をしたか、別の径路を発見したか、ということでしょうか。しかしその考察は後にして、早急に対処を熟考せねばなりません」

「うむ」


 王太子と宰相が向かい合わせに席に着き、騎士団長はその直角の向きに座って顔をつき合わせる。

 父と僕はこうした話し合いに加わる立場ではないのだが、今から離席するのもまた妙なので、少し脇の席に控えることになった。父の立場上、宰相の副官という位置づけになるのだろう。

 席に落ち着いて、団長が報告を続ける。


「本日午後の三刻、砦に書状を届けてきたということです。ダンスクはグートハイル王国に宣戦布告する。多国間のとり決めに従い半日以上の猶予をおいて、翌朝午前の三刻に開戦する、と」

「翌朝三刻……そのかん、三十六刻か」

「ただし、開戦に条件をつける。グートハイルがダンスクに対して新型荷車と紙の製造方法、権利を譲渡するなら、コリウス砦を攻め落とした後、先に兵は進めない、という通達です」

「何――」


 そのコリウス砦から王都まで、鳩便で五~六刻ほどかかるという。

 鳩便は夜間飛ばせない。現在午後の九刻近いが、今すぐ現地へ向けて飛ばしたとして、今日はそれで終了だろう。

 翌朝の指定開戦時に向けて、夜明けすぐに一度指示を送るのが限界、連絡の往復はできないことになる。

 おそらくは、相手の作戦の内なのだろう。半日以上の猶予をおくとは言っても夜間を挟むため、事実上当日は現地からの報告のみで、こちらから送ることができるのは即座に返す当初の指示だけ。つけられた条件への判断を含め、首脳部で熟談した結果の指示を送るのは翌朝一回に限定される、という経緯を強いられることになっている。

 しかも、それ以上に重大な問題があるのだ。

 宰相が、団長に確認する。


「コリウス砦に常駐する兵の数は、数十人のはずだな。翌朝までにどれだけ増員できる?」

「先ほど指示を飛ばしまして、周辺の農村にいる予備兵などを招集させていますが、多くて三千人ほどかと」

「そして、領兵の本隊と国軍は――」

「そちらにも指示を飛ばしましたが、現在リゲティ自治領近くへ移動させているところですので、反転移動させてもコリウスまで馬でも丸一日以上かかります。王都から兵を向かわせても、所要時間は同程度でしょう」

「一万の敵軍に対して、三千。コリウス砦は籠城できる造りではない。まずたぬな」

「敵軍の熟練度は分かりませぬが、こちらはほとんどが戦経験の少ない予備兵。保って数刻というところと思われます」

「うぬ――」


 宰相は、血走ったような目を団長と王太子の間に往復させた。

 王太子も、ぎりぎりと歯噛みをする様子で呻く。


「リゲティでの兵の動きは、このための陽動か」

「そのようですな。まんまと一杯食わされました」


 リゲティ自治領でのダンスク軍の動きを牽制して、アドラー侯爵領領兵の本隊と国軍のかなりの数が、自治領との境界近くへ移動を始めていた。そのため、通常の駐留地に比べてコリウスへの移動に大幅な手間がかかることになってしまった。

 このままだとほぼ明日の一日中は、一万のダンスク軍に対して予備兵中心の三千人で戦わなければならない事態が生じている。

 予備兵というのは、せいぜい数日程度戦闘訓練を受けた経験のある、普段は農業などに従事する民間人だ。こういう緊急時には招集され戦に駆り出される義務を負っているが、正規兵に比べると明らかに戦力的に劣る。剛猛で知られるダンスク兵に対して、同数でも互角以上に戦うことは到底望めないだろう。

 アドラー侯爵の見解では、この三千人で砦での迎撃は、保って数刻。全滅にしても敗走にしても、その後本隊が到着するまでの半日以上の間に、ダンスク軍は周囲の村々の制圧をかなりの範囲で果たすことになるだろう。

 最悪で予想すると、侯爵領の四分の一程度が敵の手に落ちるかもしれない。

 もし砦で三千人がある程度の抵抗をみせなければ、その被害は二倍以上に膨らむことも考えられる。

 そこまで検討を交わして、卓を囲む一同は長々と溜息をついた。

 中でも騎士団長は、血を吐くような声を絞り出した。


「我が国始まって以来の大規模な被害、不名誉な結果になるかもしれませぬ。騎士団の長を拝命している私の領でこのような不祥事、慚愧の念に堪えません」

「誰一人予想できなかった事態ではあるがな。それにしても――」宰相も、口元を掌で覆って呻く。「ダンスクは、どういうつもりで侵攻を始めようとしているのだ。一万という軍勢、今のコリウス砦を破るには十分だろうが、本隊の到着後にはまず持ち堪えられぬぞ。今後、本国からの増兵も考えられるか?」

「あちらが山越えにどのような手段をとったのか、不明なのでしかとは申せませぬが。そのように続々と後に続いてこられるような径路ではないと思います。今の一万についても、かなりの日数をかけて集結させたものではないかと」

「大型の武器や兵糧などの物資も、通常に比べると十分な運搬ができぬのではないか」

「かと思われます」

「そのように考えると、砦を破った後、奴らはどうするつもりなのだ。一両日中には到着する本隊を、迎え撃つ自信があるのか。また、もしコリウス周辺を制圧して自国領に加えたとしても、それを保持していくことができるのか。本国から見ると、まず他に例を見ない飛地だ。自国の他地域と物資の往き来などもほぼ不可能。あの山地は鳩便さえ越えられぬ、せいぜいリゲティとあと数箇所を中継して、首都に届けられるかどうかという実態のはずだ」

「そのはずです」

「砦を破ってもその後の戦闘は見通せない、土地を奪っても領有の継続は困難。明らかにそのような予想が立つというのに、何を目的とした侵攻だ」

「その、条件をつけてきたという『荷車と製紙』の方が、本来の目的なのかもしれない」王太子が、眉をしかめて言葉を入れた。「その後の領有継続は困難にしても、一度砦を破られ、かなりの領地を奪われたとあっては、我が国の打撃、不名誉は計り知れない。それ以上戦闘を拡大する前に交換条件を呑むことを、期待されているのではないか」

「それは、あり得るかもしれませんな」呻くように、宰相も頷く。「しかし、ここでもし荷車と紙の権利を奪われたら、我が国の貿易状況は二ヶ月前に逆戻り。むしろそのような時間が経過しただけ、悪化の影響が重くなる。この年末から来年にかけて、貿易収支で国の財政破綻にまで追い込まれかねない」

「到底、呑める条件ではないな」

「はい。しかし一時的にせよ侯爵領の四分の一を奪われるというのも、到底容認できませぬ。しかもそれが、三千人の犠牲の上で、ということになるのだから」

「だな」


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