第145話 赤ん坊、会食する 2

 表情を緩めて、国王はスープを口に運んでいる。僕の離乳食のベースにもなっているが、気がついてみると裏ごしキマメの冷製スープだ。

 味に満足らしく、頷きながら口周りの髭をナプキンで拭っている。

 スープでふやけたパンを呑み込んで、僕も匙の手を止めた。


「で、へいか」

「うむ」

「ほんじつのようむきは、なんだったでしょ」

「うむ」


「こら、ルートルフ」と、父が頭に掌を乗せてきた。

 国王陛下相手に率直すぎる無礼な発言、ということなのだろうが。肝心の用件に話題を進めるまでの貴族の迂遠な会話術など、現状身につけていない。

 言い繕っておくなら、国王からは「一歳児に無駄な儀礼を求めぬ」と断りをいただいている。

 その発言意思に変わりはないようで、髭の口元がわずかに苦笑の形になった。


「用向きな」

「は。おそれながら」

「簡単に言うと、ルートルフのご機嫌とり、かな」

「は……?」


 予想外の言い回しに、僕は目を丸くしてしまった。

 悪戯っぽく、王は目を細めている。


「この二ヶ月、ルートルフはよくやってくれた。詳細な評価はまだ下せぬが、とりあえず非公式には称賛したい」

「は、もったいなき……」

「それに加えてこのところ、続けざまにたいへんな目に遭わせた。正直なところ、これでルートルフがやる気をなくすなどということがあっては、つまらぬのでな」

「……は」


 そういえば。

 少し前に、ヴァルターが王太子と話したという内容を伝えてくれたことがあった。

 どうということのない、確認のようなものだが。

 この部署を始めて一ヶ月での、荷車と製紙、印刷という成果は、掛け値なしに素晴らしい。正直、陛下を始めとする上層部の期待を、はるかに凌駕していた、という。

 前にも触れられていたが、今回の通商会議の時点では現状把握と貿易上の打撃をしばらく持ち堪える希望が少しでも見える程度で、御の字だと考えていた。それが予想を超えて、ほとんど懸念を消し去るほどの成果を上げたのだ。

 これだけの成果、もし仮に一年を超える歳月を使ってなされたとしても称讃をもって迎えられただろう、という評価らしい。

 もともと僕とこの部署に対して、業績の期限や規模などのノルマは設定されていない。例えば当面は荷車の輸出だけで交易上の損害を押さえて、遅れて紙の開発で利益を上げることを実現、という流れだったとしても十分に期待に叶う結果と言える。

 極論すれば、一年かけても十分評価される成果を、一ヶ月で実現してしまった。妙な言い方になるが、僕に対してはあと十ヶ月程度何もしないでさぼっていても、いろいろな意味で 誰も文句の言いようがない。

 そこへ、このところ立て続けの災厄が降りかかったのだ。ここで僕がやる気をなくして引きこもってしまっても、公式にはほとんど止めようもない。

 その辺に、国王陛下は気遣ってくださったということらしい。


「まあ少し状況は落ち着いたので急ぐというものではないが、引き続き今回のような有益な開発を模索してもらえれば助かる、ということだな」

「は」

「紙のような画期的なものが何度も実現できるとは限りませんが」王太子が引きとって言った。「引き続き今後も、国力増強に繋がる発見や開発はできるものと思われます。継続して経過を見ている農産品、キナバナやシロカオバナだったか。世話を任せた庭師からの報告では、かなり期待通りの生育を見せているということだったな?」

「ん」

「これらが実現すると、コムギなどの栽培が難しい地域でも食用にできる作物が増える見込みがあるし、食用油のような副産物の製産などに繋げられる可能性も出てくるということです」

「ふうむ。それは期待が持てるな」

「他に現在ルートルフが手掛けているのは、紙の種類を増やす研究、印刷の用途拡大、といったところですが。これは自前の商会も使って研究を進めているということだったな?」

「ん」

「ふむ。どれも有益そうなことだな。着実に進めてもらいたい」

「は」


 食後の茶を喫しながら、国王は穏やかに頷く。

 王太子は父親と僕と半々に視線を向けながら、報告を続けた。


「その他新規に開発できるものも見つけていきたいのですが、これについては焦らず、ルートルフにいろいろ地理や歴史の知識をつけてもらいながら探っていく予定です。農作物関係もまだ探していきたいし、今探りを入れているのは鉱物関係ということですが、どれもルートルフの知識と結びつけるには現物を見なければ難しい、本人に各地を巡らせるのは尚早でしょうし」

「そうだな」

「そういえばルートルフ、先ほどシェーンベルク公爵領から問い合わせがあったのだが」

「は」

「領内の山中から、妙なものが見つかったというのだ。どす黒い色合いで悪臭を放つ液体が地中から湧き出していたという」

「あくしゅう?」


 ただ有害そうなものというだけなら、放置するなり埋め立ててしまうなりすればよさそうだが。問い合わせてきたというからには、何かそれ以上に引っかかるものでもあるのか。


「処理を検討して、いろいろ調べていたそうなんだがな。ふとした弾みで松明たいまつを近づけたところ、その液体に火が点いたんだそうだ」

「液体が燃えるというのか」王が首を傾げた。「あまり聞かぬ話だな」

「はい。燃えるからには燃料として照明や暖房などへの利用はできないかと当然考えるわけですが、かなりの悪臭があり人体への影響も考えられるので、どうにかしようはないかという相談なんですね」

「んーー」


 考える。

『記憶』の中に該当しそうなものはあるわけだが。


「むじゅかしい、おもう」

「そうなのか」

「しょうらいてきに、りようできるかのうせい、あるかも。でもたぶん、かなりめんどうなしょり、ひつよう。いまあるぎじゅつのなかでは、むじゅかしい」

「そうか」王太子は頷く。「長い目で見て研究をさせていく、といったところかな。ルートルフから、その方向性だけでも教えてやってくれるか」

「ん、りょうかい」


 王太子とのやりとりを見守っていた王が、うむ、と頷いた。

 茶を口に運び、髭を拭って。


「ルートルフの知識と結びつきそうでも、技術的にすぐに実現とはいかないものもあるということだな」

「ん。ただ、しょうらいてきにかのうせいありそうなら、きろくにのこすなりして、かんさつやけんきゅうをすすめるべき」

「ふむ、記録か。宰相から指摘もあったが、我が国では過去の出来事などについて記録に残す習慣に欠けているのではないかと。これも、ルートルフが言い出したことらしいな」

「ん。きろくのしゅうかん、もっとひろめるべき。かみのふきゅうも、これにやくだつ」

「なるほどな」

「これはまず王宮内から、さまざまな機会を捉えて伝えていこうと思います」

「うむ、そうしよう」


 父子で、頷き合っている。

 そうして一息ついて、国王は隣の父の顔を見た。


「あとこれも、王太子や宰相から進言があったのだがな。ルートルフの執務もかなり落ち着いてきたので、居住についても後宮に固執する必要はないかもしれぬと。子爵とルートルフの希望を聞いて、柔軟に検討していいのではないか」

「は、かたじけなく存じます」父は頭を下げた。「それにつきましては相談もしたのですが、やはりルートルフの執務の利便性や警護の都合を考えると、まだ当分は後宮の方がよいのではないかと思われます」

「そうか」

「ただ、時々は実家に戻るお許しをいただければと」

「そうか。その辺はそれこそ、柔軟に対処してよいと思うぞ。ルートルフの安全を第一に考えてだな」

「は、ありがたく存じます」


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