第144話 赤ん坊、会食する 1

 打ち合わせを終えて腰を上げながら、ふと思い出したという態で王太子は振り返ってきた。


「そうだルートルフ、昼は私の部屋へ来てくれ。昼食を一緒にとることにしよう」

「は?」

「ベルシュマン卿も招いてある。要は、ここしばらくのごたごたの労い目的だ」

「は、しょうちしました」


 王太子の私室や執務室に入った経験は、ない。

 話によると、執務室の隣りに食事や休憩用のもう一室が用意されているのだそうだ。

 午近くなったところで。王太子の部屋にザムを連れていくわけにはいかないので、ヴァルターに赤ん坊車を押してもらって執務室を出た。

 目的地近くで父と合流したため、すぐその腕に抱き上げられる。

 王太子の私室に原則他の使用人は入れないので、文官は部屋に帰らせ、護衛は廊下に待機させる。


「お招きに与りまして」

「急な招待で、申し訳ない」


 執務室で僕らを迎えた王太子は、すぐに隣の部屋へいざなった。

 十人程度は座れそうな方形のテーブルの縦辺に、父と並んで着席する。

 給仕が三名、別室から料理を運ぶ準備らしく動き回っている。

 王太子は、父の真向かいの席に着いた。

 おや、と思う。

 この席順だと、上座が空いてしまうのだ。本来なら王太子がその席に着くはずだろう。


「少しだけ、待ってもらいたい」

「は」


 王太子の言動で、何となく予想がついた。

 単なる予想も、さほど待たされることなく裏づけられる。

 隣室からの扉が開き、一人の人物が現れた。

 王太子が上座を譲るなど、他にあり得ない。身なりは簡略だがやはりそれなりの威厳を隠さない、国王陛下だ。


「待たせたな」

「は」


 父は慌てて床に膝をつく。

 しかし僕はすぐに椅子から降りることもできず、着席のまま頭を下げることになった。

 微苦笑の顔で、国王は一同を眺め渡した。


「楽にしてよいぞ。非公式の会食だ」

「は」

「仕事の同僚同士である息子の様子確認に、双方の父親が同席したという体裁にしておこう」

「は……」


――いや、陛下、それは……。


 赤ん坊の側はともかく、立派な成人男子の仕事関連の集いに親が同席って――ないでしょ。

 ――などというツッコミが入りそうなのは百も承知と言わんばかりの悪戯めいた笑顔で、国王は上座の席に着いていた。

 昼なので、かなり軽食という体裁の料理が運ばれてくる。僕の前には当然、離乳食だ。

 給仕が下がったところで、一度背を伸ばし。国王は軽く会釈程度に顎を引いた。


「ここふた月近く、ルートルフはよくやってくれた。それから先日の後宮での件、災難であったな。大事だいじなくて幸いだった」

「は。もったいないおことば」

「前も言ったが、其方は無理に言葉を作らなくてもよいぞ」髭に縁取られた口元が、緩められた。「その後、身体は回復しているのだな?」

「は、おかげさまで」


 王が丸パンを手に取り、食事が始まる。

 所作に緊張を隠せないままの子爵にも、苦笑の視線が流れた。


「真に後宮の件は、驚くやら呆れるやらだった。ルートルフには、たいへんな目に遭わせたものだ」

「は、真に」

「その前の裏庭での騒ぎについては、混乱を招いたとはいえ警戒していた範疇だったが。後宮の件は、まさかあれほどのことが起こされようとは、予想もしていなかったのでな」

「そうですね」王太子が頷く。「中の態勢を見直すよい機会にはなりましたが、今回の事態を招いた不備は、許されるものではありません。急ぎ、見直しの触れを回しているということです。具体的には護衛の者の増員と、外への出入りの検査を強化することになっています」

「うむ」


 どこかわずかに疲れたような面持ちで、国王は息をついている。

 もしかするとこの件について、何か公言できない思うところがあるのかもしれない。

 考えてみれば舞台は後宮、主犯は妃なのだ。

 当然ながら後宮という場、成人男性で出入りできるのは国王のみだ。

 またあの第四妃、事件前までは言わば猫を被り続けていて、妃の中でも目立たない温厚な性格と思われていたようだ。その本性を知っていたかもしれないのは側近を除けば実家の人間、加えて夫たる国王程度に限られていただろう。

 まあある意味妃にとって国王は猫を被ってみせる最大の対象だっただろうが、それにしても他とは接近の度合いがちがうのだから、何かしら本性を垣間見せる機会があって不思議はない。

 その辺の関係で、何か思うところがあるのだろうか。

 とはいえ、最高位の貴人ということを別にしても、他者が突っ込んで追及できるものではないだろう、と思う。

 それでも、一口二口食事を進めた後、王は続けた。


「それにしても今回の後処理については、子爵もルートルフも納得しきれぬところがあるかもしれぬが。賞罰については如何なる場合も、法と前例に基づいて公平に申し渡さねばならぬ」

「は、いえ、理解しております」


 グンヒルト妃は事件後、実家での謹慎を命じられた扱いになっているわけだが。これで相当に重い処分になるのだそうだ。

 妃の称号剥奪や実刑に処するなどの裁断は、明らかな国家反逆レベルの行為に対して以外行われない。将来の国母になる可能性のある存在、最高レベルの権力争いが常に絡む身分なのだから、そう易々と処罰される前例があっては困るのだ。

 物語本の中には、一妃の謀略で他の妃が身分剥奪されたり追放されたりするストーリーがあるようだが、そんなことが安易に実現するようでは国が成り立たない。ここの第二妃が「ふん」と鼻で笑うレベルの設定になるようだ。

 そもそも今回の件、人の命が奪われたというわけでもない。

 実害は、僕が軽傷を負ったのと、侍女三名が当て身で落とされたというだけだ。後に残る影響や被害金額的なことを言えば、テティスとザムがガラス窓を破壊したことの方がよほど大きい。

 僕を王族待遇とする報せは回っているが、それでも妃と比べれば、身分差は明らかだ。

 誘拐、監禁、ということになっているが、通例からすると「生活態度の悪い王子(待遇)に対して妃が指導を行った」とでも強弁すれば、お構いなしで落着する程度の出来事だ。殺害、死体隠匿の意思があったなど、本人が否定すれば「言った、言わない」という証言の食い違い、身分の高い方が有利になって不思議はない。

 結局今回の件で最大の問題は、直近に出した国王の申し渡しが無視された、という点になる。

 これに関しては、直接法律等に明記されている処罰の適用がない。

 そのため、国王が妃に対して直接申し渡しのできる最大の処置、「実家に戻す」ということになったらしい。

 実際に刑罰に処されるのは、直接僕に傷を負わせる行為をした護衛と侍女のみ、という結果に落ち着いている。


「第四妃は今後決して王宮に戻さず、こちらに関わらせない。もしウィリバルトが何らかの地位に就くことがあっても、母親の実家とは一切繋がりを持たせない。そう周知徹底する」

「私が王位を継承する限り、この方針を継続する」王太子が、父親の言葉を受けて続けた。「まあもし陛下と私に万が一のことがあって、ウィリバルトに王位がもたらされることがあれば、その限りでなくなる可能性もあるがね。そうなったら諦めてもらうしかない」

「はあ」


 まあそこまで王位絡みで変動が起きたなら、子爵やその息子が「諦める」かどうかなどはるかに超えた問題になっているだろう。

 父も僕もこのところの経緯で、ほぼ否応なく現王太子派に組み入れられた様相になっている。それにまつわる利益も損害も、覚悟を持って受け止めるしかない。


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