第143話 赤ん坊、受け入れる

 とはいえ、執務室の側で差し迫ってすべきことはない。

 王太子の誕生会が終わって、製紙や印刷に関することは一通り商会の方に移った状態だ。

 これから当分は、改めて新しい商品開発などを模索していくことになるだろう。

 そうした大まかなところを確認しているうち、王太子とゲーオルクが訪ねてきた。二人とは一週間以上のご無沙汰で、やはり今後の打ち合わせをする連絡になっている。


「もう身体はよいのか、ルートルフ」

「おかげさまで。しんぱいかけました」

「またしても、あってはならんことが起きてしまった。早急に王宮庁と女官たちに、何処に問題があったのか調査させているところだ」

「ん」


 すっかり顔をしかめたまま、王太子は席に着く。

 ゲーオルクもいつもの皮肉げな表情は収めたままだ。


「後宮の中のことはよく知らないが、そんな危険なことが起きる状態とは、想像もしていなかったぞ」

「本来あり得るわけがないのだ、あんな荒事など」

「だね」


 振り返ってみても、後宮の警備態勢自体に問題があったとは思えない。

 あえて言えば、護衛を二人しか配置せず、それが一人になる時間を作ってしまった僕の方に原因があるということだろう。

 出入りが厳重に監視されている閉鎖空間であるあの場所で、護衛一人で危険が生じるなど、本来あり得ないわけだが。そんな想定を、あの第四妃の狡猾さと大胆さが上回ってしまったということになりそうだ。

 どうも、王太子や王宮庁役人たちの検討でも、同じ結論に至ったようだ。


「警備態勢の何処かに緩みがあった可能性は否定できないからな、そこはしっかり引き締めさせる。さらに、ルートルフの部屋の護衛は増員する、いいな?」

「ん」


 僕の身があちこちから狙われていることはまちがいなく、警護の大切さは身に染みていたわけだが。それでも何処か、本来の王族ほどの贅沢はできない、と遠慮めいたものが残っていたかもしれない。

 ここはそんな拘りを捨てて、差配を受け入れるべきなのだろう、と思う。


「外での増員は、ベルシュマン卿が手配したということだな。その上で、執務棟側の全体警備も気を入れ直して強化するように触れを回している」

「は」


 ちらとウィクトルの方を見て、王太子は言に力を入れた。

 そうしてから、ふうう、と深く息をついて椅子の背に凭れ直っている。


「さすがにもう、国内に不穏な芽は摘みきったと思いたいがな。どうにもまだまだ安心する気にはなれない」

「だな。大半の領が新しく製紙事業を始めているところなのだから、そちらに目を向けてよけいなことを考えないでくれればいいのだがな」

「まったくだ」


 やや苦笑いの顔になって、王太子は向かいのこちらに目を戻す。


「本来、国の外に懸念材料があれば、比較的国内ではまとまりを見せて同じ方向を向く傾向があるわけでな。他国と通じる一部の者を抑えれば、むしろ内患の憂いは少ないはずなのだ。過日の通商会議で成功を収めた今、国内問題では少し安堵できると思っていたのだが。かの妃の行動が、まったく想定を超えていた」

「ああ」

「しかしそれもこれで収まるだろう。第四妃は、王都のフリッチュ伯爵邸から一歩も出ないように監視されている。家の存続がかけられているところで、伯爵も必死だ」

「ん」

「そういう現状だな。というところで、話題を変えよう。その後、お伽噺本とカータの販売は好調ということだな?」

「ん。どちらも、よやくまちじょうたい。ほかに、きぞくやしきに、ものがたりほんのうりこみをはじめている」

「うむ」


 頷いて、王太子はヴァルターから受け取ったそれに関する資料に目を通している。

 ゲーオルクはさっと読んだ資料を置いて、こきこきと首を回した。


「つまるところこれで、紙の消費にまた拍車がかかるというわけだな。前回話題に出た、新たに製紙業を始めるという領への技術指導も順調だというし」

「そ。それと、もうひとつあたらしいじょうほう」


 ヴァルターに指示して、用意していたものを運ばせた。

 二人の前に、茶色がかった束が置かれる。


「何だい、これは。これも紙?」

「ん。いままでのかみよりしつはおちるけど、たんじかんでこうりつよくつくれる」

「ほう」


 意味が分かるような分からないような、と微妙な表情で王太子はぱらぱらと手に取っていたが。

 ヴァルターから追加説明をさせると、徐々にその顔が驚嘆に変わってきた。

 今までの製紙が三日かかっていたところ、これは二日でできる。

 材料も入手しやすく、製作経費が従来の三分の二から二分の一程度に抑えられる。

 つまり安価で大量の製産をして、紙の普及をさらに広げることが期待できる。

 説明を受けて、王太子とゲーオルクは顔を見合わせていた。


「何と!」

「凄えじゃないか!」

「持ち運んでの簡単な記録用途には、この品質でも十分でしょうからね」


 ヴァルターの補足に、大きな頷きが返っていた。

「それに」と僕は続けた。


「きらくにもちはこんでのきろくがひろがると、えんぴつのようとがふえる」

「おお!」


 ゲーオルクが、目を瞠った。


「そうだな! いちいちペンとインクを持ち運ばずに済む、便利さが認められるだろう」

「ん」

「これは確かに、製産を増やしていく価値がありそうだな」

「ん。じゅうらいのかみより、せいさんりょうをおおくするくらい、してもいいとおもう」


 肯定の言葉を返すと、王太子も唸りながら頷いていた。

 さらに、つけ加える。

 こちらの紙の製産量を増やし、さらに普及させていきたいので、このカーゾーを原料とする紙を「標準紙」と呼ぶことにしたい。対して、従来のシロシマから作る紙は「上等紙」ということにしよう。

 近い将来的に呼称通り、標準紙の製産量の方が多くなるようにしたい。そのため、すでに製紙を始めている領に対して、王都に近い方を中心に標準紙の製産に切り替えることを働きかける。

 すでにヴィンクラー商会では、東孤児院の面々と護衛職兼務の二人にもっぱら標準紙製産に当たらせて、軌道に乗ってきている。


「うむ、その方針で行くことにしよう」


 頷いて王太子は、該当する領主を集めて話を持ちかけていく、と案を練り始めている。

 ヴァルターとも打ち合わせて、標準紙へ切り替えても利益が確保されるように、価格設定を検討することにした。

 一息ついて、ゲーオルクは唸りながら頭をかいていた。


「お前、この一週間実家で静養していたはずだよな?」

「ん」

「静養の傍ら、こんなとんでもないものを開発していたってか? 本当に、転んでもただじゃ起きない奴だな」

「ども」


 ああそれから、と思い出して、公爵子息に話を続けた。

 侍女たちに鉛筆を試用させた、感想だ。

 文字筆記用の硬いパターンと、描画向きの柔らかいパターン、どちらももう少しずつ柔らかめにして二種類の販売を始めるといいのではないか。

 軸について、当初は今の形式でいいと思う。ただ将来に向けて、完全に木の軸に芯を埋め込みナイフで削りながら使う、安価な製産方法を模索するといい。

 そういう話をすると、ふんふんと頷いてゲーオルクは文官にメモをさせていた。


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