第140話 赤ん坊、安堵する
「お早うございます、ルートルフ様」
「おはよ」
翌朝は、メヒティルトが朝の支度に訪れた。
「失礼します」と額に触れ、にっと笑顔を咲かせる。
「お熱、下がられたようですね」
「ん」
「ルートルフ様がお辛くないようなら一緒に朝食を、と子爵閣下が仰せです」
「ん。いく」
ザムに乗って階下に降り、父に抱かれて食堂に運ばれる。
やはりまだ身体の力が入らず、メヒティルトに離乳食を食べさせてもらう。
同じテーブルで食事をしながら、父が心配そうな目を向けてきた。
「やはりまだしばらく、休養が必要そうだな」
「ん。あたま、かなりすっきりしたけど、からだ、まだだるい」
「当分、安静にしていることだ」
「ん。でも、ばるたと、まかすと、はなししたい」
「うむ。ヴァルターはこの後、王宮に出仕する前にここへ寄るということだ。マーカスには昼前に報告に来させよう。ここでなら安心して話ができる」
「ん」
「あと昨日話したように、昼過ぎにはウィクトルが到着するはずだ。到着次第、ルートルフの護衛の任に就く」
「りょうかい」
とにかく僕の周囲ではずっと護衛の不備が続いているので、業を煮やしたというか、父は領地からウィクトルを呼び寄せることにしたという。言うまでもなく、僕がほぼ無条件に信頼できる警備をつける、という方針だ。
立場上は父の護衛だが、王宮に戻っても日中はテティスとともに僕の傍を離れない。僕が後宮にいる間は父の元に戻る、という形になる。
何より好都合なのは、ウィクトルならザムの世話を任せられるという点だ。
これまではザムを運動に連れ出すのがテティスにしかできなかったので、今回の事態を招く一因になった。ディーターやシャームエルでも引き綱を持たせることはできるが、僕の姿が見えないところではザムが大人しく従わないのだ。
今後先日までの生活に戻るとして、僕が後宮にいる午後の時間、ザムの運動をウィクトルに任せことができる。
「はいりょ、ありがと」
「うむ」
食事が済む頃、ヴァルターが訪れた。妹のリーゼルを連れている。
この屋敷はほぼヴァルターの通勤径路中に当たるので、朝夕リーゼルの送り迎えが可能だ。ということで、今日から問題ないようなら連れてくるという話になっていた。
リーゼルには引き続きこの屋敷で、侍女見習い修行と絵の勉強をさせる。
身分が僕の個人雇用の侍女見習いなので、リーゼルには将来的にここでの修行の方が役に立つことも考えられるのだ。僕が後宮から出ることになると、この屋敷で勤務することになる可能性も十分に出てくる。
ということで今はヴァルターとの打ち合わせなので侍女全員が控えているが、この後リーゼルはナディーネ、カティンカとともにヒルデに預けることにする。
交代制で、メヒティルトはほぼ終日僕の世話につくことになる。
そう決めた後、ヴァルターと今後の話をする。
今日が王太子誕生会なので、そこでヴァルターに任せている本の販売についての確認だ。この日の午前はゲーオルクとともに、その準備をしてもらうことになる。
「準備は予定通り進めているので、問題なく本番に臨めると思われます」
「ん、よろしく」
「ああ、あとこれを預かっていました。昨日、ゲーオルク様から届いたものです」
「なに」
「先日ルートルフ様がお話しされていた、鉛筆というものの試作品ということです」
「おお」
文官がテーブルに取り出したのは、木製の棒状のものが二本だ。
長さ百五十ミマータほど、指でつまめる程度の太さで、棒の先に黒い芯が覗いている。
上下部分に、薄い金具が巻かれているようだ。
「芯については、粘土との配合をいろいろ変えて、固さや濃さの違いで何種類かできたそうです。ここにあるのは、固くて薄目のものと柔らかくて濃いものの二種類です」
「なるほろ」
「黒い鉱石も豊富に見つかって、粘土も珍しいものは必要ないので、芯の部分はインクよりもかなり安価に製造できそうだということです」
「それはよかった」
試しに反故紙に書いてみると、固い方は僕の力ではほとんど読めない具合だ。柔らかい方なら何とか判読できる。
メヒティルトにも試させると、固い方も使用に堪える。棒の外形もうまく手に収まる大きさだ。
「ペンよりも、少し力が要る感じです」
「にぎりかた、ぺんよりしっかりしたほう、いいかも」
「そうですね」
「中はこういう構造だそうです」とヴァルターがその上下に填まっている金具を外すと、棒は縦二つに分かれた。
中に筋状の溝が掘られて、細長い芯が填め込まれている。説明によると、芯の尻のところに宛がう小さな金具の位置を移動して、先の突出具合を調整するらしい。
その小さな金具の移動が面倒そうだが、確かに使用の理には適っている。
組み立て直すと、巻かれた金具も手の邪魔にならないように調節されている。
「うん、ごうかく。つかえるね」
「そうですね」
ヴァルターと頷き合って。
この試供品については当分、固い方をナディーネに、柔らかい方をカティンカに持たせて、使い勝手を試させることにした。
「かてんかは、えをかくのにどのていどつかえるか、たしかめて」
「はい」
「なでぃねには、あとでべつにしじをだす」
「かしこまりました」
ヴァルターを帰して、侍女たちは家の中の仕事を始める。
僕は部屋でメヒティルトとテティスに付き添われて、少し休むことにした。
僕の具合がいつどうなるか分からないので、侍女一人はずっと傍につくことにしたという。机を持ち込んで、メヒティルトはここで写本をしていることになった。
ひと眠りすると、かなり頭もすっきりしてきた。
そんな確認をメヒティルトと交わしていると、下から報告があった。マーカスが訪ねてきたという。
服装を整えて、ザムに乗って階段を降りる。
「お身体を悪くされているということで。お見舞い申し上げます」という挨拶を受けて、商会長を向かいに座らせる。
まずマーカスに確かめたかったのは、グイードたち四人の様子だ。昨日から商会で働いているはずだが、僕は旅から戻った後顔を見ていない。
「四人とも元気に働いています」と報告を受けて、安堵する。
「それにしても、グイードたちには驚かされました」
「なに」
「当たり前と言えばそれまでですが、紙にも品質の違いというのがあるのですね。目を開かれた思いです」
今までウィラたちの指導を受けてこちらの職員で製造していた紙に比べ、四人の作るものは差が歴然なのだそうだ。
手際がいいのはもちろん、完成品の厚みや繊維の詰まり具合など、はっきり高品質でしかもばらつきがない。
まあもともと彼ら四人がこの技術の開祖で、事実上世界一の位置づけなわけだが、ずっと全国行脚して人に指導する中でますますその腕は磨かれてきたらしい。
工程の細かいところについても日々気づいたところを見直し、帰還した後二グループでその成果をつき合わせてさらに向上させているという。
「商会や工房では見習いを始めるかどうかという年齢なのに、驚いた子どもたちです」
「ふうん」
「しかもですよ、まだあるんです」
「なに」
マーカスは、持参していた木の箱を取り出して開いた。
「グイードから、ルートルフ様にお土産だそうです」
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