第139話 赤ん坊、戻る

 さらに続く話によると。

 第四妃の部屋の者たちには、早々に沙汰が下ったらしい。

 直接僕に危害を加えた護衛と侍女一人ずつは、捕縛の上入牢。

 残りの使用人たちは、すべて解雇。

 第四妃本人は実家に送り返され、謹慎を命じられている。


「はあ……」

「先例を見ぬほど迅速、峻烈な裁断と周囲にも驚きを持って受け止められているがな。陛下のご決定だ」

「そ」


 妃自身は頑強に身分の違いを主張していたが、そういう問題ではないという。

「ルートルフ・ベルシュマンを王族と同等に待遇せよ」と後宮に改めて触れを回して、まだ十日も経たないのだ。頭から王命を踏み躙る、許しがたい所業ということになる。

 本来なら妃という立場、実家やゆかりのある爵位の者たちへの配慮で、これほど苛烈な断が下されることはまず考えられないという。

 しかし、つい半月ほど前のクーベリック伯爵による凶行の記憶も新しく、現状は通商会議の好結果を受けて国内を一つにまとめていこうという気運が高まり出しているところだ。ここでなあなあの裁定をしてこの趨勢を揺るがすわけにはいかない、という判断になったのではないか。


「それにしても、第四妃殿下はどういうおつもりだったのか。ルートルフが後宮入りした当座ならいざ知らず、現下では周囲の受けとめも変わってきているというではないか。特に直近になって腹に据えかねる出来事があった、というようでもないのに」

「一度頭の中に据えた印象はなかなか変えられない、という方はいるようですよ。特に年輩者や、人の指図を受けずに過ごす方の中に」ヘルフリートが顔をしかめて、応じた。「私の文官研修時に配属された役所の上司に、いましたね。部下の人間性を思い込むと、いつまでも同じ評価を変えないのです。指摘されて部下が周囲を片づけるように腐心するようになった後でも、事あるごとに『あいつの机は散らかっている』と人に言っている」

「ああ……いるかもしれぬな、確かに」

「きさきでんかも、ほかのひとひよっても、じぶんはめざわりゆるせない、いってた」

「何とも……」


 父は、わずかに苦笑いになっている。

 ともかくもこれで、失礼な言い方をすれば『膿を出し切った』という印象で、国内にこの趨勢を妨げようという勢力は絶えたのではないかということだ。

 多少の不満や反抗心を内に秘めた者はいたにせよ、当面表立って行動を起こすことはないだろう。

 僕の身柄や命を狙うような動機を持つ者も、まず国内には考えられなくなっていると言えるようだ。

 むしろ貴族たちは挙って、今回の製紙業に続く高利をもたらす事業が生まれたならその機を逃すまい、と鵜の目鷹の目になっている現状らしい。


「現金なもの、と思ってしまいますが」


 先日も口にしていた同じ言い回しで、ヴァルターが苦笑している。

 というわけで、今回の措置に対する反対姿勢は何処からも見られない。

 フリッチュ伯爵も全面的に娘の非を認めて国王に謝罪。自分は責任をとって伯爵位から退くので、せめて長男への譲位と領の存続は認めて欲しい、と願い出ているそうだ。

 父の元にも、丁寧な詫び状が届いているらしい。

 どれも、妃の実家として地位を保ってきた伯爵にはあり得ない、卑屈とも捉えられそうな態度になるようだ。


 貴族の方はそうした落着に向かっているらしいが。

 残る問題として、ニコールの行方は分かっていない。

 そこに関して、エルツベルガー侯爵の配下から父に連絡があったという。

 昨日のうちに市中のニコールの実家に手の者を回し、フリッチュ伯爵家の下僕に見張られていた老母を解放した。今は侯爵家の監視下にある。

 第二妃の依頼を受けて、侯爵の配下が動いたということらしい。

 ニコールはもともとかなりの期間、第二妃の部屋づきだった護衛だ。それが異動してから間もなく起こした不祥事に、明言はしないが妃として責任を感じて手を回したということか。

 話を聞く限り同居している母と兄が厳重に行動を制限されていたようで、人質としてニコールへの脅迫に使われていたということでまちがいなさそうだ。

 なおこの件については、フリッチュ伯爵自身は与り知らぬことと主張しているらしい。伯爵の知らないうちに手下が娘の命で動くこともないことではないようで、それを信じてもよさそうだという。当然、責任問題として免れるものではないが。


「現在判明しているのは、そんなところだ」

「……そ」


 一通り頭には入れたが。

 その頭の重みをぐったり父の膝に預けて、それ以上働かせる気力も起きてこない。

 やはりまだ続く熱が、どんより澱んでいる感覚だ。

 まあ周囲の状況は勝手に落ち着いていっているようだから、流れに任せておいていいだろう、と思う。


「どうだ、ルートルフ。この後しばらく、うちの屋敷で休むことにしないか」

「ん……」


 それもいいかな、と思う。

 事件直後は躊躇した案だが、その後の経緯から、まさかこの期に及んで伯爵家が兵を挙げて子爵邸を襲うなどの暴挙は考えられない。

 僕の休養のためには、さすがに執務室より父の館の方が落ち着くだろう。

 仕事関係でも、翌日に迫った王太子誕生会に向けて、僕がしなければならないことはもうない。ゲーオルクやヴァルター、マーカスにも必要事項の伝達は済んでいて、本やカータについての動きはとられていくはずだ。

 なお、領地の母や兄には今回の件、詳細を伝えていないという。

 後宮内でトラブルがあったがルートルフは無事だ、という程度の伝達らしい。

 その措置には、僕も賛成だ。

 詳細を伝えたら、また母が馬を飛ばして駆けつけかねない。身体の弱い母に、この短期間で二度もそんな無理をさせるわけにはいかない。

 まだミリッツァに家に慣れさせる過程にあるわけだし、兄もヘンリックも領地の改革で手一杯の現状らしい。

 製糖業製紙業の定着を進めるのに加えて、四村すべてで農地の拡張、農法の見直しなどを行っている。近いうちに秋蒔き小麦を試す方針だと、連絡が入っているとか。

 この辺すべて、十月からの兄の学院入学に合わせて母やミリッツァも冬期間は王都に移住する予定なので、大急ぎで進められているのだ。


「では、その方針で準備を進めるぞ」

「ん」


 父とヴァルターから王太子や後宮に話を入れると、あっさり許可は下りた。さすがに今回の顛末を受けて、赤ん坊を実家で休ませることに反対は出ないようだ。

 許可をもらって、テティスと侍女三人は連れていく。

 なおテティスは妃室に乱入して窓を破壊したという事実があるので、今朝になるまで行動制限を受けていた。本人は「行動は控えるが、ルートルフ様の傍は離れない。もし離れて何かあったら、誰が責任をとるのか」と言い張って、事実上この執務室で謹慎の態をとっていた。王宮庁役人からの事情聴取も、ここの戸を開けたまま廊下で受けていたということだ。

 妃と伯爵からの聞きとりを終えて事実の齟齬はない、その点を争うつもりもないという確認の後、謹慎は解けたらしい。

 シビーラは事実上、元の妃室に戻った状態だ。

 リーゼルは、絵の勉強で子爵邸に通わせるか、おそらく短期間なのでそのまま家に待機させるか、本人や家族の意思を確認することにする。


 その程度状況を確認して、夕方から実家に移動した。

 ふだんの父は徒歩通勤だが、僕のために馬車が用意された。

 連絡を受けて準備を整えた、クラウスとヒルデら使用人に迎えられる。

 ひと月半ぶりの帰宅になるが、父の陞爵に合わせて使用人を増やしたので、知らない顔も多い。そもそもこの館で過ごしたのはひと月程度で、もう王宮の生活の方が長くなっているんだな、とぼんやり思う。

 まだ熱が下がりきらないようなので、ナディーネの膝上で麦粥を食べさせてもらった後、寝室で休むことになった。

 当然、ザムはベッドの脇に寝そべる。

 テティスは不寝番を続ける。以前この屋敷にいたときは全館の警備をしていたが、立場が変わって今は僕の専属なので、部屋の中で座って番をすることになった。

 侍女たちには、一部屋を用意してもらった。原則一人は交代制で僕の傍につき、残りは屋敷の仕事を手伝わせる。後宮とは少し違う貴族邸の侍女仕事を経験するのも、新鮮で勉強になるだろう。

 掃除や洗濯などの仕事をした残りは、今まで通り写本作業をさせることにする。


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