第136話 赤ん坊、袋詰めになる

 侍女たちが、床に倒れ臥してしまい。

 驚き見回していると。

 いきなり、後ろから抱き上げられた。

 床に下ろされる、かと思っていると、足は何かごわごわの中に包まれる。

 すぐにそのごわごわが引き上げられ、全身が覆われた。

 どうも、麻袋か何からしい。

 詰まるところ僕は、手荷物のごとく袋に入れられ。

 一呼吸の後、荒々しく抱え上げられた。

 誰かの小脇に抱えられ、たちまち移動の感覚が伝わってくる。

 方向は分からないが、駆ける、駆ける。


 移動は、長く続かなかった。

 ドンドンドン。

 慌ただしいノックの音に続き、扉が開かれたようだ。

 荷物扱いのまま誰かに手渡され、即無造作に床に転がされる。

 お尻と背中を打ち、痛みを堪えながら、必死に頭の上をかき分けて袋の口から首を突き出した。


「ほら、これだ。急いで行け」

「うむ。約束だぞ、母を頼む」


 見えたのは、ある意味予想の範疇だった。

 護衛の身なりをした女が二人、やりとりをしている。

 紛うことないニコールが、今僕が包まれているのと同程度に膨らんだ袋を抱えて踵を返し、廊下を駆け去っていった。

 転がされたのは、誰かの居室の中か。

 室内に目を向けようとしていると、奥から声がかかった。


「邪魔じゃ。そちらに転がしておけ」

「かしこまりました」


 体勢を変える余裕もなく、袋の口ごと首根っこを掴み上げられた。

 そして。

 大げさでも、言い回しの妙でも、何でもない。

 次の瞬間、文字通り僕は、床に投げ転がされていた。

 どすん、ごろごろごろ。

 絨毯の上ながら鈍い音を立てて衝突し、そのまま二転、三転。

 肩を打ち、何処かに頬が擦れ、あちこちに痛みが走る。

 ようやく静止して、天井を仰ぎ。

 目を転じると、少し先、明らかに今の狼藉の犯人らしい侍女姿の若い女が立ちはだかっていた。

 口を開こうとすると、右手奥から声がかかった。


「騒ぐでないぞ。神妙にせぬなら、首を捻ってくれる」


 部屋は、初めて見るものだ。

 造りは、かの第二妃のところと酷似している。

 正面はやや広い床、その先に閉じられた出入口の扉。

 扉前にさっき会話していた護衛が一人立ち、手前に今僕を投げ出してくださった侍女が仁王立ちしている。

 そしてやはり第二妃のところと同様に右手にはソファとテーブルが並んで、豪奢な身なりの女性が掛けていた。

 今、無遠慮な脅しの声をかけてきた主に相違ない。

 見ると、顔に覚えはある。赤みがかった金髪のまだ若い女。

 数日前のにこやかな表情とは一変した、冷ややかな目つきで口角だけをわずかに捻り上げている。

 一度だけしか対面していないが、見まちがえようもない、第四王妃だ。


「ふん、そな、生意気な顔」妃は、鼻を鳴らした。「赤子らしくもない。泣き喚きでもすれば、すぐ捻り殺してやれるものを」

「それは、ども」


 いつも以上に動きの悪い、口を開く。

 その拍子に、金臭い味が舌に触れた。どうも、口の中を切っているらしい。


「きさきでんかには、ごきげんうるわしゅう」

「生意気な口を聞くでない。気味の悪い」


――ふうむ。


「気味の悪い」は先に某別の妃にも投げかけられた言葉だが、どうもあちらはまだ手加減が混じっていたらしい、と改めて気がつく。

 目の前の妃の発言は本当に不快そうにしかめられた表情を伴って、明らかな本音と思わざるを得ない響きだ。

 ふん、ともう一度鼻を鳴らし、眉間に皺を寄せ。

 口元だけは愉快そうに緩めて、こちらを眺め回している。

 目の前の一人の他、ソファの横に侍女が二人立ち、すこし離れて二人目の護衛が控えている。

 広い部屋だが、一通り人が配置されていて、赤ん坊の動きで脱出を図るすべはなさそうだ。

 僕の現在地は窓際。数歩横手に、王族部屋お馴染みの大きな一枚ガラスの窓が閉じられている。これが僕の力で開くことができないのは、自分の部屋で実証済みだ。


「ぼくを、どうする?」

「こな気味の悪い生き物、すぐに捻り殺したいところじゃがな」


 薄く笑って、妃は横の侍女に視線を送った。

 側仕え二人は、練習したかのように揃って、微笑のまま頷きを返している。


「すぐには死体の始末が面倒なので、弱ってくたばるのを待つのがよかろうの」

「左様に存じます」

「十日も経てば警戒も少なくなって、遺体の運び出しも容易になりましょう」


 つまりはすぐにでも僕を葬り去りたい気は満々だが、死体の処理だけが気掛かり、ということらしい。

 部屋の外の様子は何も聞こえてこないが、ニコールが殴って失神させたと思われる侍女三人が、そろそろ目覚めるか誰かに発見されるかする頃だ。

 侍女たちの証言から、すぐにも子爵次男の行方捜索は始まるだろう。

 そうなるとさすがに、いかに小さな赤ん坊とはいえ、死体搬出については見咎められる公算が高い。

 一方、この妃の居室に隠している限り、まず見つかる恐れはない。

 後宮内の捜索は始まっても、何か明らかに不審なものがない限り、妃の私室に強制的に踏み入る権限は女官長にさえないはずだ。

 したがって、赤ん坊の泣き叫ぶ声が外に聞こえでもしない限り、ここにいることが知られる懸念はないだろう。


「とはいえ、図に乗るではないぞ。気に障る振る舞いをするなら、すぐに縊り殺してくれる。死体をしばらく隠し置くのが不快になるが、できぬことでもない」

「はあ」

「飲まず食わずでつだけ保たせるのが、手間がかからなくてよいがな。まあせいぜい保たせてみることじゃの」

「なぜ、ぼく、ころす?」

「たいした理由もないわ。目障りなだけじゃ」

「はあ」

「父上もドロテア様も、いつの間にか日和ひよってしまったようだがの。わたしは、目障りなものを許せぬ」

「ふうん」


 実家の伯爵領が利益を得ようが、それまで協力態勢をとっていた第三妃が方針を変えようが、こちらには関係なかったということらしい。

 考えてみると確かに、最も僕を目障りと考えて当然なのは、この第四妃なのだ。

 もしも王位継承が取り沙汰されるようになると、直接僕と争うことになるのは実子のウィリバルト王子だ。

 継承問題が正式に否定されたとはいえ、将来にわたって安心することはできない。国王の気が変われば、それまでのことだ。

 それを別にしても、同じ後宮の住人として、発達に障害があると思われている実子と、奇跡的に優秀とされている赤ん坊を比べて、愉快でいられるはずもない。

 ふつうに考えて疑問の余地なく、僕を疎ましく思う存在の筆頭なのだ。

 今までことさらそうした警戒を向けられずにいたのは、ほとんど第三妃と行動を共にすることが多く、その陰に隠れていたせいではないか。聞く限りどうも、外面そとづら的には優しく気が弱いという印象を持たれることが多い御仁らしい。

 おそらくこの目障りな赤ん坊を排除するにしても、これまでは実家に手を回したり、第三妃をそそのかしたりする方法に依っていた。

 それが最近になって、両方向とも「日和って」頼りなくなってしまった。

 仕方なく、自分で実行する方に舵を切ったということらしい。

 そのため、急に愛想のいい応対をしたりして、僕の周囲に油断が生まれるように取り計らってきたということだろう。


――それにしても、ここまで計画性と無謀なごり押しが入り混じった決行がされるとは、思いもしなかった。


 これも考えてみれば、あり得るのだ。

 前にさんざん検討したことではあるが、改めて見直せば、僕の警備が最も手薄なのはザムの運動時間だ。

 最も手強いテティスとザムが僕の傍を離れる。残るニコールを何とかさえすれば、文字通り赤子の手を捻る状況しか残らない。

 次に可能性があるのは夜中だろうが、就寝中は僕の傍にザムが離れずいるので、躊躇することになりそうだ。

 おそらくのところ、ニコールを懐柔するか、脅迫するかしたらしい。ネタは、病床にあるという母親の存在か。治療費を援助すると申し出たか、人質に取ったか、というところだろう。

 そうして、白昼実行に踏み切った。

 誰が通りかかるか分からない後宮の廊下、日中に、など無謀極まりない。ふつうに考えて、何か犯行が行われたとしても外部との出入口はすべて警護されているのだから、犯人の逃亡はまず不可能なのだ。

 それが今回のように侍女たちの意識を奪って、即座に獲物を妃室に預けてしまえば、騒ぎになる前ならニコールは「ちょっと外出します」と警備の目をかいくぐることができる。

 赤ん坊を入れたと同じ程度の袋を抱えていたのを目撃されているのだから、騒ぎになった後はまちがいなくニコールが誘拐犯として疑われ、追手がかけられる。

 ニコールが遠くに逃げて捕まらない間は、絶対妃室が疑われて捜索が入ることはない。

 無茶苦茶強引で運任せだが、うまく運んでしまえばこの妃の思い通りだ。

 今現在、まだ外に騒ぎが起こっていないということは、まずまちがいなくニコールは外に逃げ延びてしまったはずだ。

 そのまま王都の外まで逃亡されてしまったら、もう僕を見つける手立ては何処にも残らないことになる。


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