第130話 赤ん坊、招く
侍女たちの話によると、グンヒルト第四妃について、お顔を拝見したことはあるが人となりなどについてはよく知らないという。
後宮内の行事などの際でも、第三妃の傍にいてほとんど前に出ることがないのだそうだ。
出身はフリッチュ伯爵家だというシビーラからの情報があったが、それ以上詳しいことは分からない。
フリッチュ伯爵の名は先日植物見本の取り寄せのリストで見た気はするが、僕が製紙の説明で直接会った中にはいなかったと思う。
まあその程度で
「お茶に招待する」というのも儀礼上の口上に過ぎないのかもしれず、何処まで本気で受け止めていいか分からない。実際に話が持ち上がってから考えればいいか、という気もする。
ということで、妃についてはいったん脇に置くことにした。
それよりも、現実翌日に向けて考えることがある。先週の約束通り、明日の午後から王女と王子が訪問すると、正式な報せが来ているのだ。
その準備で、いつになく侍女たちは忙しなく動き回っている。
夕方には、新商会の作業を確かめにもう一度赴いた。
完成した紙漉き道具のでき、煮終わった枝の処理状況など申し分のないことを確認し、子どもたちが帰途につくのを見送る。
「じゃあまた、あさって」
「「「「はーい、さよならあ」」」」
ウィラとイーアンはもちろん、東の子どもたちもすっかり慣れて、元気に挨拶をして帰っていった。それぞれに一人ずつ、護衛役が帯同する。
マーカスによると、初日の業務は思った以上に順調だったとのこと。東孤児院の子どもたちもふだんは悪戯っ子然としているが、作業に入ると熱心だった。孤児院での生活改善を目指したいと、あらかじめ決意を固めてきているらしい。
護衛職二人もそれぞれの出身孤児院への思い入れが深く、子どもたちとうまくやっていけそうだ。
むしろ今日のところは、幹部のマーカスとアントンの方が妙に落ち着かない状況だ。
水に漬けた大量の木の皮を見回して、しきりと首を傾げている。
「本当にこれが、紙になるのですか」
「何とも、信じがたいのですが」
「だいじょぶ、じょんちょ」
前回のグイードたちもそうだったように、子どもたちはわけ分からなくても言われた通りに働いて給金がもらえれば満足なのだが、経営側としてはこの作業が確かな結果を生まなければたいへんなことになるのだ。
一日の作業結果が見たことのない道具と水にふやけた樹皮だけでは、何とも心許ないばかりだろう。
しかしこれも、あと二日ばかり状況を見ていかなければ実感してもらいようもない。
後片づけをする二人を残して、王宮へ戻った。
翌日、土の日の午後は王女と王子の訪問を受けた。
お互いにぎこちなく取り澄ました儀礼の応対をして、席に着く。さすがにこの点では、パウリーネ王女が少しは慣れた態度だ。
しかしジュースと菓子を供すると、その王女の顔からも勿体づけが消えていた。
「何なのですか、このお菓子は?」
「むしぱんという」
「こんなふわふわして甘いお菓子、食べたことがありません」
「さいきん、つくった」
「うま、うま」
姉と並んだ王子は、ほとんどものも言わず菓子を口に入れている。
後ろに控えた侍女たちが、注意をしようか迷っている様子だ。
「ウィリバルト、もっと上品にいただかなければダメですよ」
「ん?」
「でんか、おうじょでんかをみならうといい」
「そ?」
菓子の二個目を運ばせて、王子の意思を確認する。
何処か楽しい遊戯のノリで姉の指導に従うと言い、横を見ながら見様見真似を始めた。
カトラリーの類いは使わなくてもいい作法だが、柔らかな菓子を静かに手で割って、小さな欠片を口に運ぶのだ。
「ん、でんか、そうするとかっこいい」
「そ?」
にっと笑い、少年王子の胸が張られた。
侍女たちの顔は微妙な苦笑に緩んでいる。
その後は床に降りて、カータで遊ぶ。
二人ともすっかり慣れて、「七並べ」をしてもその進行スピードに僕もついていくのがやっとという状態になっていた。何よりパウリーネが、カータの見た目と数字の扱いに慣れたことが大きいようだ。
まあ速さを競うものではないのでそこは問題ないが、深く頭を使うものでもないので勝負もほとんど互角になっている。
それぞれの侍女も参加させながら、ひとしきり白熱が続いた。
一度ひと息入れたところで、王女に尋ねてみる。
「きのかーた、どうだった?」
「使えるけど、やっぱりこっちの薄い方がいいわ」
王女の成人した侍女が、補足の説明を加えた。
「シンケースイジャク」なら木の板でまったく問題ないが、「オオカミとり」を長時間すると疲れる。
ウィリバルト王子より小さい子どもだと、木の板を持ち続けるのは苦しいのではないか。
しかし逆に、小さい子が「シンケースイジャク」のようなゲームを中心にするなら、木の板の方が丈夫でいいかもしれない。
「なるほろ。ども」
ほぼ予想通りの答えだが、実際に使った上での感想はありがたい。
約束通り改めて選ばせて、王女に新品の紙のカータを進呈した。
口に出しては言えないが、感想を聞いた上での献呈というのは、第二妃に一番乗りの満足を与えるための時間稼ぎに過ぎなかったわけで、予定通りの成り行きだ。
またひとしきり遊び、休憩を入れて敷物の上でジュースをいただく。
疲れたので一度抜けさせてもらいたいと申し出ると、パウリーネはぶうと頬を膨らませた。
「もうですか。ルートルフは体力がなさ過ぎます」
「めんぼくない」
「やっぱり子ども同士三人というのは、面白みが違うのです。侍女を入れてもできるけど、何処か違うの」
「うんうん」
「わかるきはする」
「赤ちゃんだから、疲れるのは仕方ないのでしょうけど」
口を尖らせて、手は紙札を玩んでいる。
幼いながらも取り澄ました顔の印象が強いこの王女に珍しい、いかにも子どもらしい表情だ。
「としがちかいと、もっとたのしめる。そんなあいて、いない?」
「いないわ」
「がくいん、はいるんでしょ。おなじしんにゅうがくせいと、かおあわせとかは」
「うーん……」
首を傾げて、王女は肩越しに振り返った。
さっきも応答した成人侍女が、少し考える様子で答える。
「本来は同級生となる高位貴族の子女と前もって交流を持つものと伺っているのですが、殿下の場合予定より一年早まったため、その辺りが少し遅れているのです。近々、王太子殿下のお誕生祝いの機会に、そうした顔合わせも計画されているようです」
「なるほろ」
誕生祝いの宴には王都にいる貴族当主夫妻と成人した子女のほぼすべてが参加することになっているが、この目的のため、侯爵以上の学院入学予定の女子だけ特別に招待され、別室で王女と交流を持つ予定が組まれているらしい。
まだ計画段階で王女本人も詳しく知らされていなかったということで、ふむふむと頷いている。
「なら、そこにかーたをもっていくといい」
「そうですね。そう申し入れましょう。ああ、絵本も持っていきたいです。ルートルフ、売りなさい」
「さんさつ、しんていする」
「それは凄いです」
「たんじょうかいで、うりだすよていあるはず。それ、つたえて」
「分かりました」
そんな、妙に商売がかったやりとりをしていると。
カータ札をいじっていた王子が、いきなり前のめりになってきた。
「僕は、僕は?」
「ウィリバルトはそこに連れていけませんね」
「むう」
「ウィリバルトも一緒に学院に通えれば、いいのですけど。いっそ入学を早めてもらいますか。ウィリバルトの計算力なら、問題ないかも」
「王女殿下、もし年齢と学力的に問題なくても、男子と女子は別ですから」
侍女の注意に、また王女は口を尖らせた。
「つまらない。一緒にすればいいのに」
「そういうわけには参りません」
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