第129話 赤ん坊、始める
頃合いを見て、改めて外出の準備をする。予定通り、新商会の設立場所を見にいくのだ。
ナディーネとテティスを伴い、ザムに騎乗する。当然、後宮を出たところでディーターとシャームエルが合流する。
この形になってから初めて王宮の外に出るのだから、用心の上にも用心をと、護衛たちは気を引き締めている。
裏門前には、ヴァルターがウィラとイーアンを連れて待っていた。これまで執務棟で作業に使っていた道具類を抱えて、子どもたちはなかなかの大荷物になっている。
さらに、正面寄りの門前で父と合流。こちらも文官一人と護衛二人を伴っているので、合わせるとなかなかの大所帯となった。
行く先は、父とヴァルターが承知している。旧ディミタル男爵邸の敷地は王宮から二百マータほどの距離だということで、徒歩移動だ。先日の件があるので断言まではできないが、王宮門番の目が届く範囲の貴族街の中なのだから、治安は悪くない。
それでも、やはり特に護衛たちが緊張の面持ちのまま、短い行進に出た。
安全面とは別に、ザムをあまり人目にさらしたくない事情もあるので、みんなでそこそこ早足になっていた。
正面大通りを外れて、煌びやかな屋敷の間を縫う径路を辿る。
少しして、「あ、あれだ」とイーアンが声を上げた。
通りの右側、大きな屋敷に囲まれた隙間に、木造小屋の外観を見つけたのだ。いつもの通勤路と違う厳めしい貴族屋敷に囲まれた道行きに緊張を続けた末、ようやく見慣れた建物を目にして安堵が零れたということらしい。
「本当に、あの小屋そのままなんだねえ」
「ねえ」
ナディーネとウィラも、はしゃぎ気味の声を交わしている。
小屋の前、門に当たる場所には、マーカスと二人の男が立って頭を下げていた。
一同の顔がやや驚愕の色になっている。考えてみるとザムを見せるのが初めてだったせいだろうが、まあここは慣れてもらうことにしよう。
「ようこそいらっしゃいました、子爵閣下、ルートルフ様」
マーカスが挨拶して、二人の紹介をした。
商人らしいこざっぱりした身なりの小柄な男が番頭役のアントン、大柄な男が護衛役のエムレだという。
エムレは西孤児院の出身で、今もその近くに住んでいる。そちらの孤児たちの行き帰りの護衛を担っていて、今日もウィラとイーアンを送るために呼ばれているらしい。
小屋の中の整理目的もあったが、あまり作業量がなかったので力仕事要員を今日呼ぶのは一人だけにした、とマーカスが説明した。
「一応外観も調ったようだな」
「ん」
父と頷き合い、正面から小屋を眺める。
王宮の庭にあったときと異なるのは、入口の上に看板が打ちつけられた点だけだ。
商社名「ヴィンクラー商会」という文字が大きく書かれている。持ち主がベルシュマン子爵であることを明示するため、領地の村の名をそのまま使ったものだ。
こちらの一行は大人数になっていたが、小屋に入るのは広さの都合で直接商会業務に関係する面子だけにした。
それでも子爵親子、商会長と番頭、孤児二人と護衛役、これにテティスを加えて八名になる。
「うぃらといーあん、ひつようなどうぐとざいりょうそろってるか、かくにんして」
「はい」
「はーい」
明日から他の職員も呼んで製紙作業を始める予定なので、その準備が完全か、経験者の二人に確認させる。
エムレにも手伝わせることにして、道具類を出し入れしながら三人で動き回っていた。
こちらは残る四人で、打ち合わせ再確認。
明日は現状の職員が揃ったところで、ウィラとイーアンの指導の下、全員で製紙作業の習熟を始める。
これには、商会長と番頭、護衛役たちも参加する。
幹部の二人は、とにかく通り一遍だけでも製紙の方法をよく知っておく目的。
護衛たちは今後も、製紙作業を主業務にしていく予定だ。形の上では、製紙をしながら護衛として周囲に気を配る、力仕事には率先して当たる、ということが求められている。
そのため最初は、材料の枝を煮る作業を進めながら、東孤児院の四人と護衛二人はウィラとイーアンとともに、自分用の紙漉き道具作りをまず始めることになる。この木工は幹部二人は見るだけで、後の紙漉き作業は開祖四人が残している道具を使う。
明日一日作業をして明後日は休日になるが、この道具作りと煮た木の枝を水にさらしておく工程まで終えて、週を超えることになる予定にしている。
「あしたは、あさすこしおくれるけど、ぼくもくるから」
「はい、お待ちしています」
少なくとも製紙の工程が一回り終了するまで、小まめに見る必要がある。開祖の四人と違って、ウィラとイーアンは細かい要領まで伝えるのにやや心許ないのだ。
最初が肝心、という意味では、東孤児院の四人にしっかりした技術を伝えておかなければならない。
製紙を始めるのに、必要な道具や材料は揃っている。敷地内に井戸があって水も十分に使える、などの点を確認してこの日は解散することにした。
護衛が孤児二人を送って帰るのを見送って、僕たちも王宮に戻る。
「あとは任せたぞ。私も暇を見て覗きに行こうとは思うが」
「ん」
父ともそんな確認をして、執務棟で別れた。
翌朝は打ち合わせの後、事務仕事のあるヴァルターを残し、メヒティルトと護衛たちを伴って商社の小屋へ赴いた。
中では、全員で製紙工程が始められている。
小屋の外で枝を煮る作業を開始し、中で道具作りの要領をウィラが説明しているところだった。
「「「「お早うございます」」」」
「おはよ」
僕が入っていくと一斉に直立で挨拶がされ、東孤児院側の子ども四人と護衛一人が紹介された。
何処か腕白そうな顔つきの男子が一人、緊張しながらも意志の強そうな女子が三人、いずれも十一歳と十二歳ということだ。
商社業務開始に当たって、全体への訓辞のようなものはマーカスが済ませているので、そのまま作業を続けさせる。
護衛も含めて全員、木工の基礎は身につけているということで、手つきに危うさは見られない。
紙漉きのために肝心な細かい部分のできについてだけ、僕が見て回れば十分だった。
午前中のうちに紙漉き道具の完成、煮終わった枝の処理を終え、水にさらした後の皮を剥ぐ作業の要領説明などをしておく。これについてもウィラとイーアンが細かいコツまで知っているはずなので、任せられるはずだ。
午後からは時間差で次の分の枝を煮ながら、皮剥ぎ作業を進める。二回分の量の皮剥ぎ、水さらしまで終えて、今日の業務終了の予定だ。
そこまで確認して、僕は王宮に戻った。
「いまのとこ、じゅんちょ」
「そうか」
父と昼食をとりながら、確認打ち合わせをする。
その後、後宮へ帰還。
執務棟からの扉をくぐった。ところへ。
「あら」と、やや遠くから声がした。
見ると、女官室の方から侍女を先頭とした一団がしずしずと近づいてきている。
どうも、妃殿下の御拾いらしい。
侍女三人、護衛二人が前後を固めている。その中央に、小柄だが豪奢な装いの女性がきりりとした顔をこちらに向けている。
「第四妃殿下です」
囁きかけて、メヒティルトが僕を下ろしてくれた。
隣で、テティスがしっかりとザムの紐を持ち直す。
侍女と護衛が廊下の隅に膝をつき、僕も腰を屈めようとしていると、
「そのままでいいですよ」
と、声がかけられた。
赤みがかった金髪の若い女性が、侍女を両脇にして進み出る。
「は」
「挨拶したかっただけなんですよ。ルートルフ様ですね」
「は。るーとるふ・べるしゅまん、でしゅ」
「グンヒルトです。先日は、結構なものをいただきました。それと、ウィリバルト殿下と遊んでくださったそうで、ありがとうね」
「は」
「何でも面白い遊びを教えてもらったと、殿下が喜んで話していらっしゃいました」
「きょうしゅくでしゅ」
「わたくしもそんな、新しいもののお話が聞きたいわ。一度、遊びにいらっしゃい。殿下と一緒にお茶に招待しますから」
「かたじけなくぞんじましゅ」
「では、また改めてね」
華やかな笑みを見せて、元来た方向へ戻っていく。本当に、向こうからこちらを見つけてわざわざ出向いてきたらしい。
頭を下げてその後ろ姿を見送り、部屋に入った。
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