第128話 赤ん坊、招きに応じる 3

 すぐに慣れて、妃はソリティアについてはそれほど頭を使わずに続けていけるようだ。

 そう見てとって、横から問いかける。


「でも、さいしんのものがたり、できわるかった?」

「うむ」

「さっきそこに、いたのほん、ころがってたけど」

「うむ。読んでいて我慢できず、放り投げた」

「わ」


『どこぞの美食家の、卓袱台返しのようなものか』と、頭の中で呟く声が聞こえた。

『こんなものが食えるか!』という、遠い効果音付きで。

 まあ何というか――こちらは放っといていい気はする。


「そんな、ひどいできだった?」

「うむ。文章や、細かい描写やがおかしいわけではないのだがな」

「じゃあ?」

「そもそもの設定が、おかしい。勝手に作った世界に、辻褄が合っておらぬ」


 首を傾げていると、じろりと横目を向けられた。

 それでも、ふん、と鼻を鳴らして続けられる。

 もしかすると、愚痴や悪態を吐き出したかったのかもしれない。


「恋物語なのだがな。男女区別のない、身分差のない騎士団という設定の中で、伯爵令嬢と平民の男が恋に落ちるという」

「ふうん」

「そもそもが、貴族の治める国の中でそんな騎士団があり得るわけがなかろう」

「だね」

「現実にはない設定を物語の中で作ってはならん、と言っているのではないぞ。例えば、たまたま奇跡的に武術に秀でた一人の女子おなごが現れて騎士団に取り入れられるとか、超優秀な平民の男が現れて貴族と同等に扱われるとかいう、一過性の特殊なものなら現実にはなくても物語の中ならあっていいかもしれぬ」

「ん」

「しかし、王族貴族の治める国での機関として、元から男女平等、身分差撤廃を謳ったなどというものがあり得るはずはない。真っ当な貴族がそんなものはなから考えるはずもないし、もしそれがあり得たとしたらこれは我等の想像する貴族の社会ではない」

「ん」

「そんな理に合わない機構を作った貴族社会にいて、そんなところに自分の娘を入れておいて、『ああ我が娘は親の想いを裏切って道ならぬ恋に走った』と嘆く親など、馬鹿馬鹿しいと笑う以前に、これは元々人間らしい正常な思考をする登場人物として考えられていないという他断じようもない」

「ん」

「そんな理に沿っていない設定の世界で、正常思考をしているとは到底思えぬ人物ばかりを登場させた物語の、何処に読者は共感を覚えればよいのじゃ。もしそれが現実とは価値観と思考形態の異なる貴族の世界を描いたというなら、まず最初にきちんとそれを納得いくよう説明すべきだろう」

「ん」

「つまり、どう考えてもこれは、物語の都合だけで安直に世界設定を作り上げた、作者の怠慢の産物としか思えぬ。脳内に花が咲いている作家が、同様に花咲き頭の読者を想定している以外、考えられぬものじゃ」

「ああ」


 言葉は、辛辣極まりない、わけだけど。

 まあ、妃の言いたいことは分かる。

 というか、妃の言う以上に、納得してしまう。

 そんな男女平等、身分差撤廃を謳った機関など、確かに貴族の世界であり得るはずがない。

 身分制度はもちろん、男女の役割分担の明確化は、貴族社会の根源だ。

 貴族が貴族として、血縁や婚縁をもって家の維持と発展を希求し存続する限り、それらを崩す危険を冒すなど、天地がひっくり返ってもあり得ようがない。まあ正確を期すと、個人単位なら一部の例外を除いて、ということになるが。何処にだって、変人というものは存在する。しかし政治機構の中で複数の者の意見一致を見た機関がそうなっている、などということは何がどうあってもあり得ない。

 最も卑小な点で例を挙げれば、貴族当主は娘に親の決めた婚姻に従わせなければならない。男女区別のない機関などという、若い者たちが自由恋愛に流れることが容易に想像される場に、我が子が入ることを是認するはずがないのだ。

 それ以前に、しつこいようだがそんな危険の生じるような公立機関の設立を、自分たちが胡坐をかく社会制度を揺るがしかねない懸念を上回る何らかのよほど切迫した理由もなしに、貴族たちが企図するはずが絶対にない。

 この辺、愚痴混じりの妃以上に、僕には確信が持てる気がする。

 また例によって『記憶』を検索すると、あちらのかなり過去、世界各地にさまざまな貴族社会のようなものはあったらしい。そのすべてをつぶさに知ることはできないが、知れる限りそれらの社会にこのような「男女平等、身分差撤廃を謳った機関」といったものは見つけられない。そのようなものが世に出現するのは、何処もまず例外なく貴族社会の崩壊の後だ。

 つまり向こうの世界で、歴史が証明している、と言ってもいいようなのだ。

 あり得ない、のだ。

 たまたまない、ではない。これもしつこいようだが、貴族が貴族である限りあり得ない、のだ。

 そんな単純なことを、作家のような頭の使い方をする人間が、理解できないのだろうか。

 まあ、そういうことだ。

『記憶』が『御都合主義』『右へ倣え』などという、分かったような分からないような言葉を伝えてくるが。

 妃の言うように、脳内に花が咲いているかどうかのレベルの問題、という気もする。


「読むに値しない、と思うからの。そのまま捨てる心積もりじゃが。其方、要るか?」

「うーーん」


 印刷した物語本を世に広めるに当たって、とにかく何でも種類が多いことが望ましい。多少の質の善し悪しには目をつぶる、という判断はありそうだ。

 妃言うところの「花咲き頭の読者」なら喜ぶかもしれず、まったく売れないとも限らない。

 一方で物語の質判断については、まずこの妃の目を信じると過日決めたのだ。

 最初期の刊行物だからこそ、内容も高品質を保って一定の水準を確立すべき、という考えもあるだろう。神話など以外の物語フィクションのような本が、これまでは手書きであってもほとんど存在しない、ここで世に出すのが嚆矢こうしとなるのだから、そこは譲らずにいくべきと言える。

 今のところ、印刷に回す原稿数が足りないわけではない。とすれば、妥協は抑えるべきなのだろう。


「いらない」

「そうか」

「あ、それから。こんご、きさきでんかのまねして、さっかをさがすつもり。いい?」

「そんなことは勝手にせよ。作家探しに、特許を取ったわけでもない」

「ん、ども」

「殿下の命で探したのは、貴族街近くが中心でしたからね。もっと広域には、まだ見つかるかもしれません」

「そ。ども」


 タベアの付言にも、礼を返す。

 妃は黙って頷きながら、カート札を摘まむ手を動かしている。

 一言くらい嫌味を言われるかとも思ったのだが。もしかすると、こちらで作家を発掘すると将来的に読める本が増える、という計算が働いているのかもしれない。


 招かれた茶会は、上々の首尾に終わった。

 戦利品の物語の板本をカティンカに整理させて、僕はほくほく上機嫌になっていた。

 今読んでいる図書館本と優先順位を考えて、侍女たちに写本と挿絵描きの順番指示をしておく。

 メモをとりながら、カティンカが首を傾げて小さく笑った。


「王太子殿下やゲーオルク様にカータを差し上げなかったのは、このためだったのですか」

「ん」

「妃殿下は、いちばんに差し上げます、という言葉にそこそこ弱いですからねえ」シビーラも苦笑で言葉を加えた。「でもそれにしても、王太子殿下への献呈を抑えて妃殿下を優先というのを功利計算の上でお決めになるのですか。ルートルフ様のお考えには、感服するというか」

「ほめてないね、それ」

「身分順では王太子殿下が上ですからね。後宮の中で考えると、斬新だと思われます」

「そ」


 苦笑しながら侍女たちが動く中、僕はソファで身体を休める。

 今日はこの後まだ動き回る予定があるので、少しでも疲れはとっておきたいところだ。


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