第126話 赤ん坊、招きに応じる 1

 それでも止まらず、僕は話し続けた。

 芯の製造に成功したら、それを持ちやすくする軸部分も開発検討してほしい。

 全体を細い木で覆う方法、木の軸の先に芯を装着する方法など、いろいろ考えられる。

 そんな開発の当てがないならイルジーに相談を回す、と言うと、慌ててゲーオルクは手を振った。


「いやいや、うちの領のツテで、何とかやらせてみる」

「そ」


 そういうことなら、任せていいだろう。

 芯の方は、試行錯誤でおそらく物になるだろうという確信に近いものが持てる。

 この鉱物が『記憶』にある『黒鉛』と完全に一致するものかは分からないが、粉の感触と色合いからして、粘土と混ぜて筆記に使えそうなのはまちがいないと思えるのだ。

 ただ、へたをして毒性を持つなどということがあれば使用に注意が必要になるので、そこはあらかじめ調べておかなければならないだろう。

 そんなことも含めてすべてヴァルターにまとめさせ、ゲーオルクに手渡した。


「うまくすると大きな利益を生む製品になるぞ、ゲーオルク。ルートルフの話の通りなら、紙と一緒に大きく普及することが期待される」

「だな。領地の者に、発破をかけていこう」


 来たときとはうって変わった気合いの入った様子で、二人は帰っていった。

 残されたこちらは、ナディーネに本類を片づけさせて、何事もなかったかのように元の作業に戻る。

 少しの間いろいろと頭を使ったが、思いついた成果はすべてあの二人に丸投げして、何ともすっきり満足の気分だ。


 この日も午に訪れた父からは、作業小屋移転の状況を聞いた。

 ここの裏庭からの撤去は完了。ただちに移転先に運んで、組み立て作業に入っているという。予定通り今日中には終わりそうだということで、その手際のよさに、たいしたものだと感心してしまう。

 マーカスとアントンは、その作業を見守ったり、製紙用の資材をアイスラー商会などから仕入れる段取りをつけたり、雇用予定の者たちと連絡をとったりと、動き回っている。

 移転した作業小屋内の整理のため、護衛職の二人には今日の夕方から勤務を始めさせるという。

 何でもその二人はそれぞれ、西と東の孤児院の出身で、今も院と同方向の辺りに下宿している。孤児たちに仕事をさせるに当たって、毎日朝夕の送り迎えから護衛任務に就かせることができる、というのも採用理由のうちだという。


「あのマーカス、そういうところもよく気が回っているようだ」

「ん」


 と、父はしきりと雇われ商会長候補に感心していた。

 僕からは、今日の午後第二妃の部屋に招かれていることを話す。


「おかし、よういすること、めいじられている」

「うむ……妃殿下のお考えはよく分からないが、失礼のないようにするのだぞ」

「ん……」


 同意したいのはやまやまだけれど。

 あの妃に、何が失礼に当たって何が気に入られるか、微妙なところで理解に余るところがある。


「たしょうしつれいなくらいが、おきにめすかも」

「……勘弁してくれ」

「まあ、どりょくする」


 新しい菓子の作り方については、記録してある。

 何かの機会に領地に届けてほしい、と父に書板を渡した。

 柔らかく甘く食べやすいので、母やミリッツァが気に入りそうだと思うのだ。


「おねがい」

「うむ、分かった」


 後宮に戻って、しばし休息の後。

 頃合いを見て、妃部屋への移動を開始した。

 侍女四人、護衛二人程度の随伴は常識内程度ということなので、全員を伴うことにした。

 ザムへの騎乗も、了解を得ている。

 部屋に招き入れられ、下乗して、頭を下げる。


「きさきでんか、ほんじちゅはおまねきにあじゅか――」

「別に、其方の招待が目的ではないわ」


 前と同様の位置どりでソファに座った妃は、あっさり挨拶を遮り、荷物を持つカティンカに顎をしゃくった。

 おどおどと、カティンカはお土産を相手の侍女に手渡す。

 僕はタベアに抱き上げられて、妃の隣に座らされた。


――どうにも、貴族社会や後宮に初心者の子どもに、作法を教えようという気はないようだ。


 挨拶もそうだが、主客向かい合ってテーブルに着く、などという応接の慣例に従う気もないらしい。

 堅苦しくなくて気が楽ではあるけど、これでいいのか、と思ってしまう。

 儀礼だけでなく、妃はどこか機嫌を害しているようだ。

 部屋の様子も客を招く用意がされているという印象ではなく、見ると妃の椅子の横に板が数枚乱雑に転がっている。

 それでも主客の挨拶が済んだという判断だろう、侍女が一人やや忙しなく寄ってきて、その板を片付け始めた。見ると、先日もいくつか見せてもらった、物語の本のようだ。

 その一件は主側も客側も暗黙の了解の見ない振りで、何事もなかったかの取り澄まし顔でタベアが茶器を運んできた。

 別の侍女がそれに続いて、土産に渡した菓子を皿に載せて携えてくる。

 香しい紅茶を目の前に置かれて、妃は静かにカップを手にした。

 一口して、ふうう、と穏やかな息が漏れる。

 もしかすると直前に腹立たしいことがあって、気を落ち着けているのかもしれない。

 僕も合わせて、白湯のカップを両手で持ち上げる。

 礼儀次第に合わせて「けっこうなさゆでごじゃいます」と口にしようかと思ったが、「わざとらしい」と頬をつねられそうなのでやめにする。

 すぐに、妃の目は皿の上に向いている。


「これが、新しい菓子じゃな」

「ん」

「形はいびつだが」

「それが、たまにきず」

「まあ、問題は味じゃ」


 皿に二つ並べられた、上部が弾けた小さな円柱状の作りをややしばらく眺め、フォークを近づける。

 小さな一片を口に運んで、しばし舌の上に味わう様子。ややあって「うむ」と頷き、手の動きが戻った。

 とりあえずは、お気に召したらしい。

 僕の前の皿に目を転じて、「切りましょうか」とタベアが尋ねてきた。


「ん、おねがい」

「かしこまりました」


 器用にナイフを動かして、二つの円柱をそれぞれ両断してくれる。

 柔らかい菓子なので僕も自分でフォークを使うことができるのだが、例によってこのままでは少々量が多いのだ。

 気に入ったようなら妃に進呈するために半分を皿の隅に寄せ、残りにフォークを使って口に運ぶ。

 想定通りの柔らかさと、上品な甘さだ。


「この菓子は、何と言う?」

「むしぱん」

「ふむ……パンなのか?」

「ほとんど、ふつうのぱんとおなじ。あまみをつけて、こうぼでふくらませて、むす」

「蒸す、というのはどういうことだ」

「ゆをわかした、じょうきでかねつする」

「ふうむ。そんな調理法があるのか」

「それでこんな、しっとりやわらかくなる。うえがはじける、しかたない」

「ふうむ」


 以前にエルツベルガー侯爵家でも珍しがられたように、蒸すという調理法はあまり普及していない。

 今回もクヌートに理解させるのに少し苦労したし、この調理をしているとかなり厨房の他の者たちの関心を集めたらしい。

 そういう現状だから、材料はありきたりでもでき上がりはそこそこ面白がられるのではないか、という目論見だ。


「こっちのもうひとつは、何処か違うのか」

「かんそうしたくだもの、はいっている」

「ふうむ――なるほど、ブドウとリンゴじゃな」

「ん」


 干しブドウはエルツベルガー侯爵領の産物だから、この妃には馴染みがあるはずだ。

 一片を口にして、すぐに判別がついたらしい。


「む……なるほど、合うな」

「でしょ」


 数度頷いて、妃のフォークの動きが速くなった。

 僕の皿から半分を移動しても、すぐに跡形もなく消えてしまう。

 ふう、と息をついて、口元を拭っている。

 心なしか、さっきまでの不満の色が薄まったようだ。

 落ち着き、ティーカップを口に運んで、じろとこちらに横目を流す。


「次の月も、期待しておこうかの」

「……は」


――お手柔らかに……。


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