第124話 赤ん坊、調べる
翌日、予定としてはほぼ終日かけて作業小屋の移動、午後には第二妃の部屋への訪問が入っていた。
前者については、父とマーカスがやや忙しく動くことになるが、僕はそちらに丸投げ。完成後の夕方に孤児たちを連れて見にいくことにしている。
後者の準備は侍女たちに任せてきているので、まず心配はない。
前日からこの朝にかけて、ヴァルターは孤児たちの件と妹の件の手続きで王宮庁とやりとりしていたが、それも落ち着いたようだ。家族会議でも納得を得て、妹は来週の頭からこの部屋に通ってくることになっている。
ということでこの日の午前は特に動くこともなく、僕は執務室の机で読書に耽る。
横ではナディーネが写本作業をしている。
ぱたんぱたんと板を捲って。
ふと記述に気になるものを見つけ、僕は顔を上げた。
「なでぃね」
「はい」
「せんしゅうよんだ、しゅとっくはうぜんのやくにんのとうざいきこう、しゃほんはここにあった?」
「ああはい、そこのたなにあるはずです」
すぐに立ってきて、書棚に置いたいくつかの紙の束を検分する。そこから、たちどころにひと束を取り出してきた。
印刷製本は予定していないので、紙に写したものにくるりと紐を巻いて束ねただけだ。
「こちらです」
「ん、ども。ひらいて」
机に置かれた束を結わえた紐が、ナディーネの手で解かれる。
「まんなかよりすこしまえ、だとおもう。みなみののうそんをみてあるいた、というぶぶん、さがして」
「はい」
ぱらぱら手早く、紙が捲られ。
まもなく侍女の手は止まる。
「ここ、ですか」
「ん」
板本の上の四つん這い姿勢から首を伸ばし、こちら向きに直された紙を僕は覗き込んだ。
それぞれの記述を前後し、読み比べる。
「ばるた」
「はい、何でしょう」
「としょしつから、いますぐほんをかりてこられる? たいりくのかざんかつどうのきろく、わかるもの。とくに、しゅとっくはうぜんの、へるつふぇるとれんざん」
「シュトックハウゼンのヘルツフェルト連山ですね、はい」
「それからこっちの、やくにんのとうざいきこうってのも、もういちどかりたい」
「承知いたしました」
出て行った文官は、半刻も経たずに戻ってきた。
司書の手が空いていて、指定のはっきりした本の貸し出しは手間がかからないらしい。
「こちらですね。ヘルツフェルト連山の火山活動の記録を調べればよいのですか」
「ん。さいしんのふんかは、いつか」
「えーと、これですね。シュトックハウゼンの暦ですが、これですと――三百四十四年前ということになりますね」
「ん、やっぱり」
「どういうことですか」
「いまよんでるこっちのきろくも、ふんか、344ねんまえということになる」
「えーと、はい、そうですね」
「でもこっちの、とうざいきこうだと、325ねんまえになってしまう」
「はい?」
「そっちのもとのほん、みせて」
借りてきた板の本「シュトックハウゼン役人の東西紀行」を、机の上に開かせる。
ナディーネにさっきの写本と同じページを開かせ、写しまちがいはないことを確認する。
「ここ」
「ああ。一年前のヘルツフェルト連山の噴火の影響でこの年も南の地方での不作が続いている、とありますね」
「で、13ぺーじあとに、ねんごうのきじゅつがある」
「はい……確かにこれだと、噴火は三百二十五年前ということになりますね」
「ん。こっちのにさつ、いっちしているから、ふんかは344ねんまえで、まずまちがいない。とくに、かざんのせんもんしょ、まちがうとおもえないし。それに、そのご、ふんかはないはず」
「この紀行の筆者の記述まちがいか、この本自体シュトックハウゼンにある原本の写しのはずですから、写しまちがいか、ですか」
「どっちにしても、そのふさく、343ねんまえということになる。いちねんまえのふんか、というのも、まちがえそうにない」
「ですねえ。いやこの三百年以上前ということになると、はっきり年代の分かる記録が少ないんですよね。その中でこの『東西紀行』は、数少ない年号が記述されたものとして貴重な資料ということで、各国に写本が出回っているはずです。重大な発見ですよ、これが年紀まちがいだとすると」
「ん」
目を輝かせて、ヴァルターの口調に熱が籠もるが。
隣のナディーネはきょとんと、首を傾げていた。
「三百二十五年前と、三百四十四年前、ですか。二十年足らずの違いですけど、そんなに大きなことなんですか?」
「学術的には、たいへん大きな違いです」
「ん。それと、もっとだいじなこと、ある」
「何でしょう」
「そのきこう、もう20ぺーじくらい、あと」
「はい」
ヴァルターとナディーネが、それぞれ板本と紙の写本のページを捲っていく。
そうしているところへ、ノックの音がした。
「王太子殿下がお越しです」
「え、え――はい」
呼びかけに慌てて応えて、ヴァルターは戸口へ寄っていった。
こちらは図書を乱暴に扱うわけにもいかず、今借りてきた本から順にナディーネに片づけさせる。
開いた扉からは、王太子とゲーオルクが連れ立って入ってきた。
今日は会談の予定はなかったはずだが。
僕と同様の疑問を持ったようで、ヴァルターが首を傾げている。
「お揃いで、何かありましたでしょうか」
「いや、たいしたことじゃないんだが。少し息抜きをしたくなったのでね」
言葉の通り、少し暢気そうに緩めた表情で王太子は苦笑している。
少し前まで通商会議の準備で忙殺されていたということがあったので、その反動ということだろうか。
「それこそ急ぎじゃないようだが、ゲーオルクがここに用があるというので、便乗してきたんだが――おや、何か読書で見つけたのかい」
「何かまた、国の役に立つことか?」
「あ、いえ――」
まだこちらの机に広げた複数の本を見つけて、ふつうの読書中ではないようだ、と二人は興味惹かれたらしい。
それに否定を返そうとした素振りから、ヴァルターはさらに思い返したようだ。
僕に軽く頷きかけてから、笑い返す。
「お急ぎの用でないのなら、こちらも殿下はご興味を持たれるかもしれませんね。有名な古文書にルートルフ様が誤りを見つけたということのようで」
「ほう、どういうことだ」
二人に指定席にかけてもらい、僕も席を移動して。
テーブルの上に本を広げて、ヴァルターがさっきからのやりとりを説明した。
「へええ、確かにな。私もこの本は何度か読んだが、気がつかなかった。確かにそれだと、この年紀はまちがっていることになるね」
「そうですよね」
「なるほどなあ。この本、年の記述はここだけか? 噴火の件とかなり離れて書かれているから、気がつきにくいかもしれんな」
「それにしても、うん。この『東西紀行』ってやつ、この時代には珍しく五カ国を東西に横断して歩いた記録で、各国にとって貴重な資料になって写本が出回っているはずだな。もしこれが原本からの誤りなら、すべての国に影響を及ぼす。シュトックハウゼンに問い合わせて、その点を確認すべきだろうな」
「そう思います」
「それにしても、急ぐ話じゃない。今の通商会議のわたわたが収まってから、ゆっくり検討すればいいんじゃねえか」
「もしかすると、いそいだほう、いいかも」
何処か学生時代ふうに笑い合う三人に、口を入れた。
きょとん、と王太子が見返してくる。
「何かあるのか?」
「もしかして、もっとだいじなこと」
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