第123話 赤ん坊、献呈する
午前中の話が長くなったので、ヴァルターの妹の絵についての検証は、父が戻っていった後になった。
板に描かれた多数の人物画を見て、カティンカは何度も頷いている。
「やっぱり、対象の
「ん。れんしゅうすれば、じょうたつしそうかな」
「ではないかと」
「ばるた、いもうとさん、そのきあるみたい?」
「はい。カティンカの絵がずいぶん気に入っていて、自分もこんなものを描いてみたいと。これを仕事にできるなら、ぜひともやってみたいと言っていますが……」
家族の心配は当然、本当に才能があるのか、ものにならなかったとした場合いわゆる「潰しが効く」のか、という点だろう。
本人と家族のこれまでの意向は、来年頃を目処に侍女などの職に就けるようにしたい、見習いから入れるような先を探していこう、ということだったようだ。
僕の考えとしては、しばらくカティンカの傍につけて絵の修行をさせたい。そちらで芽が出ないようなら、侍女としての就職先を探してあげる、という方針だ。
そのため、僕が個人で侍女見習いとして雇う、と王宮庁に手続きをしようと思う。後宮でも、個人雇用の侍女を入れることは認められているはずだ。
当面、朝は兄と一緒にこの部屋へ来て、カティンカの指導を受ける。午後からは後宮に連れていって、侍女の仕事を見学、見習いで手伝わせる。夕方に執務室へ送って、兄とともに帰らせる。
そう提案すると、「そこまで考えていただいて、もったいないです」とヴァルターは恐縮の態になっていた。
「家に持ち帰って、妹と母と相談させていただきます」
「ん、よろしく」
本人と家族の意思が決まり次第、雇用の手続きをする。
侍女見習いの雇用条件等の決まりはあるらしいので、それに基づいてヴァルターに諸手続を任せることにする。
後宮の部屋に戻って、いつもの流れで作業状況の確認。
テティスはザムの運動に出かける。
少ししたところで、女官室から連絡があった。アイスラー商会から荷物が届いているということだ。
せっかくなので、侍女四名護衛一名、全員連れ立って見にいくことにする。
ザムがいないこともあり、女官室の先の階段を降りた荷物搬入用の裏口が目的地なので、僕も運動のため徒歩移動だ。
「献呈品、ですか。後宮の皆様方へ?」
「ん」
侍女たちには初めて伝えたので、シビーラも困惑の顔になっていた。
僕が後宮に居を移してからひと月を過ぎたことになるのだが、考えてみると、先住の方々に正式な挨拶をしていない。
この点どういう仕来りに則っていけばいいのか、王太子にも相談したのだが、はっきりしたものが出てこない。要するに、前例がないのだ。
後宮の新住人といえば、新しい妃か、誕生した王子王女か、ということになるわけだが、僕の場合後者に近いとはいえそのまま当てはまるものではない。
新妃の場合は先輩諸氏に贈答の品を用意し、茶会に招待して顔合わせをする、という辺りがふつうの慣例らしい。
新王子王女の場合は当然、母后から挨拶が回る。とはいえ前にも触れたように、生誕直後に告知ということはまずなく、一年以上経過してからのことになるようだ。
僕の場合は茶会を開くのも妙な話だし、親が後宮にいるわけでもない。記録に残っていないようだが同じような先例を探すとしたらおそらく、代わりの親になる妃がいるか、公爵侯爵くらいの大きな後ろ楯がいるか、ということになるだろうから、やはりそちらに倣うこともできそうにない。
だいたい最初から王命で「身体一つで来い」と言い渡されているのだから、そんな改まった礼を尽くす謂われもないことになるだろう。
そもそもひと月前に入宮した時点では貧乏男爵の何も持たない次男だったわけで、贈答品も茶会も無理な話だったのだ。
ということで、このまま知らん顔をして時の流れに任せていてもよかったのだが。
少しばかり、予想外のことがあった。
先日父が受け取った僕の給与が、思いがけないほどに高額だったのだ。
王族同等待遇、ということになっていたせいらしい。初任給だというのに、父の分をはるかに超えていた。これには正直、驚きだった。
――まあ別に、誰に憚る必要もないのだろうけど。
しかし何というかこれで、「貧乏男爵の何も持たない次男」という前提だけは崩れたことになる。事実上残っているのは「次男」という点だけだったりする。
特許使用料のこともあるし、新商社を開くということになったのだから、なおさらだ。「僕貧乏だから」と惚けているわけにいかない。
というわけで。赤ん坊が茶会を開いて妃を招く、というのも少々妙なものなので。最も無理がないだろう、挨拶代わりの贈答品を用意、だけ実行することにした。
つい先日、国王から僕の処遇の再確認通知が回ったことだし。後宮に入ってひと月、「挨拶が遅い」と非難を受けずに済むかもしれないぎりぎりのタイミングでもあるだろう。
ついでに、アイスラー商会のホルストたちの新部署立ち上げ祝い、ということにもできる。ということで、注文を出していたものだ。
「うわあ、壮観ですねえ!」
「何台あるんですか、これ?」
「はちだい」
後宮裏の荷物搬入口へ行くと、侍女たちが驚嘆の声を上げた。
待っていた女官長とヨハンナも、困惑の顔だ。
見た目無骨な木造のそこそこ大きな荷物、屋内用の台車が八台、ずらりと並べられていたのだ。
一応、侍女たちに手分けして軽く押させて、動きに問題がないかを確かめておく。
その上で、女官長に依頼した。
「これ、でんかたちのおへやにいちだいずつ、けんていしてほしい」
「は、はい、かしこまりました」
「のこりにだい、にょかんしつでつかって」
「ああはい、ありがとうございます」
見た目は無骨だが、各部屋で湯や水などの運搬に重宝するはずだ。こっそり第二妃の侍女に確かめさせたところ、うちの部屋の湯瓶運搬の様子を羨ましく見ていた、という向きはまちがいなくあるらしい。
部屋付き以外でも、洗濯係などで大荷物運搬の仕事があるので、用途に事欠かないだろう。
王族の方々、四名の妃と王女王子の部屋用とする六台については、一応外観を良くするように塗装に工夫を凝らし、王家の象徴であるカオリサルタの花を持ち手棒の力があまりかからない箇所に彫るようにと注文した。さすがに優秀な彫り職人を抱える商会なので、細かい切れ込みの入った繊細な花の形がなかなか見事な出来映えになっている。
こういった意匠を見慣れているはずの女官長とヨハンナも、感心の様子でためつすがめつ鑑賞していた。
「これはたいした技術ですね」
「はい、腕のいい職人の手によるものと思います」
王家の紋章通りのものを無断で使用するわけにはいかないが、同じ花で調度品などによく使われるデザインがあるらしい。それを元に、細かい彫りにもかかわらず使用に当たって邪魔になったり破損したりがしにくいような、場所と形が工夫されているようだ。
これほどの製品を四日ほどで揃えるなどかなり無理をさせたことになるが、これまでの僕との繋がりと王宮向けの製品ということで、商会ではかなり張り切ってくれたらしい。
台車とともに、小振りの袋に入った荷物も届けられていた。製品化第一号が形となった、洗濯挟みが二十個入っている。
それをカティンカに持ってこさせて、女官長に渡した。
「これも、あげる。しんせいひんなので、せんたくがかりにつかわせて、つかいがって、しらべてほしい」
「はい――何でしょう?」
道具を袋から取り出してカティンカに使い方を披露させると、年輩女官二人が目を丸くしていた。
「これは確かに、便利そうです」
「洗濯係が重宝するでしょう。さっそく使わせていただきます」
何度も礼を言われながら、部屋に戻ることになった。
ところどころナディーネに抱き上げてもらったものの、ほとんど徒歩と立ちっぱなしの道中で、かなり僕の足の訓練になった気がする。
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