第119話 赤ん坊、商会長候補と会う 3

 続けて僕は、メヒティルトの荷物から本を取り出させた。

 植物図鑑と物語本、同じ本を二冊ずつ用意してある。

 手に取って、マーカスは丸くした目を輝かせていた。


「これが、印刷……」

「ん」

「同じものが、何枚も作れるわけですか」

「そう」

「この商会の最初の大きな目標として、こうして印刷した本などを広く普及すること、が一つある」


 父の付言に、マーカスはごくりと唾を飲んで頷いた。

 続けて出てきた、どれだけ手間がかかるのか、作成にかかる諸経費は、などの質問にはヴァルターが答える。

 物語本類は、まず近日中に貴族の間に公開する。しばらくの間はそうした、貴族に対する販売が中心になる。そうしながら、一般市民への普及の道も探っていきたい。

「なるほど」と、マーカスは喉で唸っていた。


「これはやはり、識字率の向上が将来的に大きな意味を持っていきそうですね」

「ん」

「この印刷というもの、紙そのものに負けないぐらい、さまざまな可能性を持っているんじゃないですか。普及が始まったら、世の中の仕組みが一変しそうな恐怖さえ覚えます」

「かもね」

「一般の商会などでも、いくらでも用途が考えられますよ。取扱い商品の一覧を客に示すとか、今まではいちいち書き出したり口で説明したりで一苦労していたのが、これを使えば前もって用意していつでも出してみせられるということになります。そういった需要を一手に引き受ける商売ができるということですね」

「ん」

「本当に、今まで想像もつかなかった業種で、やろうと思えばいくらでも暴利を得る方法もありそうですが。今の話では、御国の利益も考えて、より普及を優先する経営が望まれるということですか」

「そ。おうぞくからのしゅっしもあるから、そこははずせない」


 手早くペンが動き、要点を書き留めている。

 続いて、僕は物語本を開くように促した。


「こういうものがたりのほん、みんしゅうのあいだにあまりない、きいた」

「そうですね。そもそも本などというものは高価すぎて、裕福な商人の家にもほとんどないでしょう。子どもへの寝物語は、口伝えに覚えてくるものです。あとは吟遊詩人の歌語りを聞く程度でしょうか」

「このものがたり、いんたいしたぎんゆうしじんに、かかせたらしい」

「へええ、そうなのですか」

「そういうさくしゃ、さがしてかかせる、まかすにたのみたい」

「はい」


 これも詳しくは、ヴァルターから説明させる。

 これまでに、妃殿下が元吟遊詩人を見つけて書かせてきた経緯。

 現在素案として考えられている、著作権制度の概要。

 ふんふんと頷きながら、マーカスはメモを取っている。


「お貴族のご婦人方にはこうした恋愛ものの物語が好まれるのかもしれませんが、庶民には吟遊詩人の持ちネタでも冒険ものの方が受けそうな気がしますね」

「かも。でもほんはこうかで、こうばいそうはかねもちにかぎられる。そこをかんがえる、ひつよう」

「はい、その辺を考慮して作者と交渉ですね」

「ものがたりいがいにも、ほんにしてうれるもの、かんがえて」

「ああ、はい」

「まず、きそもじひょう。たぶん、うれる」

「ああ、そうでしょうね。子どもの読み書き学習用に、今はそれぞれ個人で板に書いて用意しているものですが、手頃な価格ならあっという間にそれらと入れ替わりそうです」

「あと、でまわっているこくもつややさいのずかん、ちょうりのほうほうをつけて」

「ああ、確かに需要はありそうです」

「かうことできる、かぎられてるから。ほんをならべてかしだすみせ、おうとにいくつかつくりたい」

「は――!」


 目を丸くして、マーカスは僕の顔をまじまじと見詰めていた。


「それは――思いつきませんでした。確かにそれ、商売になりそうです」

「でしょ」

「凄い発想ですよ。貸し出しの価格設定はなかなか難しいでしょうが、うまくすれば絶対客が集まります」

「ん。これもまず、さいしょはきぞくあいてからかな」


 同意を求めて横のヴァルターを見ると、強ばらせた顔をかくかくと縦に振っている。

 父も含めて、まったく頭になかった思いつきになるらしい。

 マーカスは興奮気味に、ペンを走らせている。


「凄い、凄いです。将来的にはこれも、王都以外にも広めたいですね」

「ん」

「何しろ王都以外、離れれば離れるほどこうした――あ!」

「どうした?」

「ちょ――ちょっと待ってください――」


 両こめかみの辺りを掌で押さえて、マーカスは瞬時固まったようになっていた。

 口調がかなり砕けてしまっていることにも、頭が回っていないようだ。


「その――そうだ――子爵閣下にもお伺いしたいのですが――王都から離れた領地で、王都の情報などをもっと知りたい、ということはないでしょうか」

「どういうことだ」

「いえ、遠くから来た客に、愚痴というか、そんなのを聞いたことがあるのですが。遠くの領地にいると、王都や全国で今何が起きているのか、なかなか情報を知りにくい、と。たとえば少し前の建国記念祭などについても、一度王都に行ってこの目で見てみたいと思うが、いつどうやって行われているのか知るだけでも難しいと言うんですね」

「ああ、それはあるかもしれぬな」

「それから今年その際に起きた疫病の騒ぎについても、被害のなかった地域には、あまりその詳細が伝わっていないのではないかと」

「うむ。そうかもしれぬ」

「たとえばですが、そんな情報を印刷物にまとめて、月に一度ですとか定期的に売りに出すというものを作れば、領主のかたがまず買ってくださるということにはならないでしょうか」

「うーむ……」

「……あり、かも」


 考えながら、僕が口にすると。

 父とマーカス、両方から視線が寄せられてきた。


「どういうことだ、ルートルフ?」

「ルートルフ様、これもすでにお考えでしたか?」

「ん、ちょっとだけ。なかなかじつげんむずかしい、おもってたけど、まかすがいうように、りょうしゅにうればいいんだ」

「どういうことだ」

「りょうしゅなら、はとびんつかえる。ていきてきにそういうのうれば、すぐにとどけられて、りょうちにいるふじんとか、たのしみにするかも。りょうしゅがりょうちにいても、じょうほううけとれるし」


『記憶』にあるものの実現化を少し考慮したことはあるのだが、立ちはだかる壁の大きさに、その先を考えるのをやめていたのだ。

 しかしよく考えるとこちらには、向こうに比べて鳩便が普及しているという強みがあった。これだけで、かなりの障害を乗り越えることができる。


「なるほど、需要はあるかもしれぬな」

「べるしゅまんだんしゃくが、ししゃくにしょうしゃくしたとか、おうたいしでんかのたんじょういわいの、うたげがおこなわれたとか、そんなじょうほうだけでも、とおくにいるひと、よろこんでよむんじゃない?」

「かもしれませんねえ」

「はとびんではこべるおおきさ、このかみよんまいとかはちまいぶんに、おおきめのじで、みやすいようにまとめる。りょうちで、いたにはりだして、おおくのひとによませられるようにする」

「板に貼る、ですか? それは、なんと――」

「緊急の告知を板に書いて立札にする、というのはあるが。なるほど、そうした方法で全国に同じ情報を伝える、ということはできるか」

「字を読めない者は、読める者に読んでもらう、という感じですか」

「ん」

「これはますます、いろいろな用途が考えられますねえ」

「ただ、いそがない。おうぞくや、りょうしゅたちに、ねまわしひつよう。そういうじょうほうをあつめて、もじにできるじんざいも、ひつよう」

「そうだな。これは慎重にするべきだ」

「はい。しかし、将来に向けて希望が膨らみます」


 メモを取るマーカスの手が、心なしか震えている

 周りにいるヴァルターや父の文官、メヒティルトまで、話についてこれずにぽかんとしている様子だ。


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