第120話 赤ん坊、雇用を決める

 いろいろ思いつきを話し合うだけで、このマーカスという青年のやる気と商才の片鱗が見えてくるようだった。

 父と視線を交わし、とりあえず仮採用と決める。商会を立ち上げるまでを任せて、そこまで遺漏なく進められるようならそのまますべてを委ねる方針だ。

 父子とも同意見でこのまま最初から彼に任せていい気になっているのだが、一応この程度仮採用で経過を見るのが慣習らしいので、それに倣うことにする。


「おそらく、明後日朝から動くことができるだろう。王宮の手続きを済ませて、商会開業予定地にこの小屋を移動する。商会建物としては慎ましいが、まずはひたすら製紙の生産量を増やすところから始めるので、その作業場としてこの小屋が相応しいであろう」

「はい。最初は小規模から始めるということで、やり甲斐を覚えます」

「マーカスにはそれまでに、製紙作業に就かせる者三四名と、護衛と肉体労働ができる者二名程度、雇い入れる算段を進めてもらいたい」

「承知いたしました」

「それなのですが、子爵閣下、ルートルフ様」


 傍から、ヴァルターが発言を入れてきた。

 唐突だが、ホルストたちがいる孤児院は、正式名称を「ヘンゼルト西孤児院」という。

 ヘンゼルトとは何かと思ったら、この王都の名前だった。

 考えてみると、今までちゃんと聞いたことがなかった。


――いつもただ「王都」と言って、それで済んでいたものなあ。


 それはともかく孤児院名に何故「西」が付くのかというと、もう一つ王都内に「ヘンゼルト東孤児院」というのがあるからだという。

 ちなみに、北や南はない。王都の孤児院はこの二つだけだ。

 ヴァルターが先日孤児院を訪ねて院長と話したとき、相談されたそうだ。

 同じ系列の孤児院ということで、ときどき「東」の院長と打ち合わせをすることがある。最近こちらの孤児たちが王宮で働いていることを話すと、たいそう羨ましがられたという。

 つまりまあ、そこまで聞けば結論は想像がつくわけだが、要するにあちらの子どもも雇ってくれる当てはないか、というわけだ。

 聞くと、向こうにはアイスラー商会のような孤児に親身になってくれるところもなく、十歳過ぎの子どもに十分に木工などの修行をさせることができない。十一歳と十二歳の子どもが四人いるのだが、以前親切で木工を教えてくれていた個人経営の親方が隠居して田舎に引っ込んでしまったので、修行半ばになっている。

 このままでは十五歳で正式な就職先を探すにも、十分な待遇が望めない。現に、今年成人した子は薄給で苦労している。

 そういう事情なので、十歳から十分な収入を得ているというその王宮の職に、何とかつなぎをつけてもらえないだろうか、という話だ。

 それを聞いてヴァルターは、もうこちらの仕事が孤児から大人の職人に移り出している現状だから「たぶん無理だろう」と返答してきた。

 しかし今日の話を聞いて、そちらを思い起こしたということだ。


「こちらの商会の製紙作業に、そちらの孤児たちを雇うことはできないでしょうか」

「うーーん」


 僕はひととき、腕組みで考える。

 製紙作業要員だから、こちらの二班のメンバーと同程度に真面目なやる気と体力、木工の技術があれば、可能だ。

 ぶっちゃけ、十五歳以上の成人より低賃金で雇用できるので、お得だとも言える。

 そういうことをマーカスに伝えて、任せることにした。


「そのこじいんにいって、いんちょうとこどものひととなりを、みてきてくれる?」

「分かりました」


 使えると判断されるなら、そのまま雇い入れの相談をしてもらう。

 マーカスだけでは相手に信用される当てはないので、ベルシュマン子爵の一筆を持たせることにした。

 その後、せっかくこの小屋に来ているのだから、ヴァルターからマーカスに製紙作業の概要をざっと説明させた。

 木の枝を煮る鍋、繊維を叩く木槌、紙漉き道具などを実際に見せて説明し、どのくらいの体力と技術が必要か把握させる。


「この道具などを自作できるのが望ましいので、その程度の木工技術があるといい、ということになります」

「なるほど」


 二班の四人は遠出中なので、商会に雇われるかどうかは帰ってきてから意思を確認することになる。

 ウィラとイーアンには、今日これから会って話をするつもりだ。二人が承知なら、明後日の小屋移動が終了次第、勤務場所を移すことになる。

 以前聞いたところ、二人は製紙の作業を最初から横で見ているし、繊維叩きも紙漉きも面白半分参加させてもらったことがある。そのため、新人の製紙作業員が来るようになったら、まずその指導に携わってもらおうと思う。

 とりあえず新商会の業務は、印刷より製紙を優先しなければならないのだ。


 父とマーカスが契約のため条件面を詰める話を交わしているのを残して、僕たちは屋内に戻ることにした。

 執務棟の印刷作業室に向かう。

 中では、ウィラとイーアン二人だけが黙々と板を彫っていた。王宮の木版画職人四人は、来週初め風の日からの五カ国通商会議に向けて明日出発の予定なので、その準備に入っているという。

 二人に新商会で働くことを打診すると、一も二もなく承諾の声が返った。


「行きます。ルートルフ様のところで働けるなら、嬉しいです」

「この先どうなるのか気になっていたから、安心した」

「ん。あさってゆうがたからそっちへうつるから、そのつもりでいて」

「「はい」」


 最初は製紙の方の仕事が多くなる。初心者に教えることができるかと確認すると、大丈夫と請け合ってくれた。

 正式には、後日ヴァルターとマーカスを孤児院に行かせて、院長に承諾を取ることになる。


 一通りの話を終えて、自分の執務室へ戻った。

 あとの事務手続き、ウィラとイーアンの雇用終了や印刷作業室使用終了など、王宮庁などとの連絡は、すべてヴァルターに任せる。


「よろしく、おねがい」

「了解しました」


 その他、少々特殊な発端からの商会設立なので、今日の話し合い内容の概略は王太子に報告することになる。それもヴァルターにまとめを指示した。

 すでにメモしてきた内容を、文官は紙に整理し直し始めている。


「それにしてもあのマーカスという商人、なかなか有能そうですね。私などは思いもつかない発想をするようです」

「ん。まあ、おうきゅうづとめとしょうにんじゃ、みるほうこうがちがうから」

「ですけれどね。私もルートルフ様のお役に立つために、気を引き締めて勉強していかなければと思いました」

「ん、よろしく」


 この若い文官にとっても、今日のやりとりはかなり刺激を受けるものだったらしい。

 何にせよ、刺激を受けて前向きになるのはいいことだ。

 それに続けてヴァルターは、「しかし」と小さな苦笑いになった。


「あのマーカスもおそらく、予想外の驚きだったと思いますよ、ルートルフ様とのやりとりは」

「まあ、そうだろけど」

「いえ、赤ん坊様が対等に会話する、ということだけでなくて、ですね。今日の面接に向け、紙の活用について精一杯いろいろ検討してきたのだと思いますが、それをことごとくルートルフ様はすでに考えていたと返して、その問題点や発展形まで示してみせたわけですから」

「ああ、そか」

「わたし聞いていて、お話の半分も分からなかったですけど」横で、メヒティルトも笑っている。「ルートルフ様が凄いということだけ、分かりましたあ」


 文官と侍女が楽しげに笑いを交わしているのは、これもまあいいことだ。

 逆隣で護衛も、無言で満足げに笑っているし。

 言われて僕は、少しだけ自省を覚えた。

 商道で自信をつけてきたところだった若者に、上から目線で接して出端を挫くことになったかもしれない。

 まああの男なら、それで萎縮することもないだろう、と思っておく。


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