第118話 赤ん坊、商会長候補と会う 2

「ではその前提で、いくつか質疑応答としたい。新しく興す予定の商会が扱う商品は紙と印刷物が中心ということになるが、これらのものについてどの程度知識があるだろうか」

「紙につきましては今もっぱら王都の商人たちの話題の的でして、あちらこちらから聞いております。一度オリファー商会にも出向いて、現物を拝見させていただきました」

「うむ」

「さしあたっては筆記板に代わる用途で売り出されると聞きましたが、十分に従来の板と取って代わる可能性を持つ、と私も思いました」

「そうか」


 なかなかに気合いの籠もった口調と発言内容は、面接の場だけの付け焼き刃のものではないと思っていいか。

 いかにも興味を持つ対象について語る、熱の入った口ぶりになっている。


「一方で、印刷というものに関しては王宮とオリファー商会内部でまだ秘密裏に開発を進めている途中とのことで、実物を拝見することはできておりません。商人たちの間で真偽不明の噂が行き交っているだけでございます」

「であろうな」

「そういう浅い認識しかございませんが、その、計画の商会では、その紙というものを実際に作って販売するということでよろしいのでしょうか」

「それだけに留まらないだろうが、まず基幹の部分はそうなる。実際にこの紙の開発に携わった職人を雇い入れ、ゆくゆくは人数を増やして製紙を続けることになる」

「オリファー商会で聞く話では、その紙については基本的に作っただけ王宮で買い上げてもらえる、ということでした」

「当面、そういうことになっている。だから新商会を立ち上げても、初期段階で売上げがなくて行き詰まる、という恐れは少ないということになるな」

「はい、そのように受け止めました。この紙というもの、そのように王侯貴族に対して大きな売上げが望める、商人たちも帳簿などの用途のために挙って買い入れるでしょう。それにしてもこの商品の可能性は、そんなもので留まらないのではないでしょうか」

「ほう。どんなことが思いつく?」

「さしあたって、ですが。商店におきましては、商品名や価格などを表示する、今の木の板に取って代わることと存じます。木の板よりもっと、壁に貼るなどの使い方が容易になるのではないでしょうか。それからこれに絵や装飾を描き入れたもので、家の飾りなどに使う商品が考えられそうです。また試してみなければ何とも言えませんが、紙を折り曲げたり貼り合わせたりして、木工品に近い道具などを作り出せるのでは、とも思います」

「ふうむ」

「何か他にも、もっと画期的な使い方があるのではないかと、次々と胸のこの辺まで込み上げるような、もう少しで思いつきが形になりそうな、そんな思いが抑えられません」

「そうか」

「ああ、そうだ、思いつきを一つ思い出しました。紙の用途といえば、まず中心となるのは記録と通信だと思います。通信については貴族の方々は鳩便をお使いですが、一般民衆はもっぱら、旅行者や行商人、隊商などに板や木の皮に書いた手紙を託す方法です。これが紙に置き換われば一度に多くの量を運べることになるわけですから、専門に手紙を運ぶ商売が成立するのではないかと」

「うんそれ、ぼくもかんがえた」

「一通や二通の運搬ではなかなか採算に合わないでしょうから、多くの需要を得て同じ方向の手紙をまとめて運ぶ、という仕組みが必要になりますが」

「じゅようをのばす、ぜんこくてきにしきじりつをあげること、ひつよう」

「そうなんですよねえ。長い目で、腰を据えて取り組む必要が――あれ、え?」


 合いの手の声が変わったことにようやく気づいたらしく、マーカスの視線が子爵の胸元に下がった。

 ぱちくりと、僕は愛らしい瞬きを返してやる。


「…………」

「…………」

「畏れながら、子爵閣下……今のお声、こちらのお子様からではなかったでしょうか」

「ナンノコトカナ」

「…………」

「ばぶばぶ」

「やめよ、ルートルフ。今さら遅いわ」

「いやちょっと、ばをなごませようかと」

「和むどころか、凍り固まっておるぞ」


 父の言う通り、向かいの商人は口を半ば開けたまま、瞬きを忘れて固まっている。

 大きく溜息をついて、父は僕を膝で揺すり上げた。


「先ほど、ここで見聞きしたことは他言無用と言ったがな、マーカス」

「は、はい――」

「中でもこのことは、最も重要な機密事項だ。我が次男ルートルフは、このように話をすることができる」

「は……」

「のみならず、大人を凌ぐ理解力、発想力を持つ。ルートルフ、この者を受け入れるでよいのだな?」

「ん。いちじこうさ、ごうかく」

「この短時間で、大丈夫なのか」

「やるきある、みえる。なにより、いまのてがみのけん、これまでたずさわってきただれも、おもいつかなかった」


 横を見ると、ヴァルターも真顔で頷いている。

 最もこの件に深入りしている文官も、そこまでの可能性に思い当たらなかったということだろう。

 短時間の問答で信用して大丈夫かという懸念は当然だが、相手の人間性や能力面などについては、事前にエルツベルガー侯爵側とベルシュマン子爵側で十分調査している。問題は製紙業に対する理解と食いつきなのだ。


「しばらく、しようきかん試用期間みて、せいしきけっていしたい」

「ということだ。いいか、マーカス」

「は、はい、ありがとうございます。よろしくお願いいたしします!」


 大きく礼を返しながら、それでもまだ「しかし……」と口の中で呟き、視線は父と僕を往復している。


「も、申し訳ございません。まだ驚きが治まりません」

「そこは致し方のないところだが。承知してもらわなければならぬ。今回興す商会の実質的な持ち主は、このルートルフだ。経営に当たっては、すべてルートルフの方針に従ってもらう」

「そ――そうなのですか?」

「親馬鹿貴族が息子に甘いあげくに道楽を始める、などと勘違いするでないぞ。王宮内ではすでに公然の秘密だが、この紙と印刷を開発したのは、ルートルフだ。この商会は、それらをさらに研究発展させるために、王太子殿下肝煎りで始めるものだ」

「は――は、え?」

「すこし、おちつこう」


 僕は横を見て、メヒティルトに合図した。

 赤ん坊車に乗せてきた荷物から、侍女はかめと木のコップをを取り出して、冷たい茶を淹れる。それを、子爵と商人の前に運ぶ。

 頷いて、父はコップを手に取った。

「し、失礼します」と、マーカスは両手でコップを持ち上げ、一気に茶を飲み干した。

 礼儀作法にも頭が回らないほど狼狽し、喉が乾いていたらしい。

 ここは咎めもせず、苦笑で父はコップを置いた。


「落ち着いたか?」

「は、はい――申し訳ございません」

「はなし、すすめる」


 さらに続けて、メヒティルトに合図する。

 荷物から、侍女は十枚束ねた紙を取り出した。何も書かれていない、真っさらのものだ。

 それを、マーカスの前に置く。


「これが、紙……」

「ん」

「オリファー商会で拝見したときは、触らせてもらうことも叶いませんでした。触れても、よろしいのでしょうか」

「ん。ちかづきのしるしに、あげる」

「よろしいのですか?」

「かみをよくしってもらわないと、はなしにならない」

「は、ありがとうございます」


 震える手で紙に触れ、ぺらりと捲ってみている。

「なるほど、薄い」などと、口の中の呟きが聞こえる。


「それから、まかす」

「はい」

「さっきの、おもいつきおもいだした、だめ」

「はい?」

「おもいつきは、わすれないように、かならずきろくするように」

「は、はい。畏まりました」

「さっきじぶんでいったおもいつき、かいておいて」

「はい」


 メヒティルトからペンとインクを渡され、初めて紙への筆記に挑んでいる。

「おぼえがき、ていねいでなくていい」と言うと頷き、筆は速められた。それでも仕事柄書き物には慣れているのだろう、十分読みとれる文字が連ねられていく。


 価格票

 装飾品

 加工品

 手紙の運搬


「ほかにおもいつき、ある?」

「あ、はい。何か思いつきそうで浮かばないのですが、それより何より、紙の普及にはさっきルートルフ様も仰っていたように、庶民の識字率の向上が不可欠と思います」

「ん」

「例えば、読み書きできない者に代わって手紙などを書く仕事や、読み書きを習いたい者を集めて教える機関なども、あっていいのではないでしょうか」

「ん、だね」


 あっさり頷き返すと、マーカスは目を丸くした。


「これもルートルフ様、すでにお考えでしたか?」

「ん。だれにもいってないけど」

「そうなのですか」

「どちらも、せっそくにすすめると、まさつがあるとおもう。よみかきおしえるかていきょうし、きぞくしていでしごとにしてるひと、おおいでしょ」

「あ、はい、そうですね」

「きぞくに、はんかんかわないようにしないと。うまくねまわししておくと、していのしごとにできる、うけいれられるかも」

「はあ……」

「しょうらいてきかだい。きろくしておいて」

「はい、畏まりました」


 慌てて、ペンを持つ手が動き出す。



    ***


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