第117話 赤ん坊、商会長候補と会う 1
この日も、父と昼食を共にすることになった。
向かい合いに座って、四方山話をしながら。
王子王女が部屋を訪ねてきたという話をすると、父は目を剥いていた。
「王子王女殿下に、失礼をするようなことはなかっただろうな?」
「ん……みかた、しだい?」
「見方によっては、失礼になるのか!」
「まあ、いまのとこ、だいじょぶ、たぶん」
「お前――」
「おおかたは、こどもどうしのたわむれと、おもってもらえたら、いいなあ……」
「お前なあ。王子王女殿下は気にしなくとも、その母后殿下の耳に入って大ごとになる、ということもあり得るのだぞ」
「こどもどうしのもんだいに、おやがくちをだすのは、やぼ」
「……そんな言い回し、何処で覚えてくるのだ」
これ見よがしに大きく溜息をついて、目を落としている。
とにかくも向こうに気に入られてしまったようなので、この先訪問を断るわけにもいかないだろう、と話すと、いかにも渋い顔で頷かれた。
すっかり脱力した様子の父と、この先の後宮対策についていくつか打ち合わせをした。
その後は替わって、父からの情報。
先日話していた雇われ商会長候補について、エルツベルガー侯爵から紹介を受けて連絡をつけた。こちらに明日の午前招いているので、会って話をすることになる。
「どうする、ルートルフも一緒に会ってみるか?」
「ん、そうする」
直接王宮の執務に関する用ではないし、経験のない豪奢な建物内に呼んでは、向こうも萎縮しすぎるだろう。本来なら王宮内の平民用の応接室を使うところだが、今回は裏庭の製紙作業小屋を面会の場にしよう、と意見が一致した。製紙と印刷が業務の中心になる商会の予定だから、その道具類がある場の方が話がしやすいという理由もある。
なおこの辺『記憶』世界の常識と照らすと後ろ指をさされる可能性がありそうなので、断っておくと。
王宮の執務時間内に貴族が私用で動くのは、別に何かの規則に反することでもないし、非難される謂われもない。
何らかの役職を得て執務をしているとはいっても、時間的に拘束が決まっているわけではないのだ。支払われている給与の類いも、時間換算しているわけではない。感覚としては、役職手当、というのが近い。
そもそも、領主の責を負っている貴族を執務させているのだ。こちらにだけ専念していて領地経営に関わることを放置では、本人も国家も困ってしまう話になる。
そういうことで、この明日の予定も、貴族として何ら後ろめたいところはない。
厳密に言えば、王宮から配属された文官や侍女らをこちらの私用に関することに従事させるのはあまり褒められたものではないが、これもある程度なら黙認される倣いのようだ。
そうはいってもこの辺は、本格的に商会運営が実現化するなら、区別したものを考慮していかなければならない。
とにかくも、明日の午前に作業小屋で面会、と予定を確認する。
少し前に図書室へ行って戻ってきたヴァルターが、その予定を記録している。
「では、明日、な」
「ん」
父を見送って、こちらは後宮へ戻ることになる。
ヴァルターに借りてきてもらった本がかなり大量で、カティンカが赤ん坊車に乗せて運ぶことになった。
部屋では、侍女三人が本の書写作業をしていた。護衛のニコールは、女官に呼ばれて出ているという。まあ侍女だけが在室のこの時間は、戸締まりさえしっかりしていれば護衛がいなくても心配することはないはずで、問題ない。
少しして戻ってきたニコールによると、実家からの連絡が入ったということだった。
「すみません。兄と二人暮らしの母が病で臥せりがちなので、たびたび連絡を入れてもらっているもので。女官室で文を受け取っていました」
「ふうん、しんぱいだね」
「はい。まあ特にすぐどうということはないので、護衛任務に支障をきたすことはありません」
「ん。なにかあったら、そうだんして」
「ありがとうございます」
今のところ、どうしてもニコールにいてもらわなければならないのは夜の不寝番と、テティスがザムを運動に連れ出す時間、ということになる。それ以外なら、短時間持ち場を離れて外出、ということも可能だろう。
それもこの先、今日の申し渡しで後宮内の風向きが変わるようなら、警戒を緩めていくこともできるかもしれない。
――まあ、しばらくは様子見だ。
この日も、テティスとザムは運動のため外出。残った侍女たちには今の作業を続けさせる。
ヴァルターから追加の木の板を預かってきたので、ナディーネにはそれで続きのカータ札作成をさせることにした。カティンカも楽しそうに、オオカミ札の絵を描いている。
シビーラは文字の練習中だが、できを見るととりあえず読み取ることに支障はない。
しかし「これではまだ稚拙で、後世に残る書物の書写は恥ずかしくてできません。もう少し、練習させてください」という本人の申し出を受け入れることにした。
個人所蔵用なのだからそこまで必死になる必要はない、とは伝えているのだが、それでもまだ納得できないということらしい。隣に座るメヒティルトの手跡を見ていると、その差が歴然で情けなくなるということもあるようだ。
侍女たちにそんな作業をさせながら、僕は読書の続きに耽る。
一通り読み終わって写本させる分は、どんどんメヒティルトの脇に積み上がっている。
「二人三人がかりの写本がまったく間に合わないって、あのルートルフ様の読む速さはいったい何なのだ」
「そこはまあ、ルートルフ様だからな」
外から戻ってきたテティスへのニコールの話しかけは、また例によって聞こえないことにする。
読書に疲れると、運動、昼寝。
いろいろ盛りだくさんながら、日常としては落ち着いてきたようだ。
翌日は、執務室へはメヒティルトを伴っていくことにした。まあ何となくの感覚だが、昨日の担当をカティンカにしたので今週は三人平等というか回り持ちにしてみたのだ。
書写の仕事に緊急性が少なくなってきたので、またその辺を元に戻していこうという考えになっている。
ただこの先、ヴァルターの妹に絵の練習をさせることになったら、カティンカの出番が増えることになりそうだ。
朝の打ち合わせの後、そのままヴァルターとメヒティルトも連れて、裏庭の小屋へ移動した。
出口のところで父と合流し、その腕に抱き上げられる。
ザムの紐はディーターが引き、赤ん坊車をメヒティルトが押している。また一般人と会うので、とりあえずザムは遠ざけ、僕の正体もすぐには明かさない方針だ。
先日の襲撃以来の裏庭なので、シャームエルには森側、ディーターには門側をしっかり警戒させる。
父の護衛二人が小屋の入口を固め、テティスは当然一緒に中に入ることになる。
裏門に、若い男が待っていた。
父の文官が迎えに出向き、小屋に案内してくる。
僕を抱いた父に貴族に対する礼をとり、男はマーカスと名乗った。ヴィルヘルム商会会長の次男だという。
ほとんど黒に見える焦茶の短い髪をきっちり揃え、身嗜みも華美ではないが清潔感を思わせる、いかにも商人といった外見で、隙のない目つきを向けてくる。
「父が、エルツベルガー侯爵閣下にたいそうお世話になっております」
「うむ。其方は今その商会勤務だそうだな」
「はい。父の商会に勤めて、七年になります。十五歳から勤めを始めて、現在二十二歳でございます」
「経営について知識をつけ、独立を志していると聞く」
「仰せの通りでございます」
「私の方は子爵家として出資して、新しい商会を興すことを検討している。その経営に携わる者の候補として其方に来てもらったわけだが、その志望があると思ってよいのだな?」
「はい、よろしくお願いいたします」
うむ、と頷き。
父はちらり僕の顔を見下ろし、軽く揺すり上げた。
「詳しく話を詰める前に、告げておくことがある。今ここで話し、見聞きしたことについては、話の結果にかかわらず他言無用を誓ってもらう」
「は、はい」
「それに関する契約書のようなものは、用意しておらぬがな。口約束で、ヴィルヘルム商会を信用させてもらう。もし仮に誓いに反することがあれば、我が子爵家のみならず、王家やエルツベルガー侯爵家からも、其方と商会は信用を失うと心得てもらいたい」
「はい、承りました。お誓い申し上げます」
「よし」
僕を抱く手の力が少し緩み、父の膝上にゆったりお尻が沈んだ。
向かいの男はちらちら視線を流して赤ん坊の存在が気になっているようだが、ことさら質問はできずにいる。
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