第115話 赤ん坊、学院について聞く
翌日の朝そこそこ早く、女官長が部屋に訪ねてきた。
先日王太子が言っていた、僕の処遇について後宮内に通達を徹底する、という件だ。
こうしたある程度重要な事項はできる限り、正妃と第二妃に対しては国王から直接伝える、その他の妃や王子王女の部屋へは女官長が伝えて回る、ということになっているらしい。
それらが一通り終わり、最後に僕の部屋にも伝えに来た、ということだ。
「いろいろ誤解などもあってルートルフ様にはご迷惑をおかけしましたが、これで少しは落ち着くかと存じます。真に申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いいたします」
「うん、よろしく」
あともう一点、本日から後宮に配属されたという新人の護衛を三名連れてきていて、紹介された。当面、第二、三、四妃の部屋に仮配属されるという。
王太子の言っていた「護衛を増員する」という話が、早急に進められたようだ。
この日執務室には、ナディーネに替わってカティンカがついてきた。
珍しく、本人のたっての希望だ。何でも、ヴァルターに訊いておきたいことがあるのだという。
部屋に落ち着き、とりあえずまずは、ヴァルターから報告を聞く。
製紙業については、王都とウェーベルン公爵領、ベルネット公爵領で順調に生産量を増やしている。
製紙の指導部隊はベルシュマン子爵領とエルツベルガー侯爵領に無事到着、今日から作業を始める予定と報告が入っている。
執務棟の印刷業務も、アイスラー商会でのホルストたちの作業も、問題なく進んでいる。
ナディーネに言づけた通り、イルジーから洗濯挟みの試作品を預かってきている。
見せてもらったところ、まずまず僕の注文通りだ。
カティンカに使用感を確かめさせることにして、紐に布巾を固定させてみた。固定具合は問題なさそうだ。
「摘まんで開くのに、ちょっと力が要る感じです。わたしは何とかなりますけど、メヒティルトが使うのにはちょっときつそうです」
「ふうん」
ねじりバネの固さを少し下げるように、指示を出すことにする。
おおむね支障なく、製品化に進められそうだ。
文官の報告を聞き終えて、こちらから前日の話をする。テティスやカティンカの補足も受けながら王子と王女の襲来の件を話すと、ヴァルターは目を丸くしていた。
「はあ――王子殿下王女殿下が、そんな……。まあとりあえず、お子様同士で仲よくなったという解釈でいいのでしょうか」
「なのかな。うしろのせいりょくがへんなうごきをしなければ、もんだいない、おもう」
「確かに、問題はそちらでしょうねえ」
「それでも――」
先日王太子が言っていた件で後宮内に触れが回った、それで妃たちの疑心暗鬼はかなり鎮まるのではないか。
予想の通りなら、僕の存在が王位継承に関して影響しないということが明言されれば、妃やその実家関係に必要以上の動きはなくなりそうなものだ。
そう話すと、ヴァルターは頷きを見せている。
「確信は持てませんが、そう思っておいてよさそうですね」
「で、ひるしゅはくしゃくについて、なにかさいきんのこと、しってる?」
「ドロテア第三王妃殿下のご実家ですね。最近何か――ああ」
「なにか、あった?」
「先週――ルートルフ様がお休みの間、ですね――製紙業についての説明をしたとき、少し予想外の反応だった、と王太子殿下が感想を話されていました」
「よそうがい?」
「以前からのヒルシュ伯爵家の印象は、反王太子派かどうか、灰色より少し黒寄りか、という感じだったんですね。それが先週の面談時には、いつになく好意的な態度だったという。他にもとりあえず表面的に協力的な顔を見せているだけではないか、という領主は数人いたわけですが、この伯爵の場合少しそれとも違う、という殿下の受けとめだったということです」
「ふうん」
「それで少し調べてみますと、ヒルシュ伯爵領は小麦の生産に関しては良好なのですが、それ以外の産業が伸び悩んでいる現状らしいんですね。だから、製紙業の導入は本気でありがたいと受け止めているのではないかと」
「へええ」
「一方で、今まで反王太子派寄りの立ち位置にいたというのにも、それほど明確な理由はなかったのではないかと想像されます。上の王子殿下お二人が急死されて、今の王太子殿下にその地位が転がり込んできた。孫の王女殿下がその下の順位にある立場として、面白くないというか羨ましいというか、そんな微妙な感情で、しばらくは辛辣気味に王太子殿下の言動を観察していた、という辺りが近いのではないかと」
「で、じぶんにりえきがあるとわかって、たいどがかわった?」
「という可能性が、そこそこあるのではないかと思われます。もともと、もし王太子殿下の地位を失墜させたとしても、それでお孫の王女殿下にすぐ王位がもたらされるわけではないのだし、そんなごたごたで国が乱れることになれば領主の方々には不利益の方が大きいのですから。諸侯のお歴々がそう理性的に判断するばかりでもないでしょうが、とにかくかの伯爵閣下に本気で王太子殿下の足を引っ張るつもりはなかった、という可能性はけっこうありそうですね」
「なるほろ」
「ここまでは、先日殿下と簡単に話した想像だけなのですが。王女殿下がルートルフ様に『お祖父様が助かったと言ってた』と話されていたというなら、製紙の件を本気で好意的に取り入れたということではないかと。王太子殿下にとりあえず偽りでいい顔をしようというつもりなら、お孫殿下経由でルートルフ様のお耳に入れようなどということを企むなど、迂遠に過ぎます」
「だね。きのうのほうもんも、けいかくのうえじゃなさそうだし」
かなり納得して、文官と頷き合う。
横で訊いていたカティンカが、そこで発言を入れてきた。
「ナディーネの話では、パウリーネ王女殿下は王太子殿下に懐かれているというか、尊敬しているというか、そんな感じみたいです」
「ああ、いってたね。だから、おうたいしでんかのまねをして、きぞくがくいんにはやくはいりたいって」
「ほお、そうなのですか。それが事実なら、少なくとも王女殿下の元にまでは反王太子派の空気は伝わっていない、と」
「そうなるね」
それらを考えると、ヒルシュ伯爵への警戒は少し緩めてもいい、ということになるか。
僕にとってはそれほど大きな問題でないが、とりあえずヴァルターから王太子へ情報を伝えることにしておく。
「それにしてもおうじょでんか、はやくにゅうがくして、くろうしないのかな。しんどう《神童》のおうたいしでんかとは、ちがうんだろうに」
「ああ、聞くところでは、女子学院の方はそれほどでもないようですよ。男子の方も初等科での学習内容は難しくないですし、理解がついていかなくても落第するとか家の恥になるとかの問題にはなりませんから。むしろ男子の方では、年若くして入学すると体教の時間についていけないことがあって、それが将来まで劣等感として引きずることがあるのが問題と言われます。一方で女子の方は、その点でも厳しいということはないと聞きます。むしろあちらで重要なのは礼儀作法と人との交流の面なのでしょうが、王女殿下にその点で不利益があるような事態は起きないでしょう」
「なるほろ」
「さすがに、入学時に読み書き計算がまったくできないようなら、どちらでも恥ずかしい思いをするでしょうけど」
「だろうね」
そんな話を交わし、貴族学院に関してはもう少し突っ込んだ情報まで聞いておいた。
それから改めて席に落ち着いて、僕は読書に戻ろうかと考える。
当面喫緊の問題が減って、あまり行動範囲を広げないよう言い含められている身分なので、しばらくは図書室から借りた本に読み耽る予定だ。
侍女たちの書写作業もお伽噺と物語本を終わりにして、僕が読んだ後まったく価値なしと判断したものを除いて、これらの図書を片っ端から写すよう命じている。これらは当座印刷の予定はなく、もっぱら僕の蔵書を増やす目的だ。
この作業にはシビーラも参加させることにして、数日は習字の練習をするように申し渡している。この侍女の筆記は現状稚拙さが否めないが、どうもこれまで本格的に練習していないのが原因と思われる。ヴァルターの手本で少し修練を積めば、とりあえず個人所蔵図書としては読むに耐えるものになるのではないか、という判断だ。とにかくも僕の自筆よりははるかにましなのだから。
考えながら、机に本を開こうとして、思い出した。
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