第114話 赤ん坊、お願いをする
「オオカミとり」に飽きてきた一同に、次は「七ならべ」というゲームを教えると、また王女王子は熱中に戻っていた。
しかしこちらでは数の順番を即座に判断できないとまごつくため、パウリーネがたびたび困惑する場面が出てくる。ウィリバルトと、札を動かす手の速さの差が歴然だ。
しまいには、王女の口から「うーー」という唸りが漏れてきた。
「何だってウィリバルトは、そんなに速くできるの!」
「ん?」
「れんしゅうすれば、はやくなる、おもう」
ウィリバルトは、何を言われているのか分からないとばかり、ただ首を傾げている。
僕が口を入れると、き、とパウリーネは僕にきつい視線を向けてきた。
「練習します。このカータ? 売りなさい!」
「ねだん、たかい。というより、まだねだんつけられない」
こういう娯楽品の価格基準については、まったく見当もつかないのだ。
少なくとも紙一枚が百ヤーヌを越えるだろうという予想に照らして、原材料費だけでも七百ヤーヌ以上、おそらく最終的に千ヤーヌをはるかに超えて不思議はない、といったところだろうか。
「いくらでも出します。売りなさい!」
「うらない」
「何ですって、わたしの言うことが聞けないの?」
「でも、おうじょでんかに、おねがい、ある」
「何?」
僕はナディーネに命じて、作成したばかりの板製のカータを持ってこさせた。
紙だと一山になるその横へ、同じ枚数を二山にして並べる。
「これもおなじ、かーた」
「そのようですね」
「つかいがって、どうちがうか、しりたい。いっしゅうかん、おうじょでんかにかすから、つかってしらべてほしい。らいしゅう、おしえてくれたら、おれいに、どちらかすきなほう、けんてい《献呈》する」
一瞬、ぽかんとして。
王女は側付きたちと顔を見合わせた。
「この話を受けて、問題、ありませんね?」
「左様に存じます」
「今夜からこれで、貴方たちと練習します」
「かしこまりました」
「ウィリバルトは、明日からわたしの部屋に来なさい。真剣勝負します」
「うん」
板の山を謹んでお渡しすると、傍らの侍女が丁寧に布で包んでいた。
それを見ながら、
「おうじょでんか、もひとつおねがい、していい?」
「何ですか?」
僕の申し出に、周りの侍女たちは揃って呆れ気味の表情になっていた。
会ったばかりの王女相手に、馴れ馴れしさも過ぎるという受けとめなのだろう。
しかし王女本人は、むしろ頼まれごとをするのがお気に召したという、何処か得意げな反応だ。
これもナディーネに命じて、運ばせた。新品のお伽噺の本だ。
「これ、がくいんにゅうがくまえのこどもにあうか、しりたい」
「何ですか、これは?」
「何、何?」
受けとって目を瞠る姉の隣りに、ウィリバルトも寄ってきた。
おっかなびっくりの様子で、パウリーネの指がページをめくる。
「これが話に聞いた、紙というものですか」
「ん」
「何、何?」
「こらウィリバルト、引っ張っちゃダメ」
「らんぼうにしたら、やぶれる。きをつけて」
「ん、分かった」
意外と素直に、王子は手を引っ込めた。
姉の手が、ぺら、とめくり。
二人揃って、鮮やかな挿絵に目を瞠っている。
「すご、すご」
「見事な絵ですねえ」
「姉様、これ読める?」
前のめりになって、ウィリバルトは絵の横の文字が並ぶページを指さした。
心なしか、一瞬目を泳がせて。王女は大きく頷いた。
「当然ですよ。読めます」
「読んで、読んで」
「あ、ああ、はい」
周りを見渡すと、何処にも反対の顔はない。
こほん、と小さく咳払いして、パウリーネは膝の上に紙の本を開いた。
「むかしむかし、山のふもとに、小さな村がありました――」
「わ、わ――」
それほど流暢とはいかないが、淡々と音読が続いた。
弟は真顔を引き締めて、それに聞き入っている。
ときどきつっかえ、読みに迷う場面もあるが。
「(炎が燃え上がった、でございます)」
「(うん)」
傍からナディーネが囁きかけると、何事もなかったかのように朗読が戻る。
後ろの王女付き侍女が目を丸くしているところを見ると、同じく読みができなかったらしい。
「――そうして、子鬼と村人たちは、ずっとなかよくくらしました。めでたしめでたし」
「わあ――」
「じょうず」
「うん、うん」
僕が手を叩くと、ウィリバルトも真似してぱちぱちを始めた。
侍女たちも、それに続く。
「もっかい、もっかい読んで」
「姉様は疲れました」
「もっかい、もっかい」
しきりと、姉の袖が引かれる。
侍女たちは半分苦笑いで困惑顔になっている。
「おうじょでんか、それ、じぶんでしっかりよんだあとだと、もっとうまくよんであげられる」
「そう?」
「それもいっしゅうかんかすから、よんでみて。かんそう、おしえて」
「分かりました。じゃあウィリバルト、今度また読んであげますからね」
「うん、うん、約束」
「任せなさい」
話によると、この姉弟二人はしょっちゅう部屋を行き来して遊んでいるらしい。
男爵令嬢侍女に、王子にもカータを貸そうかと訊ねると、「お姉様の部屋で一緒に遊ぶ方がいいでしょう」という返事だった。
また来週、とご機嫌の様子で王子は帰っていく。
続いて立ち上がりながら、パウリーネはついと僕を振り返った。
「前の、取り消すわ」
「ん?」
「田舎臭いとか貧乏とか、言ったこと」
「……ああ」
以前廊下ですれ違ったとき、何やら言っていたことらしい。
こちらはすっかり忘れてたけど。
「いなかも、びんぼも、まちがいない」
「え?」
「にかげつまえまで、びんぼうなだんしゃくりょうしか、しらなかった」
「そうなの?」
「おかげさまで、いまべんきょうちゅう」
「ふうん。まあとにかく、王女にふさわしくない態度でした。それと、お祖父様があなたのお陰で助かったと言っていました」
「ん?」
「ちゃんと、言いましたからね。では、また来週、楽しみにしています」
つんと肩をそびやかして、颯爽と歩き出す。
周りで側つきたちも配置につき、当然ながら王子ご一行よりも気品を窺わせる御拾いだ。
静かに扉が閉じると。
中では一斉に、侍女たちの溜息が響き渡った。
シビーラ以外の三人が、揃って首を垂れて脱力している。
「緊張しましたあ」
「本当にい」
カティンカなどは床に膝をついてしまい、メヒティルトがその肩にもたれかかっている。
シビーラがそんな後輩たちに声をかけた。
「こらこら、まだ後片づけが残っていますよ。こんなことは、後宮では当たり前です。今日はちょっと、いきなりすぎたけど」
「ですよねえ」
首を振りながら、ナディーネは僕を抱き上げてソファに乗せてくれた。
そのまま僕も、ぐて、と背もたれに沈んでしまう。
のろのろと立ち上がり、カティンカとメヒティルトは敷物を片づけ始めた。
そのカティンカが、まだ溜息混じりにナディーネを振り返った。
「でも、ナディーネは王女殿下のお部屋で、こんなことしていたんじゃないの?」
「お妃殿下や王子殿下がいらしたことは、ときどきあったみたいだけどね。そういう高貴な方がいらっしゃるとき、わたしは表に出してもらえなかったもの。王子殿下のお顔を拝見するのも、今日が初めてだったわ」
「ああ、あちら、侍女はたくさんいるものね」
「これからはこの部屋でも、これが毎週恒例になるみたいだよお」
シビーラに苦笑いで言われて、三人はがっくり肩を落としていた。
「ごくろさん、がんばってね」と声をかけながら、僕はナディーネに問いかけた。
「おうじょでんかのおじいさま、ひるしゅはくしゃくだった?」
「はい、そのはずです」
「たすかった、いってた。なにかな」
「さあ、分かりませんね」
「だね」
当然誰も知るはずはなく、シビーラもテティスも首を振っている。
明日ヴァルターに訊ねて、調べてもらおうかと思う。
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