第109話 赤ん坊、報告を受ける

「それがいいだろう」頷いて、宰相は少し口調を変えた。「それとは別に、ルートルフの扱いについてだがな。陛下と三公爵で話し合いを持ち、特別措置で定めることとなった」

「は……」父が首を傾げる。「どういうことでしょうか」

「特に名称などは定めぬが、先に申した通り、王子と同格待遇で王宮内で職務に就かせる、後宮に住まうが王位継承権は持たない、ということを正式に記録する。ルートルフの身の安全を図る関係で大っぴらに公表は控えるが、貴族の問い合わせにはその旨回答する。また後宮内には、そういう通達を徹底する」

「は」


 頷いて、まだ父は半解の様子だ。

 要は、先に国王も交えて申し合わせたことをある程度正式に定めた、という話だが、ここにきて公表の方へ向かう意味が分からない、ということだろう。

 王太子が、補足のように口を入れる。


「ひと月前なら、赤ん坊にこのような職務を任せると公表しても、誰も納得しなかっただろうからな。ここに来て先日から、ルートルフは製紙の件で複数の領主と話す機会を持っているので、もうかなり既成事実として受け入れられるだろう。また後宮には王位継承の件をはっきり伝えておかないと、よけいな疑心暗鬼の動きを生むようだ。陛下や私もそこまで気が回らず、ルートルフを居心地の悪い目に遭わせた。そこは申し訳なく思っている」

「そうなのですか」

「通商会議が終われば、孤児たちの身の危険はなくなるだろうが、ルートルフはそうはいかない。この先も何処で身柄を狙われぬとも限らないと気を張っていくが、少なくとも警戒は外国の方に絞れるようにしたいのでな」

「確かに」エルツベルガー侯爵が、苦い顔で頷く。「後宮の中も安心できないというのでは困りますな」


 明後日から月替わりで、各所の打ち合わせで申し渡しがしやすいという都合もあるらしい。

 特にこれで後宮内の風向きが変わるとしたら、ありがたい話だ。

 追加で以前から検討していた後宮対策の思いつきを話すと、一同に賛同をもらえた。

 しかしその辺のこともすべて合わせて、とにかく通商会議で成果を挙げるのが最優先事項だ。話をそこに戻して、また一通り打ち合わせ確認を行った。


 会合を終えて部屋を出る。午まで少し余裕があるので、印刷作業室を訪ねることにした。

 こちらでは子どもたち二人にナディーネと弟子四人が加わり、二冊目の物語本の製本を進めていた。

 役所仕事の中では書類印刷が最優先で、さしあたってこうした製本作業は急務ではないのだが、一応上司の文官も要領の記録をとっている。

 こうした『開祖』からの指導を受けられる期間も限られているので、すべてを身につけられるようにと気を入れているらしい。

 でき上がっていく冊子を確認して、僕は頷いた。


「ん。これでかんせいぶんは、えほんがさんさつ、ものがたりがにさつ、だったね?」

「そうなります」


 統括しているナディーネが、すぐに答えた。


「さいしょにはんばいするのは、これくらいがいいかな」

「そうですね。あまり種類を多くするより、限られて希少価値が高い方が貴族の方々の購買意欲を惹くのではないかと」


 ヴァルターと確認し合って、印刷製本はこの程度で留めることにする。

 残った原稿については、版木作成だけ進めてしばらく保管しておくことにしよう、と打ち合わせた。

 実を言うと、あまり大量に印刷を進めると、印刷用インクの生産が間に合わないことになりそうなのだ。

 ここまでで製本まで済ませたのはそれぞれの本につき百冊ずつに留まっているが、それでも総量は千冊を超えるところだ。最初に生産したインクはもう使い果たしそうだし、積み上がった本の様相はおそらく今まで誰も目にしたことがないものになっている。

 近いうちに貴族が集まる機会に売り出す計画を進めているが、そのうちの数百冊を並べてみせるだけで相当に度胆を抜く結果になるだろう。


 執務室に戻って、昼食。その後は後宮に戻り、事実上明日にかけて休日に入ることになる。

 午後からはヴァルターに、アイスラー商会のホルストたちの様子を見に行ってもらうことにした。

 彼ら三人については会長がかなり前のめりになっていて、まだ正式雇用ではないが、専門の部署を立ち上げて新製品開発を任せたいという話になってきている。そういうことならこちらも好都合なので、ある意味子どもたちの後ろ楯として、ヴァルターに会長と話を詰めさせておくのだ。

 洗濯挟みについては僕の発案なので、一度試作品を持ち帰らせて確認したい。あと、新部署のスタートに何かしら売上げがあると箔が付くだろうから、いくつか別製品も発注しておく。

 それとは別に商会に対して、カータの札を作るための木の板を三組分、注文を持っていってもらう。

 ヴァルターは現物を見たことがないので事務的に指示を受けるだけだが、ナディーネがこれにかなり乗り気なのを見て、急いで作らせよう、と苦笑で請け合っていた。


「見る限り単純な作業なので、ひと組だけでも今日中に、というのも可能なんじゃないですかね」

「じゃあわたし、夕方こちらに取りに来てみますね。うまくしたら、明日のお仕事にできます」

「あしたは、おやすみ」

「あ、じゃあ、お休みの暇つぶしです」

「まあどちらでも。本当にできているかは分かりませんが、来てみてください」


 何とも慣れた調子の三人のやりとりに、横でテティスが苦笑いしていた。

 ヴァルターに頼んで図書室から借りてきてもらっていた本を五冊、ナディーネに抱えさせて部屋を出る。

 今日明日、僕の読書用だ。今後の業務に向けての必要もあり、大陸の歴史や地理について少しずつ理解を深めようと思っている。


 後宮に戻り、侍女たちの作業進展を見る。

 ニコールを警護に残して、テティスにはザムの運動に出てもらう。

 一通り原稿のできを確認し、今後の方針を打ち合わせ。

 テティスとザムが戻ってきたところで、僕も運動をすることにした。ザムに掴まって、窓際に開けた床の上をぐるぐる歩く。

 ひと汗かいた身体を拭いてもらい、続いてお昼寝。

 というわけで、なかなか健康的な午後を過ごすことになった。


 目を覚ますと、夕刻になっていた。

 ナディーネが執務室に行ってきたということで、打ち合わせの通りカータ札用の木の板がひと組分、テーブルに積まれている。

 触ってみると注文通り、薄い板の表面も縁もヤスリをかけてすべすべに仕上げてある。

 他にヴァルターから報告を預かってきている、とナディーネは紙を取り出してきた。


「えーと、あ、これです。洗濯挟みの試作品を預かってきているので、週明けに確認していただきたい。注文の品は、来週中に揃えられる予定。あと、イルジーが紙挟みの設計を仕上げて試作品に取りかかっているので、来週前半にはお目にかけられる予定、ということです」

「ん、りょうかい」

「以上です」


 にっこりと、紙をたたんでいる。

 文官も侍女もこうした通信やメモ用に紙を使い始めているのだが、まだ高価でもったいないということで、いわゆる反故紙を余白のある限り再使用している。今ナディーネが読み上げたものも裏表ともにすでに書き込みがされていたようで、用事のある部分を探すのに少々かかっていたらしい。

 侍女用机に置かれたその紙片を、カティンカが取り上げて興味深そうに観察していた。


「カータの札は、明日わたしが仕上げていいですか?」

「ん、まかせた」


 ナディーネが楽しみにしているようなので、好きにさせることにする。

 侍女たちは作業テーブルで、和気藹々と筆記仕事を続ける。

 僕は、借りてきた本で読書。

 護衛二人も入口近くの壁際に腰を下ろして、やや寛いだ様子になっている。

 夕食準備の際には、カティンカに言づけてクヌートとこの先の打ち合わせをさせる。

 ようやく生活も落ち着いて、和やかな空気になっている実感だ。


 翌日の土の日も、朝の活動の後は同様の動きになった。

「休みだから好きにして」と言っても、侍女たちはやはり筆記を続けたいという。

 護衛は、ニコールがこの時間部屋で休んでいるものの、当然テティスは入口近くで備える態勢。

 僕にしても読書の続きというのは執務室での勤務内容に含まれていることなのだから、人のことを言えたものではない。

 この日は今にも雨が降り出しそうな空なので、このまま室内作業を続けることになりそうだ。

 ニコールが戻ってきて、一同昼食を終えても、やはり同じ態勢が続いた。

 読みを続けながら、僕は顔を上げた。


「なでぃね、ひっきばんとぺんをくれる?」

「はい」


 常備している筆記用具を一式、侍女は運んでくれた。

 いつもの四つん這い態勢で本に乗っていた僕は、置かれた筆記板の上に移動してペンをとる。


「えーと、本を書き写すのですか?」

「ん」

「指定してくだされば、わたしがしますよ」

「んーー」


 ナディーネはカータの作成も終わったということのようだ。

 前にもヴァルターとこんなやりとりをしたな、と思い出す。

 確かに、僕の筆記の現状を思えば、誰かに任せる方が現実的なのはまちがいない。

 ますます、執務時間と区別がつかない感覚だが。

 侍女の表情を見て、まあいいか、と思ってしまう。


「じゃあ、おねがい」

「かしこまりました」


 複写箇所を指定すると、ナディーネはどこか楽しそうに板を運んでいった。

 こういうとき、板の本はページをばらせるので、ある意味助かる。

 もちろん図書室の本なのだから、取扱いには十分気をつけなければならないが。


「ルートルフ様は、読むだけでなく書くこともされるのか」

「うむ」

「この目で見ても信じられない、筆記姿なのだが」

「あれしきで驚いていては、この部屋の護衛は勤まらぬぞ」

「……うむ」


 入口方向から何やら囁き合いが聞こえてくるが、気にしないことにする。



    ***


 本年最後の投稿です。

 これまで拙作をお読みくださった皆様、ありがとうございます。

 来年もよろしくお願いいたします。


 お礼の代わりにというわけでもないのですが。

 少し書き溜め分ができてきたので、三が日の間にも何処かで投稿したいと考えています。

 お屠蘇の合間の暇つぶしに、どうか御覧いただければと思います。

 皆様、よいお年をお迎えください。


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