第104話 赤ん坊、警護を調える

「考えたくはありませんが、何が起きてもあり得ないことではないと思っておくべきでしょう」

「ん」

「後宮内での移動等についても、決して油断はしない。部屋を訪う者についても十分警戒する、ということですね。夜間もわたしが不寝番をすべきと思います」

「いや、それはむり」


 テティスの提言に、首を振る。

 終日僕の傍を離れない護衛は、一人しかいないのだ。後宮の外では二名の護衛が増えるとはいえ、そうした移動中の方がテティスの存在が欠かせない。


「通商会議は八の月二の風の日ということですので、あと十日ほどです。その程度は根性で、不眠不休でも――」

「だめ」


 一日を三つに分けて、これからしばらくは午前中が執務棟、午後からが後宮、あとは夜間就寝中、ということになる。比べてみると確かに、就寝中の警備が最も手薄ということになるかもしれない。

 しかしテティスに不寝番をさせて、午前か午後に睡眠をとらせるということは可能か。

 午前は二人の護衛がつくが、最も警戒を強くすべき時間だ。

 午後は後宮内に籠もればかなり安全と思われるが、事実上護衛はテティス一人しかいない。

 三つの時間帯、何処ならテティスを外せる?

 要するにもともと、女性護衛がテティス一人しかいないことに無理があるのだ。こうした非常事態でなくても現実、休みをとることも訓練に出かけることもできずにいるのだから。

 王太子がさっき、後宮の護衛を増やす、ということを言っていた。

 先に「これ以上側付きはいらない」とした前言を撤回して、この部屋に常駐する護衛を増やしてもらうべきなのだろう。

 増員を急いでもらって、その間だけテティスに無理をしてもらうか。

 夜中の不寝番は侍女の交代制にして、何かあればすぐテティスを起こせる態勢とするか。


――まあ、この最後の案が現実的なところかな。


 そう、ある程度腹を括って、三人に提案する。

 かなり不服そうながら、テティスもそれを受け入れるしかないと納得したようだ。

 カティンカとメヒティルトも、不安げながら賛成の意を示している。

 話が落ち着いてきたところで、ナディーネとシビーラが戻ってきた。

 出て行ったのが同時とはいえ行く先は別だったのだが、偶然帰りも一緒になったのか。

 そう思いながら戸口近くに立ったテティスの様子を見ていると、何か妙な表情になっている。

 二人の侍女の後ろに、もう一人人物が立っているのだ。

 見覚えがある。確か、第二妃の部屋にいた女性護衛だ。昨日、ザムの体当たりを受けた人だったような。

 苦笑いというか困惑というか、何とも複雑な顔で、シビーラが紹介した。


「その――あちらでお顔はご存知と思いますけど、護衛のニコールさんです」

「ニコールです。その、ルートルフ様には申し訳ないのですが、妃殿下のお部屋を追い出されたもので、しばらくこちらに置いていただけないものかと、お願い申し上げたく」

「は?」

「さきほどシビーラの報告を聞いた殿下から、オオカミにあっさり負ける護衛はいらぬ、修行し直してこい、と申し渡されまして。女官室に行って話をしましたところ、ルートルフ様が受け入れてくれるなら厚意に甘えよ、ということでした」

「はあ……」


 思わず、テティスと顔を見合わせてしまう。

 まあ、そういう事情でナディーネの話を聞いている女官長の元へシビーラとニコールが赴いたということなら、一緒に戻ってきた理由だけは分かる。


――しかし、なあ……。


 こちら側で、カティンカとメヒティルトが珍しく頬を膨らませていた。


「それ、ひどくないですかあ」

「オオカミに負けたからって、そんなあ」


 しかし真面目に憤慨しているのは二人だけで、残りの面々は苦笑の色が深い。

 ナディーネも肩をすくめるようにして、補足した。


「女官長のお話では、間もなく増員の護衛が入ってくることになっていますが、皆まったく経験のない新人ばかりなのだそうです。ルートルフ様のお部屋では新人の研修も難しいだろう、しばらく新人はお妃の部屋につけて、後日また配置を見直すというのがいいでしょう、ということでした」

「なるほろ」


 第二妃殿、その話を承知していたのかもしれない――というより、まちがいなくそういうことだろう。


――相変わらず、分かりにくいことをするオバチャンだ。


 溜息をついて、居並ぶ女性陣を見回した。


「しびら」

「はい」

「かんちょうほうこくしょに、かいておいて。いらないものをおしつけるな、とぐちぐちいいながら、あかんぼうはかんしゃしていたって」

「かしこまりました」


 こんなやりかたをされたら、直接礼を言いに行くのもおかしな話になってしまう。

 相手は絶対、素直に感謝を受け入れないだろうし。


「にこる」

「はい」

「ててすとうちあわせして、ここでにんむについて。とりあえずこんやから、ふしんばんをして、ごぜんちゅうすいみんをとる、ということでいいかな」

「かしこまりました」


 ありがたいことにこれで、不寝番問題は解決することになる。

 もともと後宮内固定勤務のニコールには僕が執務棟に出ている時間に休憩させて、午後からの室内警護を厚くできるわけだ。

 この態勢変更に伴って、居間に置いていたテティス用の簡易ベッドを使用人室に移動させた。夜はテティスがそちらで休み、午前には替わってニコールが使うことになる。


 翌日の朝も、ナディーネとテティスを連れて執務室に移動した。

 これまで侍女の仕事は原則交代制にしてきたが、これからしばらくの体制は短期間臨時の予定なので、固定することにした。

 カティンカは当然、挿絵に専念。まだ原稿書写の済んでいない物語類は、メヒティルトに任せる。ナディーネは僕の付き添いを主用業務として、空いた時間に一冊程度原稿作成を担当する。

 一冊の原稿に複数の筆跡が混在しないようにするためもある。


 ヴァルターからは、早朝孤児院に赴いて製紙業指導に旅立つ子どもたちを見送ってきた、という報告を受けた。昨日難に遭った子どもも擦り傷程度で、全員元気いっぱいだという。

 いつもより時間は早いが一班と三班の面々を同道して、印刷執務室に案内してきたということだ。

 そちらには後から僕も顔を出しにいこうと思うが、その前に王太子とゲーオルクがこちらに来て打ち合わせをする予定になっている。

 そんな確認をしているうちに、二人が部屋を訪れた。


「まったくあり得ない話だよな、王宮庭内で襲撃されるなんてこたあ」

「ああ、二度とくり返させてはならんことだ」


 日頃他人事には無頓着のゲーオルクも、真顔で憤慨している。

 後宮内の警備態勢を見直したことを僕から報告すると、王太子は数度頷いていた。


「うむ、それがいいだろうな。来週から新しい護衛職を配置することになっているが、確かに当面はルートルフの部屋に経験者を入れておくのがいいだろう」

「ん」

「王宮内は昨日のクーベリック伯爵の件で大騒ぎだがな、申し合わせたようにルートルフは当分、動きを控えていてくれ」

「ん」


 今回の件で貴族たちの間に綱紀粛正の通達が回り、さまざまに引き締めの動きが起きている。

 同時に、九日後に迫った五カ国通商会議に向けての準備を加速させていかなければならない。

 昨日も確認したように、荷車の生産は順調に進んでいる。

 王都の製紙場で、会議に必要な分の紙の調達は確保されている。

 怪我の功名というか、今日からウィラとイーアンを印刷執務室に入れているので、会議に同行する予定の彫り作業員四名の役所書類印刷作業について、しっかり最終調整ができそうだ。

 ただ、オリファー商会から派遣されてきている見習い二名については執務室に上げるのは避け、商会に戻して修業させることにした。基本の指導は済んでいるので、物語本の版木彫りを課題として与え、数日ごとにこちらに持参させることになっている。

 通商会議には、製本化されている植物図鑑、お伽噺絵本、物語本を数冊ずつ持っていく。これらはまだ販売などはせず、見本として閲覧させるだけとする。

 国内での本の販売開始は、来月中旬に予定されている王太子の誕生日の宴を目標にする。それまでに著作権などの法整備の目処を立てたい。

 急遽いろいろと変更が入ったが、おおむね動きに問題はないだろう、と王太子は頷いている。

 そういう打ち合わせを終えると、忙しなく解散となった。

 特に王太子にとっては、当面表裏ともに目の回りそうな忙しさになっているようだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る