第103話 赤ん坊、見直す

――あ、これは決まったな。


 王太子の表情を見て、思う。

 今の発言、『理由はつく』と言っていた。

 つまり、それで十分なのだろう。

 貴族の罪状に関する審判は、国王が下す。複数名による合議や多数決、などは存在しない。

 結局は証拠や想像される動機など、国王の判断に諸侯からの疑義や不満が出ない程度に示されれば、それでめでたしなのだ。


「早いうちにこの部屋へ来て、正解だったな」


 と、一人頷いている。

 それから少しの間、顎を撫でる仕草で考えて、


「孤児たちのうち半数は、明日出立だったな。残りの者たちの当面の作業内容は決まっているのか?」

「だいたい」

「それは、あの裏庭ではなく屋内でも可能か」

「ん」

「執務棟に、印刷部署を立ち上げるための部屋を用意している。少なくとも通商会議が終わるまでは万全を期して、孤児たちの作業はそこでさせよう」

「ああ」


 そろそろ見習い期間が終わろうとしている、役所内の印刷職予定の四人が勤務するはずの部屋だから、ウィラやイーアンがそこに移動することに不都合はないだろう。当然、木彫りの作業がしやすい環境は整えられているはずだ。

 ホルストやイルジーたちはやや落ち着かないかもしれないが、一週間と少しのこと、さらに王宮へ来るのはその半分程度なのだから、辛抱してもらおう。

 加えて、彼らの孤児院との往復を警護する人員を増やし、日中はその印刷部屋の前につかせることにする。

 とにかくも今日のような予想を超えた事態が生じた以上、通商会議までは何が起きないとも限らない。

 隣国と通じているのがクーベリック伯爵だけとも限らず、日を追うごとに手段を選ばない暴挙に出ることも考えられるのだ。


「各領を回る孤児たちの身が最も案じられるところだが、これは多少の危惧があっても決行するしかない。幾重にも警護の策を講じておこう」


 具体的には、それぞれ二名同伴させる予定だった護衛を三名に増やす。

 あとは各領主に「これは国運を賭けた重大事業である」と念を押し、領地内で何か事が起きたらその領主に責任を問う、と告知する。

 これによって各領内で一行には領兵の警護がつき、境界で次の領兵と交代するという手続きが徹底されることになるだろう。

 おそらくは、現状これ以上を望むことができないレベルの護衛態勢と言える。

 クーベリック伯爵捕縛の事実と同時に布達されることになるので、まず各領主から異論が出ることはないだろう。


「あとは、ルートルフの問題だな。しばらくの間執務棟に来るのは打ち合わせ程度に留めて、できるだけ後宮から出ないようにするのがいいだろう」

「ん」


 何処についても何が起こるか保証の限りではないわけだが、一応のところ僕に関して安全と考えられる順序は、後宮>執務棟>裏庭>外、ということになる。

 王宮建物内である執務棟の安全に疑いを持つのも情けない話だが、貴族当主とその近習がかなりのところ自由に出入りできる領域なのだから、本当に万万が一、形振り構わず乱行らんぎょうを起こす者が出ないと断ずることもできないのだ。

 ここはくれぐれも安全を期するのがいいだろう、と王太子は言い、父も同意している。

 幸いなことにここしばらくは後宮の部屋で印刷用の原稿作成が続き、たとえばナディーネがそれを印刷部屋に運んで指示を伝える、という動きで作業は進む形になっている。それこそ打ち合わせ以外は後宮に籠もるという方針で、業務にさほど支障は出ないだろう。

 王太子としては、こちらの警護に必要以上に気を回すことなく、通商会議へ向けての準備と二心のある貴族の洗い出しに力を向けたいということのようだ。

 かの伯爵以外に危険分子がいたとしても、まあこの事態の元で悪あがきを見せるほどの考えなしはまずあり得ないと思えるが、最大限気をつけるに越したことはない。。


「そういう方針でルートルフの行動予定は組んでくれ、いいな、ヴァルター」

「かしこまりました」

「ルートルフにとって現状後宮内にいるのが最も安全と思われるが、それでも完璧とは言い切れない。用心の上にも用心を重ねるべきだろう。先日から後宮の護衛を増員するよう図っているが、それを急がせる。とりあえず今日のところは、そちらの侍女から女官長へ事の次第を報告させておいてくれ」

「ん」

「よろしくお願いいたします」


 子爵の礼に頷き返して、王太子は腰を上げる素振りになる。

 その目がこちらの足元に向けられて、わずかに苦笑の顔になった。


「報告によると、そのオオカミの存在が今日の件でたいそう役に立ったそうだな」

「ん」

「護衛の点でも、オオカミに乗るなどという突飛な行動が意味を持ったわけか。この点でもルートルフの決断が正しかったことになるな」

「でんかのかんだいなおゆるしに、かんしゃ」

「ふ……」


 軽く頭をかき、小さく手を振って、王太子は退室していった。

 扉が閉じられると、わずかに放心の様子で父は僕の頭を撫でた。


「何とも驚きの顛末、だが。とにかくも、殿下の仰る通りだ。当面はくれぐれも気を緩めず、身辺警護を徹底しなさい」

「ん」

「さっき、父はできるだけ夕方にここを訪ねるようにしたいと言ったが、ルートルフは長時間こちらにいない方がよいということになるな。しばらくは、昼の時間に予定が合うなら顔を出すことにしよう。ヴァルター、ルートルフの予定を毎朝こちらに報せてくれぬか」

「かしこまりました」


 とりあえずの用事は済んだことになるが、まだ父の膝を離れるに忍びず、四方山話を続けた。

 いつも父の傍を離れないヘルフリートの姿が今日はないのは、製紙業の稼働準備のために領地へ赴いているためだという。

 最近所領に加わった旧ディミタル男爵領の『中央』と『南』地域は、近くの山の名前に因んでそれぞれ「ゼルキン村」「南ゼルキン村」と命名されたが、その二村の境近くに製紙場を設けることにしているらしい。

 東ヴィンクラー村を加えた三村を統括するためにゼルキン村に村長を兼務する代官を置いているが、いろいろ落ち着くまではそちらとの連絡でヘルフリートが飛び回る状況が続くようだ。


「かの地域に製糖に匹敵する産業をもたらしたいと話していたのはついひと月ほど前のことだったが、こんなに早く実現するとは思わなかった」

「ん」

「その意味でも、ルートルフのなした成果は称賛に値する。父は大いに誇りに思うぞ」

「ども」


 王太子たちの前では大っぴらに公言していないが、製紙を実現しようと思い立った際にはその新領地の件も頭にあったわけで、父に喜んでもらえるのはかなり本望だ。

 そうして、いつもよりはかなり遅くなった頃合いに父と一緒に部屋を出て、後宮へ戻った。


 部屋に落ち着き、侍女たちに翌日からの行動が変わることを告げる。

 王太子からの指示もあるので、取り急ぎナディーネを女官長の元へ今日の件についての報告に行かせることにした。

 ついでに、シビーラの自由意志ではあるが、第二妃への間諜報告の許可を与える。

 二人揃って、ぱたぱたと急ぎ部屋を出ていった。


 僕は食事をしながら、カティンカとメヒティルトから今日の進捗状況を聞き、テティスも交えて今後の方針を話し合う。

 やはり当面は、午前中に執務室と印刷室で打ち合わせ、午後は後宮に戻って印刷原稿作りの監督、という動きでよさそうだ。ただその移動中もそれぞれの室内でも今まで以上に警戒を怠らない、ということを申し合わせる。

 これまでも十分気を払ってきたはずだが、今日の話し合いで見えてきたのは、少なくとも通商会議までの間は手段を選ばず行動に出る貴族がいるかもしれない、という可能性だ。

 後宮内で僕の存在を疎ましく思っているかもしれない人たちと今回問題になる隣国と通じている層は別物と考えられるが、ルートルフが邪魔だという共通意識で、何がきっかけで通じ合うということが起きても不思議ではない。もしそうなったら、そうしたやんごとなき方々、後宮内での行動についてほぼ何の制限も受けていないのだ。


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