第101話 赤ん坊、疑う

 ノックは当然扉外に立つ護衛だろうが、一応テティスは警戒の構えを作る。

「はい」と応えて、ヴァルターが戸口へ向かう。


「ベルシュマン子爵がお越しです」

「はい?」

「ルートルフ!」


 扉が開くや、ヴァルターを押しのける勢いで父が入室してきた。

 つかつかと大股に歩み寄り、たちまち僕はその腕に抱き上げられる。


「ちーうえ」

「聞いたぞ、ルートルフ。たいへんな目に遭ったそうではないか。怪我などないか?」

「ん、だいじょぶ」

「そうか、よかった」

「ててすたちと、ざむのおかげ」

「そうか。テティス、よくやってくれた」

「は。恐縮です」

「ザムも、偉かったのだな」


 ようやく僕が座っていた椅子に腰を下ろし、父はザムの頭を撫でた。

 そうしてから改めて、ヴァルターとテティスの顔を振り返る。


「緊急の報せを受けただけなのだ。詳しい経緯を聞かせてくれぬか」

「はい」


 ヴァルターの説明にテティスが補足する形で、一連の流れが話される。

 ナディーネの淹れたお茶がテーブルに置かれたのはほとんど話が終わる頃というほどに、貴族の行動としてあり得ないくらい慌ただしい訪問と説明要求だった。


「ふむ。賊たちの目的は、製紙業の広がり阻止、といったところか」

「たぶん」

「そうすると、黒幕は隣国の方にありそうだな」

「ん。でも」

「何だ?」

「かみのはなし、りょうしゅにこうかいして、まだよっかかそこら」

「うむ……そうか、山を越えた隣国と打ち合わせをするには日がなさ過ぎるか。あの境界の山は、鳩便が飛べぬからな」

「ん」

「そうすると、国内にいる者の独断に近いということになるか。何とも忙しなく、準備不十分なまま乱暴なことを決行したもの、と思えるが」

「たぶん、きょうしかできなかった」

「ん、どういうことだ?」

「つまりです、子爵閣下。各領地に製紙業の説明をする子どもたちは、明日出発する予定です。各領地で製紙場が稼働して、再来週、八の月二の風の日の通商会議で荷車と紙の存在が発表されれば、交易上のグートハイル王国の立場は揺るぎないものになります。それを阻止するためにその子どもたちとルートルフ様の身柄を押さえようとすると、まず今日しか機会はないことになります」

「なるほど、な」


 ヴァルターの説明に頷いて、父は膝に乗せた僕を揺すり上げた。

 ぎゅうとお腹を締め付ける憤慨のしるしは、苦しいけれど懐かしく、何処か心地いい。


「そこまで形振り構わず、私欲のために我が息子を狙ってきたということになるのか」

「たぶん」

「その話が事実なら、本当に形振り構わない強引さということになるぞ。首謀者が国内の貴族だとするなら、まずあり得ようもない暴挙だ。裏庭とはいえ、王宮の敷地内に武器を持って侵入、襲撃を図るなど」

「だよね」

「確かにまあ見直してみれば、警備の行き届いた王宮内で、あの裏庭はわずかに隙を残しているとは言えるかもしれぬ。王宮の警備は、建物内、建物への出入り、庭内、城壁の周囲、とそれぞれ配置されているが、最も力を入れているのは建物の出入りで、城壁に関してはすべてに目が行き届いているとは言えぬ。特に裏庭の奥は、城壁の内外で森が続いていて、監視も十分にしきれないことになっている」

「だね。じっさい、ざむがはいってこれた」

「であったな。ルートルフがそこで作業を始めると聞いて懸念があったので、一度宰相閣下と安全面を検討したのだがな。門番の目が届くところではあるし、護衛が最低三名、テティスが常に傍について、あと二名は森の側と門の側を護っていると聞いた。大声を出せばすぐ、最寄りの出入口から衛兵が駆けつける。少なくともルートルフがそこにいるときの警備としては、十分と思われた」

「ん」

「今回はそこに、子どもたちを襲撃することで、門側の警備の目をルートルフ様から離すことを意図したと考えられますね」

「うむ。加えて、投げナイフという飛道具使いを入れて護衛二人程度は短時間で無力化し、加勢が来る前にルートルフ様を攫って逃げることを画策したのだと思います」

「うむ。どう考えても強引で無謀な企てだが、危ういところではあったのだな」


 ヴァルターとテティスの指摘に、父は頷く。

 状況を思い返す様子で、ヴァルターは視線を持ち上げていた。


「あの急襲を凌げたのは、ザムの危険察知とテティス殿の冷静な判断のお陰と思います。本人たちも認めていましたが、まかりまちがうとシャームエルも外の騒ぎの方に気をとられそうになっていたところを、呼び止めて注意喚起した。その直後、ナイフの第一投はザムを、続けてテティス殿を狙っていた、ということでしたね。もしそれらが命中していたら、そのままルートルフ様を奪われていた可能性が高い、ということになるのでしょう?」

「そうだな。ザムの回避行動がなければ、わたしも対処が遅れたかもしれぬ。こちらが傷を負っていれば、敵は二人でシャームエルと負傷者を牽制して、残る一人でザムから投げ出されたルートルフ様を攫うことができただろう」

「ざむにかんしゃ」

「そうだな」


 身を屈めて、父はもう一度オオカミの頭を撫でた。

 当然話の物騒さまでは伝わらず、当のザムは舌を覗かせてすっかり寛いだ様子だ。


「しかしどう見直してもこの企て、無謀な綱渡りとしか思えぬぞ。成功の見込みがそれほどあったとも思われぬ。むしろやけのやんぱちとでも言う方が近いのではないか」

「あの三人の刺客の技量をそこまで信用していた、テティス殿とザムの実力を見誤っていた、ということかもしれませんね」

「それは、あるのかもしれぬな。しかしそれと、製紙業の広がり阻止のためにルートルフと孤児を攫うとは言うが、この時期に来てそれで本当に阻止が叶うのか?」

「もう、むり。せいしほうは、おうとのしょうかいと、こうしゃくりょうにつたわってる」

「そういう話だったな。全国への拡大や通商会議での発表を阻止するなど、もう手遅れではないか」

「一つだけ、考えられることがあります」

「どういうことだ?」

「ルートルフ様と子どもを隣国に連れ去り、製紙の方法を聞き出す。急ぎその国でも生産体制をつくり、通商会議で製紙は自分の国の発明だと言い張ること、ですね。猶予は二週間ほどしかなく、ほぼ無理な企てだとは思いますが、一縷の望みにすがろうとしたかもしれません」

「……なんと」


 ヴァルターの指摘に、父は目を丸くしていた。

 傍らで、テティスは首を傾げている。


「かの大国が、そんな無理筋にすがろうとするのだろうか」

「いや今回の件、さっきも検討したように、そちらの国と相談するゆとりもなく我が国に潜んだ者が独断で行った可能性が高いと思われます。もし通商会議の結果で自分が切り捨てられる危惧を持っていたとすると、窮余の一策を成功させて挽回を図ろうとした、ということも考えられるでしょう」

「なるほどな」

「我が国に潜んだ者、とは言うが、あちらから潜り込んできた間者というより、こちらの貴族の裏切り者という可能性が高いのだろうな」

「かと思われます」

「かくしょう、ないけど――」

「ん、何だ? ルートルフ」

「くーべりっくはくしゃく、うたがわしい、おもう」

「何だと?」

「ああ……」


 驚愕の父に対して、ヴァルターは比較的落ち着いて肯いている。

 僕の言いたいことを理解したようだ。


「この騒ぎで忘れていましたが、家宰副官が製紙作業を見学に来ていた、という件がありましたね」

「ん。きょうのけいかく、こどもたちがかえるとき、ぼくがうらにわにいなきゃ、せいりつしない」

「思い返してみればあの副官、妙に時間稼ぎのような質問をくり返していました」

「ん」

「領の代表が見学を希望すればルートルフ様が立ち合うだろう、その終了が終業間際ならルートルフ様は子どもたちの見送りをするだろう、というぐらいは少し調べれば予想できそうです」

「なるほど。確実性としてはどうか知らぬが、そうした算段がなければ今回の計画は実行できぬな」

「はい。ルートルフ様が子どもたちの帰りに居合わせるなど、これまで数回しかありませんので」

「その、副官か、到底無関係とは思われぬな」

「はい」

「しかし、クーベリック伯爵――そう簡単に疑って捜査を入れるというわけにはいかぬな」


 僕の頭の上で、ゆるゆると首が振られた。


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