第100話 赤ん坊、命じる

「うお!」


 突然、ナイフ使いの一人がたたらを踏み、前のめりに膝を折っていた。

 瞬間、ザムが跳躍した。

 もう一人のナイフ持ちの膝下にその牙が食い込み、甲高い悲鳴が上がる。

 間髪を入れず、テティスが踏み込む。

 残る一人の剣と、一合。一呼吸も置かないうちに、その剣は相手の腕をなぎ払っていた。

 シャームエルはすぐに、最初に転倒したナイフ使いの首元に剣を押し当てている。


「動くな」

「うが、が――」


 警告は、しかし意味をなさないようだ。

 そのナイフ使いは、右足首を押さえてのた打っている。

 もう一人はザムに噛みつかれたまま、地面を転げ回っている。

 残る剣士は斬られた腕を押さえて膝をつき、もう観念の様子だ。

 ほどなく、王宮から複数の護衛職が駆けつけてきた。

 あっという間に、三人の賊の捕縛は完了した。

 大慌ての様子で、外からディーターと門番が駆け戻ってくる。

 それらを見て、僕は裏の森の方を指さした。


「ざむ!」

「ウォン!」


 すぐに、ザムは矢のように森へ駆け込んでいった。

 続けて、まだ門近くにいるディーターを振り返る。


「でぃーた、へいのそと、あやしいのいないか、みてきて!」

「は、はい!」


 ぐるり、左方向へ向けて指を回してみせる。

 これもただちに、護衛は傍にいた衛兵一人を連れて駆け出していった。

 間もなく、孤児たちを襲撃した男たちも連行されてきた。

 子どもたちに、たいした怪我はない。人数を倍増した護衛をつけて、急ぎ帰らせたという。

 王宮護衛の要職らしい男が、それぞれの犯人の処理を指示している。

 少し待つと、ディーターとザムがそこそこ身形のいい男を一人引き連れて戻ってきた。

 森の近くに馬車を停め、塀に縄梯子をかけて待機していたらしいところを、ザムに押さえられていたという。

 三人の賊の目的が僕の誘拐だとしたら逃走手段を用意しているだろう、という予想は当たったようだ。

 賊たちの匂いを辿れば、ザムがそれを取り押さえるのは容易なことだ。

 同行した衛兵は、そのまま馬車を見張っているとのこと。

 身形のいい男はすべて黙秘しているが、馬車には身分を示すものが搭載されていそうだという。

「うむ、でかした」と、要職らしい男がディーターから捕縛した男を受け取っている。

 テティスがそちらへ問いかけた。


「我等は急ぎルートルフ様をお部屋へお連れした後、ディーターとシャームエルを説明に行かせようと思うが、それでいいだろうか」

「うむ。高貴な方の保護が最優先だ。そうしてくれ」

「承知した」


 そのときには、僕はもうザムの背中に戻り、ヴァルターとナディーネが傍についていた。

 短い戦闘の間中、二人は門の傍でなすすべなく見守るしかできずにいたのだ。

 ナディーネの冷たく震える掌が、ひしと僕の手を握っている。

 屋内に帰還すべく、全員がいつもの配置に戻る。

 そうしながら、ディーターが大きく頭を下げてきた。


「申し訳ありません。配置を離れてしまい、浅慮でした」

「ん」


 この日はディーターを門側に、シャームエルを裏の森側に配置して警備させていたのだが。孤児たちの騒ぎでディーターは外に出て遠ざかってしまい、逆にシャームエルはこちらに近づいてきて襲撃時の護衛に間に合ったことになる。

 不運な状況があったとはいえ、ディーターの落ち度は明らかにある。

 この辺の責は、後で報告する際に王宮護衛職内で問われることになるだろう。

 誰も庇い立てめいた声はかけられないまま、シャームエルも苦く顔をしかめていた。


「他人事ではない。俺もテティスに注意されなければ、同様に門の外に出ているところだった」

「そうか。テティスは冷静だったのだな」

「以前に失敗しているのでな。しかし言っては悪いが、基本中の基本だぞ。護衛職として、対象の傍を離れることは如何なる場合もあり得ない」

「うむ。肝に銘じたい」

「だな」


 三人とも神妙な顔で、僕の乗ったザムの周りをいつも以上に近く取り巻いて歩く。

 ヴァルターとナディーネも、青ざめた顔で言葉もない。二人とも、僕の傍で戦闘を目の当たりにしたのは初めてのはずだ。

 屋内に入って少し安堵の様子で、シャームエルは息をついた。


「それにしてもさっきの戦闘時、ナイフ使いの一人が勝手に倒れてくれたお陰で無事制圧できたことになるが」

「うむ。何だったのだろうな、あれは」

「捕縛しながら確認してみると、どうも踵の腱を切ってしまったようなのだ」

「そうなのか?」


 シャームエルの説明に、テティスは軽く目を瞠った。

 横で、ヴァルターも首を傾げる。


「踵の腱、ですか。運動不足の者や、逆に運動過剰の者が妙な動きをとったときに切ることがある、と聞きますね」

「うむ。しかしああした戦闘中にそんなことを起こすなど、聞いたことがないぞ」

「奴にとっては不運というか、悪行の報いということなのかもしれぬな」


 テティスとシャームエルが頷き合っている。


――まあこれも、そうした結論に落ち着くだろうな。


『光』加護の効果だなど、誰も、やられた本人さえ、思い当たりようがないだろう。

 今回の場合、地面すれすれに走ったごく細い光、誰の目にも留まらなかったはずだ。


 ディーターとシャームエルは王宮内の護衛に声をかけて、一時的に執務室前の立ち番を代わってくれる者の手配を依頼していた。

 こちらが部屋に入るところへすぐ新顔の二人が到着し、後を頼んでディーターとシャームエルは騒ぎの場へ引き返していく。

 慣れた部屋に落ち着き、僕は深々と息をついた。


「たすかった。ててすやざむのおかげ」

「大事に至らず、重畳でした」


 改めてテティスに声をかけてから、応接椅子の指定席にちょこんと収まる。足元に蹲ったザムの首を、ぐしぐしと撫でてやる。


「ざむ、ありがと」

「うおん」


 ヴァルターとナディーネも疲れ切った様子で、自分の席に座り込んでいる。

 もう就業時間は終わっているところだが、さすがにヴァルターもこのまま解散にする気になれないようだ。

 つまるところ、まだ曖昧で検討しきれていない事項が、嫌というほど残っている。


「さっきの顛末は、結局どういったことなんでしょうね。子どもたちを襲った男たちは街のチンピラらしく見えましたが、何の目的だったのか。後で現れた賊たちがルートルフ様を襲いやすくするために、陽動を頼まれたとか?」

「せいしぎょうのじゃまがもくてきなら、こどもをゆうかいさせるきも、じゅうぶんあったんじゃない? ゆうかいとようどう、もくてきりょうほう、はんはんとか」

「陽動の目的は、おそらく確実にあったと思う。こちらの三人の賊はかなりの手練れだったが、ルートルフ様のお命か身柄かを狙って、あろうことか王宮の庭内に殴り込んできたのだ。短時間で事を済ますために、警備を手薄にしようとする膳立てはまちがいなくしていただろう」

「でしょうね。最後にディーターが引っ立ててきた男はどうも貴族の使用人らしく思われますが、そちらがあの刺客三人とチンピラたちを雇ったというところですか。その辺の取り調べで、かなりのところが判明しそうですね」

「ん」


 頷き合っているところへ、ノックの音がした。

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