第98話 赤ん坊、休まされる

 まだ世の中への普及は顕著でないものの、円筒状のコイルバネはそこそこ作られ、利用が広まり出しているという。

 そうしたコイルバネについても、大小強弱取り混ぜて何種類か製作するようラグナに依頼する。

 ホルストとイルジーには、その試作品を吟味して木の道具に取り入れる工夫をするように提案する。


「うまくすれば、ばしゃののりごこちかいぜん、できるかも」

「そうなんですか?」


 いきなり話が大きくなったとばかり、三人はぽかんと口を開けている。

 しかしその中でも、イルジーはかなり真剣にそれについて考え始めたようだ。

 実用レベルに達した製品はどんどん買い上げるし、商会での販売や特許取得の後押しをする、と約束すると、三人とも俄然やる気を見せていた。


 そうしているうちに、物語本が仕上がったとナディーネが持ってきた。

 ちょうど午になるところなので、執務室に帰って中を吟味することにする。

 まちがいない満足の仕上がりを確かめて、昼食後にその本はナディーネに後宮へ運ばせた。シビーラを伴って第二妃室へ持参し、妃にお目にかけるようにと申しつける。


 その後は侍女が出払った執務室で、ヴァルターと打ち合わせ。

 お伽噺と物語本の販売方法、著作権料の制度の素案などについて、いろいろと検討を加える。今までまったく似たようなものも存在していない制度なので最初が肝心と、かなりのところしっかり固めて王太子や宰相にはかる予定だ。

 四刻ほど経って、ナディーネが戻ってきた。


「お妃殿下は殊の外お喜びで、満足のご様子でした」

「それはよかった」


 部屋に残った三人の侍女たちも、印刷の出来映え、特に挿絵の鮮やかな仕上りに大喜びしていたという。

 後宮側では二冊目以降の物語の原稿作成が進み、作業小屋ではお伽噺の残りの印刷製本が順調に進められている。

 妃の反応の様子では、さらに他の物語原本の貸し出しも望めそうだ。

 そうした報告を終えて、机横に立ったナディーネはわずかに口調を変えた。


「それから、タベアさんがシビーラさんに間諜報告を求めて、わたしも立ち合わされました」

「ふうん」

「わたしたちの執務環境の改善事項が報告されて、ご苦労、その調子で続けるように、という指示でした」

「ふうん」


 本来は内密に行われるべき諜報活動が、ナディーネも立ち合いの上で大っぴらに報告されているという事実が、何とも、どう解釈していいのやらという感じだ。


「あと、お妃殿下からシビーラさんに指示されていたのですが」

「ん」

「ルートルフ様が王太子殿下のお役に立てないような兆候が見えたら処分を再考するので、直ちに簀巻にして拉致してくるように、と」

「わお」

「具体的には、十分に休息をとらないなど体調管理ができない様子なら、遠慮なく速やかに決行せよとの仰せでした」

「わあ」

「そうでした」


 聞いていたヴァルターが大きく頷いて、それまで広げていた書類などを片づけ始めていた。

 そうしてすぐに立ち上がり、有無を言わせず僕を抱き上げる。


「私も反省していたところでした。ルートルフ様の都合に合わせてはいられません。毎日時間を決めてしっかり休憩をとるようにしないと、また寝込んでしまわれるのがオチです」

「いや、その……」

「お休みください」


 ほとんど力ずくで長椅子に横にされ、上掛けで覆われる。

 例によってこうした件では、侍女も護衛も親友もまったくこちらの味方にはなってくれないわけで。大人しく目を閉じる以外、選択のできようがない。


「にこくくらいで、おこして」

「かしこまりました」


 この文官にしては珍しいほど晴々とした表情で、頷いている。

 横に座らせたナディーネに指示して、本日の活動記録のまとめをしているようだ。

 とりあえずも観念して全身脱力していると、すぐに眠りは訪れた。


 そうして起こされたのは、注文通り午後の六刻を過ぎた頃だった。

 文官に時刻を確認して、欠伸を一つ。

 勤務終了までに少し今後の検討をする余裕があるかな、と考える。

 しかし、すぐにヴァルターから報告があった。


「お休みの間に、宰相閣下から連絡がありました。急な話で申し訳ないが、ということで」

「なに?」

「クーベリック伯爵から依頼があったというのです。製紙業稼働のために領地に指導が回ってくるのを待っている状態だが、その前に一度担当の者に実際の作業の大まかなところを見せてもらえないか、ということのようで」

「いつ?」

「それが、今日これから、というのです。本当に大まかなところでいい、明日以降は実際の技術者がここを離れると聞いているので、無理を言って申し訳ないがほんの少しでも、と」

「ふうん」


 一応理の通った申し出で、仕方ないかな、と思う。

 クーベリック伯爵領は王領の北西部という位置づけで、ベルシュマン子爵領から始まる指導行脚が訪れるのはおおよそ三週間後の予定になっている。

 そうした具体的な指導を受ける前に、作業場所や態勢作りなどの検討のため、担当者に実際の作業を見せておきたい、という希望だ。

 各領での円滑な稼働開始を考えると、断る理由はないだろう。

 作業場での今日の勤務時間は残り四刻を切っているが、まあ大まかな流れを見せることくらいはできると思われる。


「それなら、いこう。そのひと、すぐくる?」

「待機している状態で、連絡すればすぐに来るということです」

「じゃ、みんなでいどう」


 伯爵自身には僕が話すところを見せているのだから、その配下の者に隠す必要もない。

 何よりまだヴァルターは終始通した製紙作業を把握しきれていないわけで、概略の説明はグイードと共に任せるにしても、細かい質問などがあったら僕しか対処できないのだ。


 連絡を入れるとすぐに作業場に現れたのは、供を一人連れた、クーベリック伯爵領の家宰副官と名乗る壮年の男だった。きびきびとした動作で、僕に対して礼をとる。

 赤ん坊を目上に立てることの忌避感はないようで、丁寧な口調ながら愛想のよい受け答えだ。時間が限られていることもあって、すぐ事務的に説明を受ける態度になっている。

 ただ、説明内容はヴァルターとグイードに任せて十分だった。駆け足ながらグイードが具体的作業手順を説明していくのを細かに質問しながら熱心に聞いているが、二人が説明に窮するようなことはない。

 安心して、僕はナディーネとともに後ろに下がってそれを眺めていた。

 木の枝を煮るなど外の説明を終えて、一同は小屋の中に入っていく。片側で版木彫りの作業が続いている、そちらを邪魔しないよう一方に寄って後半の作業手順の説明だ。


「紙漉きという、これが最終工程ですが、このような特別な道具で行います」

「なるほど、作業場の広さなども所要時間の調整も、ほぼこの工程で決まると聞きました。つまり広さについては、この水桶の大きさを基準に考えればいいということですな」

「おおむね、そういうことになります」


 ヴァルターの説明に頷いて、家宰副官は供の男に筆記板への記録をさせている。

 さかんに小屋の中を見回して、確認に余念がない。


「この小屋の広さで、十人程度の作業に相応すると言いました?」

「そうですね」

「小屋の広さ、寸法は分かりますか」

「ああ、今はちょっと。図面を持ってくればお答えできるのですが。明日にでも――」

「ああ、そういうことでしたら。失礼して測量させてもらっていいですか」

「ええ――どうぞ」


 ちらと僕の顔を窺って、ヴァルターは応諾した。

 供の男が長い紐を取り出して、小屋の内寸を測り始める。

 その作業を待つ間、副官とヴァルターは世間話の様相になっていた。

 グイードは説明役から解放されて、仲間の元での作業に戻っている。明日から遠出の予定なので、ここの作業は区切りをつけて片づけなければならないのだ。

 続いて副官は作業机の寸法も知りたいと言い出して、これも紐で測らせている。

 こちらの傍にいたナディーネが、感心の顔になっていた。


「ずいぶん細かく、いろいろなことを知る必要があるのですねえ」

「じつむたんとうとして、とうぜん――なのかな?」


 何となく気持ちとしては分からないでもないが、「本当にそこまで必要か?」という気もしてしまう。

 作業机など、現地の者が使いやすい寸法でいいじゃないか、と思うのだけど。

 もしかすると、言わば中間管理職として、遺漏なく調査してきましたという証拠を上司に示さなければならないのかもしれない。

 続けて、製紙作業用道具一通りの寸法も測り、記録していき、かなりの時間が経過していた。

 副官が満足の顔を見せたのは、もう一同の勤務時間が終了する間際だった。


「では、どうもありがとうございました。たいへん参考になりました」

「ご苦労様です」


 ヴァルターに見送られて、二人は帰っていった。


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