第97話 赤ん坊、説教される
現状確認の打ち合わせが終わり、王太子とゲーオルクは戻っていった。
ヴァルターは僕を机に戻し、使った資料などを片づける。
そうしながら小さく首を傾げ、僕の顔を見てきた。
「少し気になったのですが、何となくゲーオルク様のご様子が、今ひとつ前向きでない印象を受けるような」
「だね」
「もともと鉄工絡みの方にご熱心なのは当然なのでしょうが、製紙ついてもこの部署の成果として普及に乗り気と受け止めていたところでしたのに」
「ん。たぶん、じりょうのりえきがおおきくない、きづいたからかな」
「え? ウェーベルン公爵領でも製紙場の稼働を決めているんですよね」
「ん。だけどあのりょうは、もともとせいてつがあるから、ほかとくらべてあまりにんずうをさけない」
「ああ」
製紙業導入を決めた領は、ほぼそこに投入できる人員量に比例して利益が見込まれる。ただし、農産業に影響が出ない範囲に留めるよう、王太子から釘を刺されている。
もともと製鉄業が盛んなウェーベルン公爵領では、農業従事者以外の余裕が少ないので、製紙に使える人員に限界があるはずだ。
ただそうでなくても大きな領なので、他と比べて人口比として制限されるという程度で、絶対数として別に少ないわけではない。利益も十分に見込まれる。
単純に言うと、元の人口が半分の領と比較して、利益が二倍にはならないかもしれない、という程度だろう。
そんな胸算用に、あの次男殿が思い至ったということなのではないか。
――そんなの、考えれば最初から気がつくはずのことだけど。
そんな説明をすると、「なるほど」とヴァルターは納得の顔で頷いている。
「かの領はご長男が次期領主としてほぼ決まっているようですが、何分大きな領地なので、ご次男も領政に関わる余地があるようです。製鉄に関する部分を自分に任せてほしいと交渉しているという話は聞きましたが、製紙についてもそういう期待を膨らませていたのかもしれませんね」
「ふうん」
その辺は領内、あるいは家庭内の問題なので、口を挟む気も起きないところだ。
多少の期待外れはあったにしても、あの男がこの先手抜きなどをすることはないだろう、と思っておく。
執務室の片付けを終えて、裏門の作業所へ移動することにする。
三日も離れていたのは初めてで進捗が気になるし、二班の四人は遠征の前日だ。加えて一班の三人が久しぶりに来ているそうなので、こちらとも話をしたい。
ザムに跨がって外に出ると、作業所で思いがけず熱狂的に迎えられた。
二日間、僕は疲労が溜まって休んでいると伝えられていたので、口々に労いの言葉をかけられた。
代表的なのはいかにも訳知りぶったアルマの言葉で、
「ルートルフ様は、自分のお身体にも気を払わなくちゃダメですよお。赤ちゃんって前触れもなく熱を出したりして、ほんと油断できないんだから」
「……はい」
孤児院には乳飲み子も数人いて世話を任されることがあるので、育児には一家言あるのだそうだ。
しかしそれを赤ん坊本人に説教するのも何か違う、どこかシュールな光景、と思うのは僕だけだろうか。
とにかくも、二班の四人が旅立つ前に間に合って話ができて、よかった。
こちらに来ていた王都の商会と二公爵領からの製紙業見習いはすでに修行を終えて離れていて、今は四人だけで手掛けていた製紙の残りを小屋の外で片づけようとしているところなので、安心して会話ができる。
予定通り、グイードとマーシャ、アルマとエフレムがそれぞれ組んで、二手に分かれて各領地を回ることになっていた。
おそらく一ヶ月以上になると思われる長期遠征だが、四人とも出張手当つきの初めての馬車旅行にわくわく胸膨らませているようだ。
ヴァルターから院長に説明も通り、納得の上励ましをかけられている。小さな子どもたちには、お土産を心待ちにされている。
先日来ここでの製紙法指導の時間から交代で参加していた二人の文官、商会の職員が帯同してくれるということで、少しは気心も知れていて安心だ。
それぞれ二人ずつ護衛騎士がついて、子どもたちの保全に努めることになっている。また各領地で孤児が軽んじた扱いを受けないよう、文官たちに宰相からきつく言い含められているということだ。
「るーとるふりゅうせいしじゅつのかいそ、ほこりをもってがんばって」
「「「「はい!」」」」
特にアルマとエフレムの組は最初の目的地がベルシュマン子爵領ということで、「ルートルフ様の故郷を見るのが楽しみ」と期待を膨らませている。
しかし申し訳ないが、製紙場を設立する予定地は旧ディミタル男爵領の中央部になっていて、僕も行ったことがない場所だ。そう話すと「えーー、残念」と悔しがられた。
まあ気候風土的にはかなり西ヴィンクラー村と似通っているという話なので、雰囲気は掴めると思う。
四人を激励した後、作業小屋に入る。
こちらではウィラとイーアンに彫師見習いが六人加わって、ナディーネの指揮の下、印刷作業をしていた。オリファー商会からさらに二名派遣されてきて、見習いが増えているのだ。
第一弾の物語本作成も、間もなく上がりそうだという。
外部の者がいるので僕は口を出さず、ヴァルターに進捗の様子を訊ねさせながら、秘かに子どもたちに向けて労いの意味で手を振ってみせた。
外に戻り小屋の脇に回ると、ホルストとイルジー、ラグナが土の上に座って話し合っていた。
僕を見ると、腰を上げて頭を下げてくる。
「さんにんとも、ひさしぶり。こうぼうはどうだった?」
「はい、荷車作りは、順調に進んでいます」
ホルストが片手を握って、力強く応えた。
イルジーも顔を紅潮させて頷いている。
「本当に、みんなが俺たちのことやたら持ち上げてくれて、背中がこそばゆい感じですけど」
「こっちもです。工房で俺、一つ上の仕事任されるようになったんすよ。ルートルフ様とこいつらのお陰、す」
「それはよかった」
三人とも工房の先輩たちに荷車製作の要領などを伝授し終わって、今日からは少しずつ新製品開発の相談を進めるために集まっている。
とりあえず今は、荷車の車軸部分を馬車に使えるようにするための検討をしているという。
これについては、将来的に安定して使い続けられる仕様をじっくり考えて確立するようにと、僕からも注文を出してある。
それを踏まえて、耐久性を上げるために荷車よりも部品を鉄に変える割合を増やす方向で相談しているようだ。
まずは馬車用にサイズを大きくした部品をホルストが木で作る、という話になっているらしい。
「うん、がんばって」
「はい」
「ところで、らぐな」
「はい?」
「こんなの、つくれない?」
相談に使っていた石盤を引き寄せて、図を描いてみせる。
細く紐状にした鉄を円く二巻きして、両端を斜め左右に突き出させた形。
「てつのかたさとだんりょくをちょうせいして、ここをてでとじてはなしたら、すぐもとのかたちにもどるようにする」
「はあ。バネのような感じすね」
「そ。ねじりばねという」
「こんな形のは見たことないけど、うん、できそうすね」
「へええ――」
ラグナと見比べていた図に、イルジーが熱心に覗き込んできた。
「こんなバネっての初めて見たけど、いろいろ便利に使えそう」
「ん。これをきのどうぐにくみいれたの、かんがえてみて」
「はい」
「さしあたって、かみをたばねてこていするどうぐとか、せんたくものをほすときおさえるどうぐとか」
「あ、はい、はい、できそうですね」
目を輝かせて、もうイルジーは考え始めている。
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