第90話 赤ん坊、ほしがる

「ん。そこは、かてんかひとりのせきにんじゃない。みんなでかんがえよう」


 頭を捻って。そちらも手を止めて窺いの目を向けているナディーネとメヒティルトの方を、僕は見やった。


「どんなだとおもう? こおに」

「見たことはありませんけど……」

「そうぞうで」


 二人顔を見合わせて、首を傾げて。


「悪戯好きの男の子、みたいな?」

「痩せていて、動きは敏捷で……」

「口に牙、生えてる?」

「髪はボサボサ、でしょうか?」


 口々に、イメージのようなものは出てくるが、明瞭にまとまらない。

 カティンカの手はさっきから、動き出しかけては止まり、中途で彷徨さまよいをくり返している。

 僕としても、助言の口の入れようもない。

 そうしたことに関する知識はまちがいなく、同席している他の人たちより乏しい。加えてこうした件については、いつもの『記憶』を持ち出して当てはまる保証がまったくないのだ。

 一同の困惑を見回して、タベアが溜息をついた。


らちが明きませんね。殿下、シビーラを呼んでもよろしいでしょうか」

「うん?」


 侍女の呼びかけに、妃はひととき視線をもたげた。

 それがこちらの幼い使用人の上を一巡りし、側近の顔に戻る。


「あれが、ものの役に立つか?」

「幾分かの助けになるのではないかと存じます」

「ふむ。なら、好きにせよ」

「かしこまりました」


 軽く一礼して、タベアは奥に下がっていく。

 首を傾げて、僕は妃の顔を見た。

 当然、初めて聞く名の人物について説明を求めたのだけど、見事に無視された。


――まあ、本人を連れてくるらしいから、すぐに分かるか。


 間もなく戻ってきたタベアの後ろに従うのは、まだ若い侍女だった。鮮やかな濃いオレンジ色の髪の下で、大きな目をくりくり活発に動かしている。

 うちの侍女たちよりは少し年かさだろう。しかし髪を結い上げていないところを見ると、十五歳の成人には達していないのか。まあこの点、世間一般に成人女性は必ず髪を結い上げるという決まりがあるわけではないようだが、後宮ではけっこう徹底されているようなのだ。

 先輩に連れられてカティンカの座る簡易テーブルの脇に来て、若い侍女は大きな目をますます丸くした。


「わあ、見事な絵ですねえ。こちらの絵描きさんに協力すればいいのですか?」

「そうです。貴方の想像でいいので、どんな絵柄になればよいか、一緒に考えてあげなさい」

「はい、かしこまりましたあ」


 興味好奇心丸出しの顔で、オレンジ髪の侍女はカティンカの横に屈み込む。

 に、と目を細めて笑うと、鼻横のそばかすが鮮やかに見えてきた。


「噂には聞いてたけど、貴方がカティンカね。わたしはシビーラ、よろしくね」

「は、はい。よろ――」

「聞いてた通り、本当に貴方、絵が上手なんだねえ。で、で、子鬼だって? みんなは子鬼っていうと恐ろしい顔で、人を噛み砕く鋭い牙を生やしてるってイメージになるんだけど、あたし、このお噺の子鬼は、もっと幼い顔で牙も小さいと思うんだよね」

「は、はあ……」

「髪はもじゃもじゃで、耳が見えないぐらいなの。目は細くて、得意げだったり悔しがったりの表情が豊かなの。背丈は七歳ぐらいの男の子って感じで、痩せてて、お腹がぼっこり出ていて、着ているものは半ズボンより少し長めの粗末なパンツだけ。どう?」

「はい? はい、はい――」


 勢いについていけない様子ながら、慌てて取り出した石盤に、カティンカは手早く人型を描き始める。

 その横からシビーラは指差し示して、事細かに注文を入れていく。


「そうそう、髪はそんな感じ。いいねいいね」

「はい、はい」

「あ、目はもう少し細く、眉は太く。悔しがるときは、こんなふうになるの」


 カティンカの手から石筆を取り上げて、脇に自ら顔形を描き始める。

 粗雑な絵ながら、雰囲気は掴める印象だ。


「は……あ、はい、分かりました。こうですか?」

「うん、そうそう。いいよいいよ、最高」


 返してもらった石筆でカティンカが描き直した顔つきに、シビーラは両手を打ち合わせた。

 向かい合わせたテーブルから、ナディーネとメヒティルトがぽかんとその様子に見入っている。

 すぐ後ろで、タベアは苦笑いの『苦』がかなり濃い表情だ。

 僕にも、少し状況が掴めてきた。

 石盤にシビーラが描き入れた絵、横に書き添えた『悔しい顔』という文字。おそらくのところ幼児とあまり変わらない稚拙さ、粗雑さだ。つまるところ、絵や字は自分で思い通りに表現しきれないが、想像力だけは人一倍強い、ということなのだろう。

 さっきからお伽噺の文章は一切見ずに話を進めている様子からして、この部屋所蔵のお噺類は十分読み込んだ上で、日頃から同輩や先輩相手にこのような自分の追加想像を語りまくっているのではないだろうか。

 癖の強い主人に相応しい、癖の強い使用人だ。


――他人ひとのことは言えないって? 放っといて。


 タベアが思いついた通り、カティンカの弱点を補うのに最適な人材と言えそうだ。

 うーん、と考え。

 脇の妃を、ちらと見る。


「やらんぞ」

「わ」


――まだ、口に出していないのに。


 人の心が読めるのか、この妃殿下は。


「其方のところの者と違って、うちの侍女は通常の業務でも有能じゃ。そうそう気安く譲るなど、せぬ」

「……ざんねん」

「仕事ぶりに、まず不足はありませんからね。休憩時の話の暴走で周りを辟易させるのが、玉に瑕なのですが」


 作業に熱中している若者たちに聞こえないようにと、タベアがひそめた声を入れてきた。

 頷き、妃は得意げな横目をこちらに向けてくる。


「今回の本作りには、妾にも利がありそうだからの。一通り協力させよう。じゃが、それもここの本が仕上がるまでじゃ」

「……ん」


 向こうでは、子鬼の姿形が決まったのに続いて、噺全体から挿絵にする場面の選出、挿絵の画面構成と、シビーラの助言を受けてカティンカが次々とラフ画にしていっている。

 最初は口を入れていたナディーネとメヒティルトも、自分の筆写作業に戻っていったようだ。

 それぞれのテーブルで、作業は順調に進んでいる。

 当面は僕が口を入れる必要もないようだ。

 そう思うと、とろりと瞼が重くなってきていた。


 数刻は、微睡まどろんでいたのだろう。

 目を覚ますと、変わらない昼下がりの室内だった。

 一つ違うのは。

 枕元にいたはずの妃が、足元の方に移動していた。

 侍女たちの作業を覗き込んでいるらしい。今しも一枚の絵をかざし上げて、うーむ、と唸っている。


「何じゃ、これは」

「え、あの、その……」


 画面に見入ったまま詰問調ともとれる呟きに、カティンカはすっかり萎縮してしまっている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る