第76話 赤ん坊、税を聞く
「協力を明言した領に製紙法を教えて回り早期に稼働させることを、優先する。乗り気でない領への説明で、万が一にも余計に無駄な時間をとられるようなことになっては、逆に悪影響となる」
「なるほど」
「非協力面子の炙り出しにもなるしな。そちらへの対処は、説明行脚が一巡り終了してからだ」
「そちらも、考えておられるのですか」
「ごぜん、ぞうぜい、いってたね」
「うむ。まあ、最後の手段に近いがな」
僕の質問にも、王太子の何処か怠そうな応えがあった。
訊くと、数週間前に領主を集めた会合で確認した件だという。
ダンスクから、小麦輸出価格引き上げの要求が出ている。現在交渉中だが、もしそれが現実のものになったら、各領からの国税を引き上げざるを得ない、という通達だ。
輸入小麦は一度国が一括して買い上げ、必要な領地に適宜卸していく形になっている。その輸入価格が大幅に上がったら国の財政への影響が大きい。
加えて今年は、疫病対策での出費が大きく嵩んでいたところなのだ。国と各領で痛みを分かち合う調整を行う、というこの増税要請に真っ向から反対する領主はいなかった。
「ダンスクは頑として、小麦価格引き上げ要求の撤回はしそうにない。交渉の上、幾ばくかの引き上げで落着することになりそうだ。そこで言わば領主たちから言質を取った国税の見直しが行われた場合、この製紙業の導入で領の収入が増やせれば増税の負担軽減になるということが、考えの浅い者たちには気が回らないらしいな」
「そうなりますね」ヴァルターが頷く。「その点はっきり告げて説明すれば、製紙場を受け入れる気にもなるのでは?」
「こちらから、今から増税ありきの話をするのも、おかしな話だろう」
「しかし、紙の生産量を確保するのは急務ですよね。このまま拒否が増えて必要量確保ができなかったら、元も子もないのではないですか。今後の領主との面談、南の方が拒否者が多い予想も立つのでは――」
「その場合は仕方ない、すでに協力してくれている領で、作業員を増やしてもらうさ。改めて説明の者を派遣する必要もない」
「しかし、協力的な領でも、ぎりぎりの人数を出してもらっているのですよね。それ以上となると、領内の農業生産などに影響しかねません。小麦生産量が減少することになったら、それこそ税収に影響します」
「そのばあいのせいしへのきょうりょくぶん、げんぜいをてきようする、ことにすればいい」
「は?」
「たしょうのこむぎのげんさん、あっても、ながむぎなどでおぎなう、うごきはじめてる。りょうみんは、うえさせない。くにのざいせいは、かみのゆしゅつでたてなおす」
「あ……」
僕の説明に、ヴァルターはぽかんと口を開けていた。
王太子はそれを肯定するでもなく、黙って苦笑している。
――まあ、ここで王太子は明言しないだろうけど。
そもそも追加の作業員増の依頼といっても、せいぜい各領内から数十人規模で、農業従事者に負担が増えるとはいえ大きく生産量を減じるほどではない。減税と引き換えなら、領民も納得するレベルのはずだ。
もしこの推測通り、小麦輸入価格引き上げ、増税、製紙協力分減税、が実現したら。
つまるところ事実上、非協力領地だけ増税、という結果が表出するのだ。
れっきとした理由があって全領主に内諾を得ている増税に、今さら反対はできない。
さらに公明正大な理由のある減税措置に、ますます反論はできない。
当初非協力返答をした領主は、どう受け止めるものだろうか。
何処か含み笑いのような表情で、王太子は引き上げていった。
僕は、応接椅子の上で大きく息をつく。
疲れた。
初対面の人間を含むかなりの人数相手に、いつにないほどの弁舌を振るった後、なのだ。
終業時刻までまだ二刻以上を残しているが、身体を休めようかと思う。
そうしていると、宰相の文官から報告文書が届いたとの報せがあり、ヴァルターが戸口に受け取りに行った。
とりあえず、内容を聞くことにする。
これまでずっと、各製品開発については、多国間特許を頭に置いて進めてきた。
僕も最近になって知ったのだが、この前段階として、国内にだけ適用する特許制度というのもあるのだそうだ。
大概は、まず個人や団体から申請されたものについて国内で特許認可を確立して、その中で価値を認められたものに限り、国が代表して多国間特許申請を上げる。
おおよそのところ、国内では販売額の一割程度が特許料として権利者に支払われる。国外では販売額の二割程度となり、一部が国へ、残りが権利者へ入ることになる。
権利者が複数の場合取り分の割合も国内申請の際に決めておき、国外分についてもそのまま適用されることが通例らしい。
今回の荷車、車軸、製紙、版画印刷について、それぞれその国内特許取得の内容を宰相と関係する商会、工房で検討し、案をまとめた。その報告だ。
特許料の配分は、概ね次のようになっている。
荷車については、ホルスト、イルジー、僕で三等分。
車軸については、ホルスト、イルジー、ラグナで、2:2:1の配分。
製紙については、2分の1を僕、4分の1を王宮、残りを二班の四人で等分。
版画については、2分の1を僕、4分の1を王宮、残りを三班の二人で等分。
製紙と版画については、開発開始段階から王宮が場所と担当者の賃金、材料等を提供していたため、取り分が生まれる。
本来なら賃金をもらって上の命令で働いていた担当者たちには権利が生じないのが通例らしいが、今回はただ指示に従っただけでなく本人たちの工夫や試行錯誤の結果が大きかった、という僕の主張が取り入れられたということだ。
また、今回は前例がないほど成人前の子どもが多いこと、詳細情報の秘匿の必要が認められることから、国内でも権利者の名前の非公表を徹底する措置が執られたらしい。多国間特許についてはもともと、国が代表して申請する形で、権利者名を明らかにする必要はないことになっている。
この辺り、僕から王太子や宰相へも注意喚起したが、かなり徹底して考慮されたらしい。
これらの製品が公開された後、開発者の正体が知られたら、身に危険が及ぶ可能性が十分に考えられる。
僕は言うまでもないが、孤児たちにしてもその身を拉致しようと思えば事実上造作もないことなのだ。
いくら隠しても、秘密は何処かから漏れる可能性がある。
改めて僕の警護を見直すとともに、当分の間孤児たちの身辺を警戒する動きを作ることにしているそうだ。
再来週頃から開始する予定の製紙業指導行脚についても、護衛態勢を強固にする検討が行われているという。
一通りの内容をヴァルターの読み上げから聞いて、僕はただ「ん、了解」とだけ返答した。
基本方針に納得ができれば、あと細かい部分は僕から口の入れようがない。宰相とその周辺に、丸投げしておくしかない、と思うのだ。
何より、今は疲労のせいで頭の働きがかなり怪しくなってきている。
応接椅子を整えてもらって、残り時間仮眠をとることにした。
ことん、と瞬く間に意識が落ちていた。
目を覚ますと、侍女たちが戻ってきていた。
ある程度頭もすっきりしたので、作業の報告を聞く。
三人ともかなり興奮の様子で、口々に印刷の進捗を話してくれた。
植物図鑑に次ぐ全国版の動物図鑑製作は順調で、あと二日程度で完成しそうだという。
版木彫り修行中の職人たちも作業に慣れてきて、能率が上がってきているということだ。
「あと、カティンカの描く動物の絵が、職人の人たちに大人気なんですよお」
「そうそう、自分にも個人的に描いてほしいって言う人、何人もいたですう」
ナディーネとメヒティルトが嬉々として報告し、カティンカもにこにことしている。
美術品に近い飾り彫り修行をしていた職人たちに受け入れられたという事実は、一般的にそれなりの価値が認められるという意味を持つことになるのだろう。
ただお気の毒ながら、当分の間そうした個人的注文には応えられない。
描き手が一人しかいず替えがきかないので、カティンカのノルマは手一杯の状態なのだ。
元来描くことが好きだということもあって、休息時間までペンを放そうとしないことが度々あり、同僚たちに制止されているほどらしい。
そんな賑やかな話を交わしながら、後宮へ戻る準備を整える。
僕を抱き上げながら、ナディーネは顔を曇らせた。
「お昼寝をされたというのに、ルートルフ様、まだお顔の色がよくないんじゃないですか? きっと忙しすぎですよ」
「今日は領主の方々と話し合いでしたからね。初対面の方も多いし、お父上よりも上位の貴族の方ばかりですから、気疲れもあったでしょう。明日は休日ですから、十分に休養をとれるようにしてください」
「はい、分かりました」
ヴァルターの言い渡しに、侍女たちは神妙に頷いている。
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