第75話 赤ん坊、侯爵たちと話す 3

 隣国ダンスクから、やはりリゲティ自治領絡みの要求が続いているらしい。

 先日来の小麦価格に関することに加えて、今度はかの地がグートハイル王国領であった時期の補償について蒸し返してきているという。

 リゲティは我が国側のシェーンベルク公爵領と接している。今では想像もつかないほど以前は往き来が盛んで、農産品の販売や出稼ぎの者がよく公爵領都へ足を運んでいた。

 隣国の言い分――最近調べがついたところでは、自治領民は公爵領でたいへんな差別を受けていた。

 販売した農産品は不当に買い叩かれ、利益を搾取されていた。

 出稼ぎ者は爵領民に比べて不当な低賃金で重労働を強いられていた。

 頻繁に女子どもが人買いに攫われる被害を受けていた。

 ――等々。

 そのような被害分の補償を要求する、といった内容だ。

 グートハイル側からは、そういった事実はない、あると強弁するなら証拠を出せ、と反駁。そもそも自治領への補償については、停戦合意時に話し合い、決着しているはずなのだ。

 相手側からは、被害者たちの証言が紛うことない証拠だ、当時検討されなかった新しい事実が出てきたのだから補償を見直すのは当然だ、と主張。

 要求が通らないならそれに値する分だけ公爵領の一部の割譲を勝ち取る、と軍事力に訴えると言わんばかりの言葉もちらつかせているという。

 どうも、わずか二十年余り前のことにもかかわらず、農産品販売についても出稼ぎ雇用についてもはっきりした記録が残されていないということが、話をややこしくさせているらしい。


「まさか実際に兵を出してくるとまでは思えないが」

「笑止」エルツベルガー侯爵は鼻を鳴らした。「そんな被害者証言が、二十年以上も経ってから初めて出てくるなど、あり得なかろうに」

「当時、自治領と公爵領の関係が円満だったことは、疑いようのない事実ですからな」


 騎士団長も呆れ顔で、首を振っている。

 王太子も、深々と息をついた。


「まあしかし、軍事侵攻がまったくあり得ぬと捨て置くわけにもいかない。シェーンベルク公爵には備えを固めさせているし、国軍にも隣接するベルネット公爵領とアドラー侯爵領の領兵にも待機場所を見直してもらっている。自治領との領界まで、十分に半日以内に到達できるはずだ」

「そうですな」

「はんにち?」

「これも、ルートルフは知らなかったか? 一応五カ国協定で、万が一の開戦時も、戦端開始は宣戦布告の半日後以降と定められている」

「ふうん」


 平時自治領に駐留しているダンスク軍の規模ならば、シェーンベルク公爵領の兵で応戦できるし、国軍や隣の侯爵公爵領兵が加われば圧倒できる。

 自治領の軍の趨勢についてはこちらでも常に監視していて、増兵にはすぐ対応する。非常識な数の軍勢が集う兆候が見えるなら協定違反と見なして、他の友好国からの干渉も入ることになっている。

 現状、しばらくは緊張状態が続くかもしれないが、対処は可能だしこれ以上の悪化は現実的に考えにくいということだ。


「現在のかの国の苛立ちは、主に小麦と砂糖の輸出減などが原因だろうが」エルツベルガー侯爵が鼻先で嘆息する。「とにかく我が国を敵視して、足を引っ張ろうとする考えが最優先の国だ。ここに荷車と紙の件が公表されたらどのような動きに出るか、十分に注視しておかねばなりません」

「それは、承知している」

「その他に、国内の動きにも気を払っていかなければなりません。この重要な時期に、内からも何やかや足を引っ張ろうとする動きがあるかもしれませんぞ」

「それも想定している。どうしても仕方ない場合には、例の増税の件がある」

「そこまで腹を括っておられますか」

「うむ。ここしばらくが正念場だろうからな」


 祖父の指摘に、王太子は重く頷いた。

 続いて初老の侯爵の視線がこちらに流れて、僕も小さく頷きを返した。

 侯爵領訪問の際に兄が指摘を受けていたのと同様に、現状の僕には自分のしていることの影響がどのように国の内外に及ぶか、考慮するだけの知識も力もない。現時点で専門家から助言がもらえるのは、この上なくありがたいことだ。


――こちらとしては、今していることを押し進める、その後は王太子や宰相に丸投げ、しかないんだけど。


 なおよく聞いてみると、来月の通商会議に我が国の代表者として出席するのは、エルツベルガー侯爵だということだ。

 荷車と紙の件も含めて、今後も宰相を交えて綿密に打ち合わせをしていかなければならない、と王太子と話している。


 三公打ち合わせの結果で、この日午後からの予定はわずかに変更が入った。

 作業場での製紙の見習い修行に、ベルネット公爵領とウェーベルン公爵領の者が二名ずつ加わる。午後いちばんに、ヴァルターから監督している文官を通して紹介を行った。

 それを見届けて、僕は引き続き王太子と、執務室で領主たちへの説明の場に臨む。

 ここでも予定されていたロルツィング侯爵、ヴァンバッハ子爵、グロトリアン子爵の三名に、ベルネット公爵とウェーベルン公爵の配下が一名ずつ加わった。公爵領で実際に製紙業を担当する者に、詳細を聞かせておこうという意図だ。

 僕からは午前の前回と同様、植物図鑑の冊子を配付して紙の有用性を説明する。初めて僕の話すところを見る面々は動転の様子だが、王太子の面前で特にその点についての発言はなかった。

 ロルツィング侯爵は父と同年代の生真面目そうな男性で、ヴァルターからの説明を熱心に聞いている。国からの要請であればできるだけ沿えるようにしたい、という反応だ。

 両子爵領はロルツィング侯爵領と隣接していて、ヴァンバッハ子爵が東隣でエルツベルガー侯爵領と挟まれている、グロトリアン子爵領は西隣でアドラー侯爵領と挟まれている、という位置づけだ。

 二人ともロルツィング侯爵より少し年上かという年代だが、説明を聞いての反応に違いがあった。

 グロトリアン子爵はとにかく愚直に見えるほどの様子で、「あまり人数は揃えられないかもしれませんが」と言いながら、国の方針にはできるだけ従おうという返答。

 一方のヴァンバッハ子爵はどうにも煮え切らない様子で、「農作業が忙しい時期なので、人手は出せそうにありません」と答えている。

「そうか」と頷いて、王太子は先を促した。

 記録をとっているヴァルターが、孤児たちの説明行脚について、西ルートはベルシュマン子爵領からアドラー侯爵領、グロトリアン子爵領へ、東ルートはエルツベルガー侯爵領からロルツィング侯爵領へと進めるように予定を組もう、と告げる。


 この午後の説明会は、時間差の二段構えになっていた。

 少しの休憩を置いて、次の領主たちを招き入れる。クーベリック伯爵、イーヴォギュン伯爵、ドルダラー子爵の三名は先ほどの三領のすぐ南、王領北部の東西に接する位置づけの領主だ。

 同じように説明を行い、領主たちの意向を問う。

 いずれも面積人口ともに小規模な領地なので、その反応は明らかに困惑気味だ。やはり労働力のほぼすべてを農作業に注ぎ込んでいる現状で、余裕はないという。

 結局、クーベリック伯爵とドルダラー子爵からは「職人数名規模でしたら」という消極的な承諾、イーヴォギュン伯爵からは「申し訳ありませんがご勘弁ください」という返答だった。

 説明行脚の西ルートから、イーヴォギュン伯爵領を外すことになる。

 他の二領については、少人数規模の稼働でも貴重だ。比較的王都に近いので、少量の生産でもその都度運搬がしやすく、小回りの利く生産所として当てにすることができる。

 そういった今後の予定を確認して、領主たちの退室を見送った。


 いつもの定席に移動して、ふうう、と王太子は大きく息をついていた。

 僕も椅子の背もたれに身を沈め、首を左右にこきこき振る。


「まあ、こんなものかな」

「ここまで、けっか、よそうどおり?」

「大方はな。一人、やや想定と違う者はいたが」

「ぼう、はくしゃく?」

「まあ、そんなところだ」


 数日前にヘルフリートから届けられた資料と各領主の名前を照らし合わせて見ていたところ、製紙場の設立を拒否したのは、『反王太子派』としてリストアップされていたものと見事に一致していた。

 承諾した中でクーベリック伯爵は『ダンスクに近い』と疑惑がつけられていた名前だが、王太子もそれと承知していたようだ。


「はっきりした証拠がない以上、例外扱いもできぬ。当面は監視を強くして様子を見るしかないだろう。万が一作業工程が漏れても模倣は無理だという点、まちがいないだろうな?」

「ん。もちろん、こうていももれないほうがいいけど」

「人の出入りを、厳重に監視させる」

「ん」

「協力を拒否した領に、さらに強制はしないのですか?」

「今は、しない」


 ヴァルターの問いに、王太子は首を振った。


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