第74話 赤ん坊、侯爵たちと話す 2

「つまり、差し当たって必要なのは、木材と水と場所の確保。あとは概ね、従事する人間の人数と技能習得次第で生産性は決まる、と言えることになります」


 ヴァルターの説明に、なるほど、とエルツベルガー侯爵は頷いている。

 腕組みの姿勢で、寸時考え巡らせて。その顔が王太子の方へ戻った。


「我々としては、北から始めてもらえるのはありがたいが。国全体での生産量確保を考えると、就業人数が見込める南のベルネット公爵領やウェーベルン公爵領を優先的に考えた方がよいのではないですかな」

「そこは、別に考えている。今日朝一番で、宰相が臨時の三公打ち合わせを開催して、この件を説明したとのこと」


 即答して、王太子は僕の方に目を向けた。


「ルートルフとヴァルターにも告げておかなければならなかったな。ベルネット公爵は即時この製紙業に乗り気で、孤児たちの説明行脚を待たず、王宮の作業場へ人を派遣して製法を学ばせたいとのことだ。宰相、ウェーベルン公爵もこれに倣う。シェーンベルク公爵はもう少し様子見、とのこと。今日の午後から早速、ベルネット公爵領とウェーベルン公爵領の者が数名ずつ、作業場へ来ることになっている。今の修行中の者たちに加えて指導してやってほしい」

「ん」

「了解いたしました」


 僕とヴァルターの相鎚を受けて、王太子は何処かしてやったりといったふうの笑顔になっている。

 おそらく最初から、この動きを予想していたのだろう。

 聞いている限り、ベルネット公爵の国益への貢献と新し物好きの傾向は、他の領主たちと比べても群を抜いているようだ。その辺をうまく刺激してやれば、この申し出を自発的に起こすよう、容易に誘導できるのではないか。

 宰相としても自領に同様の動きをいち早く起こすことは考えていただろうが、立場を利用した抜け駆けというそしりを受けないよう、ベルネット公爵に言い出しっぺを任せてそれに便乗する格好を選んだと思われる。

 王太子と宰相がこの「北から順」という計画に賛同したのも、このような目論見があってのことか。

 僕の想像を裏づけるように、エルツベルガー侯爵は苦笑めいた顔になっていた。


「なるほど。いかにも、あの新し物好きの公爵らしい」

「だな」


 王太子も、祖父に合わせた苦笑になっている。

 エルツベルガー侯爵は騎士団長とも肯き交わして、続けた。


「そういうことでしたら、その二公領と北の我々に加えてロルツィング侯爵領辺りが同調すれば、とりあえず相当量の生産を見込めると思ってよさそうですな。あとは他国への情報流出の防止と、何やかや思わせぶりに態度を決めようとしない勢力への対策ですか」

「情報流出対策は、ルートルフが考えているが――」

「そのけん、ここにいるかたがたに、おねがいしたい」


 ちらりこちらに向けられた王太子の視線を受けて、僕は一同を見回した。

 エルツベルガー侯爵は軽く目を見開き直した程度、一方のアドラー侯爵は生真面目な顔を引き締めている。


「何であろうか」

「せいしのこうていで、ぜひひとくしておきたいもの、ある。その、もののにゅうしゅ、きょうりょく、おねがいしたい」

「ふむ」


 すぐに理解したらしく、王太子は両侯爵に向かい直った。


「紙を作る工程で使う材料のうち、今はルートルフ一人だけしか正体を知らないものがある。もし他国の間者が作業工程を盗み見るなどしても、この正体を知らない限り模倣することはできない、ということだ。その秘密の材料の入手を、ベルシュマン子爵とここにいる両侯爵に依頼したいということだな。差し当たっては今ここにいる面子とベルシュマン子爵以外には絶対口外無用、陛下や宰相にも告げずにいた方がいい、という感じか」

「ん」

「なるほど」

「そこまで秘匿を徹底しなければならぬ、ということですか」


 エルツベルガー侯爵は即座に頷き、アドラー侯爵は低めの胴間声を漏らした。

 隣を見て、エルツベルガー侯爵はわずかに顔をしかめた。


「昨今、某国の諜報活動は、ますます手がつけられない暴慢ぶりを見せているようだ。くれぐれも油断なきよう配慮すべきだろう」

「そうなのですか」

「例を挙げれば、かの国では最近になって、アマカブの採取の動きが活発になっているという情報が入っている。我が国での新しい製糖産業、対外的には材料がアマカブであるとは明かしていないにもかかわらず、こちらで稼働を始めて二カ月にもならないというのに、この始末だ。何処から情報が漏れているものか、あらゆるところを疑ってかかるべきであろう」

「それはひどい。あちらの首都とこちらの王都だけでも往復でひと月以上かかるというのに、ですか」

「そもそも、以前のアマキビの件もあるしな」

「あまきび?」

「ルートルフは知らなかったか?」王太子が、軽く目を丸くした。「今はダンスクで大きな産業になっているアマキビ製糖だが、もともとは我が国のベルネット公爵領で研究されていたものなのだ」

「そうなの?」

「三十年以上も前の話らしいがな。研究成果が形を成す直前で、主要研究者の一人が行方をくらました。それから間もなくして、ダンスクで製糖法の確立が発表され、いち早く特許申請された。その研究者は今も、かの地で裕福な暮らしをしているそうだ」

「なんと」

「それは、有名な話でしたな」騎士団長は何度も頷いている。「確かにそういう手管はあちらの常套手段だ。エルツベルガー卿の言う通り、油断できないことでした」

「そういうことだ」


 一同の納得を確認して、僕は説明に使っていた植物図鑑を開いた。

 シロトロの外観図と説明記述を示し、その樹液の採取を依頼する。

 実際の樹木を目にしたことはないという返答ながら、両侯爵は真剣に話を聞き、要点のメモまでとっていた。

 この場での話し合いで、現地の担当者にはその実際の用途を告げずに採取させる、採取したものは直接王太子の元に送付させる、といったことを決めた。


「紙の製法の特許承認まで長くて一年と見て、この態勢で情報を押さえることが肝要だ」エルツベルガー侯爵は苦い顔で、図鑑の紙面をぱしりと叩いた。「これは戦時の対応と同様に捉えて、死守せねばならぬ」

「まったくですな。相手が手段を選ばぬ以上、こちらもひとときも気を抜かぬ心構えでいなければならんでしょう」


 年輩侯爵に頷き返し、騎士団長は改めて王太子に向き直った。


「もう一つの、荷車の方は大丈夫なのですか。秘密保持という点で」

「あちらは、新発明の車軸部分に必要な石の玉の輸出を止めることにしたから、早々に模倣することはできないはずだ」

「ほう」


 これも宰相が早期に決断して、触れを回したということだ。

 輸出禁止ということで石加工業者にとって痛手になりそうに思われるかもしれないが、今に限っては逆に働く予想が立っている。

 新しい荷車の大量生産が始まると、そのすべてで王都で加工されている石の玉が使用されるのだから、これまでの量では足りなくなる勢いなのだ。

 石加工業にとっては『荷車特需』と言ってもよさそうな生産依頼が殺到し、職人を増員しなければならなくなりそうなほどの状況が予想される。

 ぶっちゃけ、わざわざ『禁止』の命令を出すまでもなく、石の玉を輸出に回す余裕は事実上なくなるはずだ。

 この石の玉の精度が車軸の性能に直接関わってくるので、生産量を上げる中で質を低下することがないよう、あらかじめ業者たちに釘を刺しておく必要が申し合わされている。


「これまでに、我が国以外でこの技術に十分適うほどの精度の石の玉加工に成功したという情報はない。こちらも、間もなく申請手続きがされる特許の承認前に、他国で模倣されることはまずあり得ないだろう」

「そういうことなら、一安心ですな」

「それでも油断は禁物だがな。とにかくこういう点で、手段を選ばない国だから」

「ですな」


 真剣顔で頷き、アドラー侯爵は王太子に問い返した。


「何しろ油断ならないというか。殿下、また隣国から要求がきているということでしたな」

「ああ。いい加減対応に嫌気が差してきそうなしつこさだ」


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