第73話 赤ん坊、侯爵たちと話す 1

 続いて王太子からは、製紙業についての見込みが説明される。


「宰相とオリファー商会の打ち合わせでは、近日中に王都内二箇所の製紙場を稼働させる。とりあえず当初は、日産千五百~二千枚の生産が見込める予定だ。まだまだ不十分ではあるが、とりあえず王宮内に出回らせることと、通商会議に持ち込む分は賄えるだろう。これと合わせて、各爵領に製紙場を設置していく相談を進める」

「孤児たちを手分けして、各地に回らせるという話だったな」

「ん。きたからじゅんに、ひがしとにし、ふたてにわけるよてい」

「何で北からなんだ? 南の方が人手の確保は見込めるんじゃないのか」

「きたは、ふゆば、さぎょうできない。はやいうちにかどうさせたい」

「ふうん、そんなものか」


 納得したようなしないような、という顔でゲーオルクは軽く頷く。

 国内最北がベルシュマン子爵領なのだから贔屓なのではないかと疑われても仕方ないのだが、公平に考えて、こうするべきということになるのだ。

 各爵領に協力を要請する、ほとんど王命とは言え、爵領の方に利益がなければ意味がない。製紙業を始める初年度、北方の領では雪に閉ざされて水も十分に使えなくなる前に、そこそこ生産実績を上げるようにしないと、利益が実感されないだろう。

 それと、ここでは大っぴらに口にできない事情もある。

 最南のベルネット公爵領は、国政に協力的なので問題はない。しかし、その周辺のいくつかの領にはいわゆる反王太子派閥の領主がいて、素直にこの事業に協力が得られるか、懸念があるのだ。説得に手間がかかるとしたら、そんなものを待っている時間が惜しい。

 王太子と宰相の判断でも、この「北から順」ということで賛同していた。


「ぐずぐずしている暇はないからな。明日から早速、領主を何人かずつ呼んで説明していく予定だ。おおよそ北からということで、明日はまずエルツベルガー侯爵とアドラー侯爵に了解を得ている。最北はベルシュマン子爵ということになるが、子爵が多忙だということで別口という話になった」

「ん」

「確かに、影響力の強い侯爵二人だからな。その二領が賛同するなら、他にも話を広めやすくなるか」

「まあ、そういう意味合いもある。ああところでルートルフ、そういう事情で、明日は恒例の宰相と子爵への報告はお流れだ」

「ん」


 僕が王宮に来てから初めて、週に一度の父との面会が中止になったことになる。

 その辺の事情も、聞いていた。

 ここのところしばらく、父は多忙だという。いくつかの領と王都の商会に調整をとって、「乾燥ナガムギ」の商品化を進めているのだそうだ。

 国の食料事情悪化に備えてという意味があるが、ナガムギの生産量を考えると複数の領の分を集めないと意味がない。その説得に時間がかかっているらしい。

 なお製紙業については当然ながら、宰相から簡単に説明を受けただけで、父は領内での興業を決めている。


 その他、いくつか情報の共有を行った。

 王太子からは、王宮で版画印刷を始められるよう、職人に修行を始めさせている件。

 うまくいったら、その職人たちを通商会議に連れていく。共同議長国として、会議のあったその日のうちに議事録を印刷して各国に配付することができたら、かなり担当者たちの度肝を抜く結果が得られるだろう。

 僕からは、植物図鑑が間もなく完成すること。

 各領主への説明に使える。見本として通商会議へ持っていくことも、検討していいかもしれない。もちろん他国に見せる際に、こちらで秘匿したい情報分を除いておく必要はあるが。


「うむ。順調に動き出しそうだな」


 満足そうに、王太子が頷いた。


 翌日の午前中には、エルツベルガー侯爵とアドラー侯爵をこちらの執務室に招いて製紙の件を説明することになった。

 こっちの説明役は、王太子と僕ということになる。文官としてヴァルターが脇につく。

 侍女たちはこの日も、版画印刷の作業参加だ。

 予定時間より早く、アドラー侯爵が到着した。応接席に招いて僕が向かいに着席し、挨拶を交わしているうちに、エルツベルガー侯爵も現れる。

 こちらも席に招き、僕は頭を下げた。


「こうしゃくかっか、おひさしぶりです」

「うむ。領邸に招いた折以来だな」

「そのせつは、おせわになり――」

「やめよ。殿下に言われているのであろう、無駄な儀礼は無用。赤子のまどろこしい口上につき合うほど暇ではない」

「は」

「ただ、其方には感謝しておる」

「は?」

「先日のクチアカ病流行の際、適切な情報が回されて、領地での感染蔓延は防ぐことができた。もう少し遅れたら手がつけられない事態も予想された、と分析されている」

「は」

「確かにあの際は、ベルシュマン子爵親子のお陰で国が救われた、と申して過言ではありませんな」

「うむ」


 アドラー侯爵の発言にも、ぶすりとした顔のまま頷いている。

 長いつき合いで慣れているのだろう、対するアドラー侯爵は構わずご機嫌の様子で話を続けた。


「我が領でも、あの指示を受けたお陰で恐慌を招くことなく対処できたと報告を受けている。それに加えてですな、エルツベルガー卿、こちらではその後も、いくつもの村がルートルフ君のお陰で救われたのですよ」

「ほう」


 上機嫌の口調で、例のボイエ村の件を話し出す。

 これは初耳だったらしく、エルツベルガー侯爵は表情少ないながら感心の顔で聞いていた。


 その話が一通り終わる頃合い、王太子が入室してきた。

 事務的な挨拶の後、単刀直入に製紙の話に入る。概略は事前に伝えられているということで、ここでは実際の紙と完成した植物図鑑冊子を手にして、ヴァルターから要点を押さえた説明になる。

 両侯爵は、真剣な顔で聞き入っていた。


「なんと、鳩便で送れる情報量が五倍、ですか」アドラー侯爵が唸る。「これは画期的と言える。戦時の指令伝達にも、大きな違いが出ることになろう」

「ふむ」


 一方のエルツベルガー侯爵は、難しい顔のままいくつもヴァルターに質問を返し、そのたび細かく頷いていた。

 作業規模、時間や手間、生産量などについて何度も確認をくり返し、やがて顔を上げ。

 王太子と僕、ヴァルターの顔をゆっくり見回した。


「それで、この紙というもの、まちがいなく他国への輸出品として確立できそうか?」

「はい」ヴァルターは、しっかり頷き答えた。「自国の将来を真剣に見据える限り、これを導入する以外の選択はあり得ないと存じます。もし紙を取り入れないとしたら、その国だけ文化的発展から取り残される羽目になると、言い切って構いません」

「ふむ」


 初老の侯爵は、その顔を王太子に向け戻した。


「殿下も、同じ見解であろうか」

「無論だ」

「では」表情を変えず、侯爵は頷いた。「我が国の国益に適い、自領の利益にもなるということでしたら、是非もありませぬ。喜んで協力させていただきます」

「うむ、頼む」


 まずは一つ、安堵する。

 王太子と僕にとってともに母方の祖父に当たる侯爵ではあるが、そんな肉親の情に流されて政治判断を行うほど甘い人間ではない。

 この侯爵が納得したということなら、この事業を推進する大義に自信が持てる、そんな心強さを覚える返答だ。


「我が領も同じく」騎士団長も相鎚のように頷く。「申しつけてくだされば、必要な人員や資材を集めましょう」

「ありがたい」


 王太子も引き締めていた顔を何処となくわずかに緩めた様子で、頷きを返していた。

 諸侯の中ではまだ反発の少ない相手とはいえ、新しい事業を異例なほど性急に進めようとする提案に、容易に認容が得られるかは憂惧が払えなかったのだろう。

 その後、具体的な推進手順について、ヴァルターから説明があった。


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