第72話 赤ん坊、職人を集める
商会としては、早速この日の午後から職人を六人ここへ呼んで、製紙作業の見習いを始めさせるという。
一方で王宮側も、若手の飾り彫り職人を数人確保して、午後からここへ来させるという話だ。版画技術の修行を始めさせて、役所内での書類印刷の試行を目指すという。
昨日の今日という、いずれもふつうならとても考えられない早急さだが、それだけ王太子と宰相が本気で取り組んで大号令をかけているということだ。
具体的には、来月の五カ国通商会議の場で成果を見せて、一気に紙の販売に繋げたいという目標がある。そもそも非常識にも思える性急さだが、子どもたちが二週間足らずで実現したことなのだから、まんざら不可能でもないという判断になっている。
それぞれ呼んでいる職人は、ここにいる子どもたちよりは年上になると思われる。孤児たちを蔑むようなことなく、真剣に教えを請う態度になれるか。僕からは事前にその旨を徹底するように要望を出し、宰相付きの文官が二名ずっと側に立ち合うことで話がまとまった。
どちらも、最初の顔合わせ時にはヴァルターに立ち合ってもらうことにする。
僕としては、版画修行の課題用に、今侍女たちに筆記させている植物図鑑原稿から相応しいものを選んでいく予定だ。
昼の休憩明けには、もう呼ばれた職人たちが集まってきた。
製紙担当の者が六名、およそ十代から二十代の若い男たちだ。
版画担当は四名、全員十代後半の少年らしい。
人数がこれまでの倍以上になるので、作業机などを小屋の外に持ち出して、一斉に説明を行うことにした。
仕切りはヴァルターと二名の文官に任せて、僕はナディーネとともに、少し離れたディーターの立ち番位置からそれを眺めていた。侍女連れの貴族の子どもが散歩中に立ち寄っているという体裁だ。
製紙の方は、まず孤児四人が工程を駆け足で説明し、完成品を見せて、職人たちがしきりと感心の声を上げている。
「へええ、こんなものになるのか」
「こんな加工の仕方、見たことがない」
大まかな流れを知った後、実際に道具作りから手を動かし始める。大半の作業道具はあり合わせのもので代用も可能だが、最後の紙漉き用のものは独特の仕様で、かつ従事する人数分用意しないと効率に影響するのだ。
細かい作業だが、職人六名とも新しい技術を身につけるという意欲に燃えて、熱心な取り組みように見える。
子どもたちからの指導に素直に従って、作業は順調に進んでいくようだ。
二班の面子は、グイードとアルマは年上に対しても物怖じせず話すことができるし、マーシャとエフレムは人懐っこく初対面の人間にも接することができる性格だ。見ていて、問題なく進めていけるように思える。
この辺りは、近い将来この四人に全国を回って指導してもらう予定があるので、注意深く観察していたが、心配なさそうだ。
一方で、版画の方には少し懸念があった。
ウィラとイーアンは根っからの職人気質で、あまり社交性がない方なのだ。作業工程を説明するのにも、何処か通り一遍の印象になってしまう。
対する四人の見習い要員たちも、その辺の性格面は似通っているようだ。しかも事前の情報では、孤児たちと別の工房ではあるが年長の分当然彼らより長く修行をしていて、それなりの技術を身につけている。飾り彫りの腕前だけならウィラとイーアンよりも上というくらいらしい。そういう年下の子どもから指導を受けるということに、抵抗めいたものを覚えても不思議はない。
二人が版木を見せ、印刷結果の紙を持ち出して説明をしても、何処かぶっすらと無感動にそれを聞いている。
まあそこも、気持ちは分かる。
版木を見せられても、彫りの技術はそれなりに認めはせよ、今まで自分たちが手がけてきた製品に比べて見栄えのする素晴らしいもの、とは到底思えないだろう。
でき上がった印刷を見ても、それの何処に価値があるのか、想像も及ばないに違いない。
その辺の最初のわだかまりを取り去ったのは、宰相から派遣されてきた青年文官だった。
同じ絵や文字が印刷された紙を見比べて、たちまち歓声を上げている。
「これはすごい。こんな細かい文字や図版で、何枚も同じものが作れるのだね。これを全部、君たちが彫った?」
「あ、はい」
「宰相閣下が仰っていた通りだ、こんな書類が素速く大量に作成されるようになったら、役所仕事の効率が一変するだろう。お前たち、どうだ? こんな彫りの技術、我がものにできそうか」
聞いた話では、四人の職人は版画技術を身につけた後、この文官の直属の部下となって王宮内で働く予定になっているらしい。
新しい上司に話を振られて、改めて身を乗り出して職人たちは版木を覗き込んだ。
「へ、へい。細かくてたいへんそうですが、頑張ります」
「速さと正確さが要求されることになるのだぞ」
「しっかり練習すれば、大丈夫、す」
「よし、頑張れよ。この二人から課題が出されて、細かな指導がもらえることになっている。すべての課題をこなして、速くて正確だということがこの二人と、二人のお師匠に認められれば、実際の業務に入れる許可が得られるのだからな。そうするとお前たちが、この王宮での新技術の先駆者ということになる。期待しているぞ」
「へい、頑張ります」
四人揃って、力強く頷いている。
離れて聞いていて、ナディーネが小さく笑った。
「ルートルフ様、『お師匠』と呼ばれることになっているんですか?」
「ほかに、うまいよびな、なかった」
名前や立場を公表するわけにもいかないので、こんな扱いになってしまった。
しかしとにかくも、当面は僕が合格を出した職人でないと内々の呼称『ルートルフ流版画術』の実用化は認められない、ということにしている。
十代前半の二人が早々にこの水準を実現した以上、製品としてこの先、それより劣るものを流通させるわけにはいかないのだ。
実際に作業を始めて見ると、飾り彫り職人たちの腕前は確かだったらしい。
ヴァルターがウィラとイーアンに訊いたところ、四人とも時間をかけさえすれば課題をこなすことはできる、コツを掴めば速度を上げていくことができるだろう、という感想だった。
その辺のコツなどを伝授しながら、孤児二人も彼らと机を並べて自分の作業を進めている。その手際を感心して見ながら、四人は練度を上げていくようだ。
この分なら、それほど時間をかけずに見習いたちもものになりそうだ。
しかも課題で彫らせている文字版木も、時間がかかるのはともかくとりあえず品質は実用水準に達しそうなので、今こちらで進めている植物図鑑の作成に役立ってくれる。その意味で、大助かりだ。
翌日、製紙作業の面々には自分で作った道具で紙漉きを試させた。
版画の面々には、自分で彫った版木で印刷をさせる。
どちらも作業の最終段階を体験させて、全体像を実感させる意味合いだ。
続いて、製紙は最初に木の枝を煮る工程から順に手ほどきしていくことになる。
版画の方には侍女三人も加えて、ここまででできた版木をすべて印刷していくことにした。ずっと彫りを進めてきた植物図鑑の版が揃ったので、製本まで進めることができるのだ。
印刷用に版木と紙を揃えて固定できる木の枠を作ったので、かなり効率的に作業が進むようになった。九人の作業員が並んでてきぱきと印刷をこなしていく光景は、なかなかに壮観だ。
もう僕が口を出さなくても、この日のうちに百冊の植物図鑑が完成する予定だ。
両班の作業が順調に流れるのを確認して、僕はヴァルターとテティスを連れて執務室へ戻った。間もなく王太子とゲーオルクも揃って、今後の打ち合わせをすることになっている。
いつものテーブルに着いて。侍女がいないので、久しぶりにヴァルターが茶の用意をした。
ゲーオルクの報告では、鉄工木工両工房で作業態勢が整い、荷車の生産は本格的に始動したとのこと。来月中旬の通商会議までに、五十台の生産を見込むという。
「会議を行うダルムシュタットに十台以上は持ち込んで、各国の担当者を驚かせることができるんじゃないか」
「うん、期待してよさそうだな」
誇らしげなゲーオルクの言に、王太子も頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます