第67話 赤ん坊、新製品を見せる 1
指さした先にあるのは、机の上に積まれた白っぽいものだ。
およそ、縦二百ミマータ、横三百ミマータ、高さ五十ミマータといったところか。全体として箱のような形になっているが、よく見ると薄く頼りなげなものが積み上げられた束だということが分かる。
「これが? 木工品ではないのか」
王太子の疑問はもっともだが。
実を言うと僕は、小屋の中での作製物について『木工品』と言ったことは一度もない。せいぜい『木材を原料とした加工品』という表現をとっていたはずだ。
「きから、つくったもの」
「木からあ? 到底そうは見えないぞ」
つかつかと歩み寄って、ゲーオルクがその薄い一枚を摘まみ上げた。
いかにもつまらなさそうに、ひらひら振ってみせる。
白い長方形が、弱々しくはらはらと揺れる。
眉を寄せて、王太子はもう一度振り向いた。
「何なのだ、あれは?」
「かみ」
「カミ? カミとは何だ?」
「いろいろつかえるけど、さしあたっては、ようひしや、ひっきばんのかわり。ぺんで、じをかく」
「字を書く、ねえ……」
首を傾げ、隣の宰相と顔を見合わせる。
宰相も、訳の分からない困惑顔だ。
まあ、今までこの世に似たようなものさえなかったのだから、無理はない。
筆記板で不自由がないのなら、わざわざ手間をかけてその代用品を作る必要など感じないといったところだろう。
ヴァルターが一歩踏み出して、そちらに話しかけた。
「殿下、ご想像ください」
「ん、何だ」
「今まで木の筆記板が使われていた場面が、すべてあの薄い紙に置き換わったところを、です」
「ん?」
「私もしょっちゅう、記録のために筆記板を持ち歩いているわけですが。あの重みのあるものが、こんな薄くて軽いものに置き換わるのです。あるいは、板と同じ程度のかさばりでこれを持ち歩くなら、今までの何倍もの量の記録ができるのです。執務室などでも、ちょっと何かの覚え書きをしたくなったとき、気楽に一枚を手に取って書くことができるのです」
「うーん……」
「別な観点で、図書室などに保管されている木の板の本が、すべてこの紙製のものに置き換わったと想像してみてください」
「……保管できる本の量が、何倍にもなる?」
「そうです。今は生産量が少なくて価格もつけられませんが、大量生産をすることができて、木の板とそれほど違いのない価格で流通するようになったら、どうなると思います? 誰ももう筆記板など使わなくなりますよ」
「……なるほど、な」
「なんと、それは……」
目を丸くして、王太子は宰相と驚愕の視線を交わしていた。
そこへ、僕は言い足した。
「もうひとつ。はとびんでおくれるじょうほうりょうが、ごばいになる」
「何だって?」
二人の目が、ますます大きく見開かれた。
一応概算だが、計算上そういうことになるのだ。
僕が実際の鳩便用の鳥を見せてもらったのは、ごく最近になってからだった。
『記憶』の世界の鳩よりはかなり大きめだ、という情報があったが、それはどうでもいい。
とにかく現実として、一羽の鳩で運べるのは木の皮で二枚が限界とされている。
そこを重さで比較すると、同じ大きさの紙なら十枚まで可能ということになるのだ。
木の皮に比べて丸めたり折りたたんだりもしやすいので、かさばりの点でもほぼ支障はないと思われる。
そして、現在唯一とも言えるこの遠隔地への高速情報伝達の方法の上で、通信量が五倍になるというのは計り知れない進歩だ。
普段の政治の上でも、経済的にも、軍事的にも、これを使えるかどうかは想像もつかない差を生むことになる。
為政者にとって、それがどれほどの意味を持つか、想像できないはずがない。
「分かりますか? このルートルフ様の発明品、歴史を変えると言っても大げさではないと思われます」
「確かに……」
ヴァルターの言葉に、宰相はごくりと固唾を飲み込んだ。
壁際の子どもたちや侍女たちも、ぽかんと目と口を開いてしまっていた。自分たちの続けてきた作業がそれほど大きな意味を持っているとは、想像もしていなかったのだ。
その一枚を指に摘まんだまま、ゲーオルクも呆然と硬直している。
そういった周囲の様子に構わず、ヴァルターは続けた。
「しかも、ですよ。さらに重要な点があります。この点は筆記板もそれほど変わりませんが、紙というものは、言わば消耗品なんです」
「消耗品……」
「はい。例えば荷車なら、一度買ったらしばらく同じものをそのまま使い続けることになりますね。しかし、紙はそうではありません。一度文字を書いたら保管するか捨てるか、とにかく同じものを再使用というわけにはいかないのです。つまり、これを使い始めて手放せなくなれば、人はそれを購入し続けるしかならなくなるわけです。これが我が国でしか生産できなくて、他国の者たちに使い慣れさせれば、ほぼ永久的に売り続けることができるわけです。何処の国も決して、我が国からの輸入を止めるなどということができなくなります」
「なる、ほど……」
かくりと音がしそうな仕草で、王太子は頷いた。
呆然とした様子のままゲーオルクに近づき、その手の紙一枚を受けとる。
両手で目の高さに掲げて、まじまじと見つめている。
「こんな薄っぺらなものが、それほどの意味を持つ……」
「もじ、かいてみて」
僕が声をかけると、気を利かせたヴァルターが近くの机からペンとインクを運んできた。
妙に緊張した仕草で、王太子はペンを動かす。
白紙の中央に『アルノルト』の文字が書き入れられた。
「思った以上に書きやすいな」
「せんようのいんく、つくらせた」
「そうなのか」
インクの製法を数種類アイスラー商会に持ち込んで研究させたところ、滲みが少なく従来品より安価に作れるものが見つかったのだ。
「なるほど、これなら使える。羊皮紙が使われている堅苦しい用途は何とも言えないが、価格的に手が届くなら筆記板に取って代わることは十分に考えられる」
「ん」
「これは木から作られると言ったな、ルートルフ?」
「ん。きのえだをにて、せんいほぐして、みずにさらして、あるえきをくわえて、せんようのどうぐでうすくあつめて、ひろげてかわかす」
「う……む。すぐには理解できないが、とにかくとんでもない技術が必要なわけではないのだな」
「このこたちで、できる」
「そうだったな。子どもたちだけで、二週間足らずでここまでできるようになったわけだ。実際紙を作るのに、正味どれだけ時間がかかるんだ?」
「さいしょからだと、みっかくらい」
「原料の木は?」
「しろしまの、きのえだ」
「シロシマ? 木工によく使われているのだったか?」
王太子が訊ねると、ヴァルターは頷きを返した。
「はい、板にしたものは家具など木工製品によく使われています。この紙の原料にしたのはその枝で、こちらは用途は少なく、家庭の薪などに使われているものです」
「つまり、手に入りやすいわけか」
「はい。薪は他の木材でもいいですから、木工場などで余った枝をすべて紙の原料に回すことができます。我が国全土にある木ですから、何処でも使えることになります」
「つまり、全国何処でも紙は作れる?」
質問の先が、僕に戻る。
それに、僕は即座に頷いた。
「きれいなみずがあれば、どこでも」
「全国に広める意味はありそうだな。さっきの話でいけば、国の内外でこれが使われるようになれば、極言すれば作れば作っただけ売れる。早急に生産体制を大きく確立すべきだろう」
「ん」
「なるほど」
我が意を得た、とばかりに、王太子は大きく頷く。
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