第61話 赤ん坊、謝罪を受ける

 翌日は本当に、朝からだらだらと過ごすことにした。

 朝食の後では侍女や護衛にも「好きなことしていて」と告げて、僕は居間の床でザムといちゃいちゃ転がる。

 こちらに呆れたような目を向けながら、みんな柔順に寛ぐことにしたようだ。

 といってもやはりすることは、侍女たちは字の練習、テティスは武器や防具の手入れ、だ。

 そんな時間を数刻過ごした頃、戸口におとなうものがあった。

 テティスが応対したところ、女官長の訪問だという。

 僕はテーブル前に座り、ザムはその脇に紐でつないで、応対することにした。

 用件は、改めて先日来の件についての謝罪ということらしい。


「王太子殿下からも叱責を受けました。伏してお詫びをした上、進退伺いを申し出たところです」

「ん。でも、じにんまではのぞまない」

「殿下からも、そのようなお言葉をいただきました。この上は、くれぐれもルートルフ様にご不自由のないように努めますので、お願い申し上げます」

「ん」

「その上で、愚考いたしますのですが。やはりルートルフ様には、もっと使用人が必要なのではないかと」

「それは、いい」

「そう仰られるかとは思ったのですが。実はよく調べますと、字の達者な者がおりまして」

「そうなの?」

「ただ、心苦しいのですが、あまり身体が丈夫ではなく、日常の業務にご満足いただけるかは……」

「あ」


 女官長の言葉を聞いて、ナディーネが小さく声を上げた。

 心当たりがあるらしい、ということで、問いかける。


「なでぃね。しってるの」

「あ、はい。その――メヒティルト、ですよね?」

「そうです」


 女官長に確認して、ナディーネは数度頷いた。

 隣のカティンカとも頷き合ってから、続ける。


「確かに、そうでした。とても字が上手な子です。ただ本当に、わたしと同い年なんですけど、もっと小柄で、あまり力とかないので、仕事ではそれほど評価されていなくて」

「いっしょにしごと、できる?」

「はい、得意不得意を分け合えば。掃除なんかは、一通りできるはずです」

「ふうん。じゃ、にょかんちょ、そのこにもじ、かかせて、みせて」

「かしこまりました。直ちに、お持ちします」


 一礼して、女官長は出ていった。

 残った侍女たちに、僕はもう一度確認した。


「ほんとに、いっしょにしごと、だいじょぶ? それ、たいせつ」

「大丈夫です」

「性格はいい子ですから」

「しかし、身体が丈夫でなく、力が弱い、か」テティスが首を捻った。「もしかすると女官室側では、厄介払いしたい意図があるのでは?」

「かも。でも、じがうまくて、いっしょにしごとできるなら、こちらはかんげい」


 ナディーネたちにさらにくわしく話を聞くと。

 メヒティルトという子は、ナディーネと同じ十一歳。王都の商家の生まれで、幼い頃から読み書きは習っていたらしい。

 その一方で、体力がない。病弱というわけではないが、疲れやすいし、実際に腕力脚力などが人より劣る。

 現在は洗濯係をしているが、洗濯物を絞るのにも量を運ぶのにも拙く、半人前の評価しか得られない、ということだ。

 僕としては、そのような観点はどうでもいい。ナディーネ、カティンカとうまく協力して、極端に言えば三人で一人前の仕事をしてもらえれば、十分だ。そもそも以前は、ナディーネ一人で僕の世話と部屋の管理をしていたわけだし。

 それよりも重要なのは、字の綺麗さだ。

 結局この点だけが採否の目安になるわけで、そのため本人に会う前に文字を見ることにした。

 もし顔を合わせた後でふつうにはあり得ない基準で不採用、ということになったら、本人が気の毒すぎると思うのだ。

 ナディーネやカティンカもその点はすぐ理解したようで、反対意見を入れることはなかった。


 ややあって、女官長が筆記板を携えて戻ってきた。

 検分した文字は、確かに十分な綺麗さだった。

 ヴァルターに指導を受けたナディーネの文字が何処か中性的な印象なのに比べて、かなり女性的な丁寧さに見える。これで一冊分の本を書写したら、ずいぶん柔らかな見た目のものができそうだ。


「うん、ごうかく」

「そうですか。安堵いたしました」


 僕の返事を聞いて、ようやく女官長は表情を緩めた。

 早速本人に荷物をまとめさせて、こちらに移動させることにする。

 ただ、使用人の部屋には今、二段ベッドが一つしかないので、もう一台運搬してくる必要がある。ナディーネが部屋を片づけて、カティンカは台車を持参して一段のベッドを運ぶことになった。

 さらに女官長には、三人分の書き物テーブルと椅子を揃えてくれるように依頼した。

 さすがにベッドは丸ごと台車に乗らないので、若い侍女が一人台車を引き、はみ出した半分をカティンカが支える格好で、運んできた。

 後ろから、おどおどした様子で小柄な、赤茶のお下げ髪の少女がついてくる。これが、メヒティルトだった。

 ベッドの搬入を終え、荷物を片づけて、挨拶のために僕の前に立った。


「しごとのくわしいようりょうは、なでぃねにきいて。ふつうとちがうのは、ひるま、しつむしつでもしごとしてもらう」

「はい」

「そっちでは、おうたいしでんかや、ほかのきぞくにもあうので、そのつもりでいて」


 執務室勤務自体は女官長に認可を得ていたので、問題ない。

 ただ見たところカティンカ以上に神経が細い印象も受けるので、予告なく王太子に会わせたら大ごとになるかもしれない、という危惧だった。

 しかし、


「わあ、王太子殿下にお目にかかれるんですか?」

「だいじょぶ?」

「は、はい、粗相のないよう、気を失わないよう、努めたい、思います、です」

「がんばって」


 返答は何処まで信用していいか心許ないところだけど、その場で卒倒しそうになっていたカティンカより何となく大丈夫そうな感じも受けていた。

 その後は、ナディーネとカティンカが部屋の中を案内して回るうち、午になった。


 午後からは予定していた通り、テティスとザムを連れて散歩に出る。

 侍女三人には、十分打ち合わせをしておくように指示を残した。

 こちらも予定通り、扉外には二人の護衛が待っていた。

 外は、いつもの作業を休みにしているのがもったいなく思えるほどの、快晴だ。

 すっかり片づいている作業場を抜け、小屋の裏に進む。少し離れて僕が用意させた畑、その奥が芝生、さらに奥が花壇、裏の森へと続いている。


「このオオカミの運動ということですが、この辺りでさせるのですか」

「いや、あちらの森の中なら放してもいいと許可をもらっている」


 シャームエルの問いに、テティスが応える。

 僕はザムの背から、畑の脇に降りた。

 ディーターに森の入口までザムを引いていってもらい、そこで紐を外させた。待ってましたという勢いで、白銀のオオカミは木立の中に駆け込んでいく。

 しかし、三十も数えないうちに戻ってきて、ザムは茂みからぬっと顔を出した。僕の方を一瞥すると、またすぐに踵を返して駆け出していく。

 つまり、身体がなまらない程度の運動はするが、できるだけ僕から目を離さない、というつもりらしい。

 ディーターにはそのまま立たせて、森の方とこちらを等分に見張らせることにする。

 シャームエルには小屋の脇で裏門からの出入りに備えさせる。

 当然テティスはすぐ傍にいるが、しばらく僕は自力で地面を歩き回ることにした。


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