第49話 赤ん坊、勉強させる 1

 夕方遅くなって、ヴァルターと三班の二人が帰ってきた。

 二人の話では、先輩にコツを聞いたのと、ヴァルターに新しい彫り刀を注文してもらったのとで、何とか次の課題もこなせそうだという。

 新しい道具は、二日後には届くそうだ。


「それと、この木の枝はどうします?」


 頼んだシロシマの枝を、三人で分担して抱えてきていた。

 僕は、年少の男の子の顔を見た。


「いーあん、いまかかえてるえだもってって、こやから、えふれむ、よんできて」

「はい、分かりました」


 小枝を抱えたまま、元気よく駆け出していく。

 ヴァルターとウィラの抱えた分は、その場に置いておく。

 さっきですっかり仲よくなったらしいカティンカは、しきりとウィラに板の彫り方を訊ねている。

「こういうところに先に刃を入れておくといいんだって」「新しい刀だと、こういうところまで彫れるようになるの」と、ウィラも楽しそうに説明していた。

 呼ばれてきたエフレムは、張り切って残った枝を運んでいった。

 隣を見ると、ヴァルターは空を仰いで顔を曇らせていた。


「どした?」

「この雲行きだと、明日は天気が悪くなるんじゃないですかね」

「そなの?」

「雨が降るようだと、全員小屋の中で作業、ですか」

「ん。そのよてい」

「荷車が二台になっているので、少し狭いかもしれませんね。二班の作業中のものも、あるんでしょう?」

「んーー」


 そこは別途考えるということで、執務室に戻ることにした。


 翌日、朝七刻に合わせて、全員で裏門へ出ていく。

 ヴァルターの予想通り、外には小雨が降り出していて、子どもたちは小屋の中に集まっていた。

 こちらはそこそこの荷物の運搬のため、ナディーネが押す赤ん坊車に半分乗せ、残りをヴァルターとカティンカで抱えている。

 裏口から出て、作業小屋まで駆け足の移動になった。

 僕は頭巾を被せられたけど、他の人は雨具もなく、頭が濡れてしまう状態だ。

 小屋に駆け込んで、僕は宣言した。


「きょうは、いつものさぎょうは、やすみにします」

「え、そうなんですか?」


 荷車製作作業の場所確保に頭を悩ませていたらしいホルストが、困惑の声を返した。

 作業は当然、先を急ぎたい。

 とは言え、偶然ではあるけどこの日はちょうど区切りがいいのだ。

 第一班の作業は、肝心の部分が鉄工職人との相談待ちになっている。

 第三班の課題練習も、続きは明日入手する新しい彫り刀を待った方がいい。

 第二班は、手順を戻して新たな素材で最初からやり直す試みはいくらでもできるとはいえ、元から進めてきた製作途中のものは少し時間を置いた方がいい段階だ。

 ということで。


「作業休んで、何するんですか?」

「べんきょう」

「勉強?」


 ほとんどの子どもが、嫌な顔になる。

 まあ、当然の反応だろう。


「何の勉強?」

「じと、けいさん」

「ええーー?」

「きみたちに、ひつよう。これもしょうらいにむけて、しごとのうち」

「そうなの?」

「ほるすとと、いるじー、せっけいずや、しようしょ、よみかきできたほうがいい」

「ああ……」

「そうですね」

「にはんのよにん、さぎょうのきろく、しょうらいひとにおしえる、ひつよう」

「そう、なんですか」

「さんはんのふたり、わかるでしょ?」

「はい」

「はい」


 ウィラとイーアンは、こくこくと頷く。

 ここまでの課題の中で、必要を実感しているのだ。


「そんなのべつにしても、みんな、じとけいさんできたら、おとなになって、ゆうり」

「ああ……」


 半信半疑の顔で、みんな頷く。

 頭では分かっている、しかし難しい勉強は嫌、という表情だ。


「きょうのぶんは、むずかしくない。がんばって」

「はい……」


 渋々という感じで、みんな席に着いている。

 二班の作業のために、机としても使える台が全員分間に合うだけ用意されているのだ。

 その仲間たちに、イルジーが振り向いて語りかけた。


「みんな、これ、俺たちにとってすごいありがたいことなんだぞ。職人や商人の子どもなんか、字や計算教えてもらうのに、高い金払って先生を呼ばなくちゃならないんだから」

「そうなの?」

「ああ。俺、そんな勉強してるのこっそり覗いてて、摘まみ出されたことある」

「ああ……」

「それを、日当もらいながら勉強できるんだ。こんなありがたい機会、もうあり得ないぞ」


 聞くと、イルジーがいつの間にか何処かで少し字の読み方を覚えてきた、ずいぶん苦労した、というのはみんな知っていたようだ。

 少し納得したらしい子どもたちに、ナディーネとカティンカが石盤を配る。

 昨日、執務棟に余った石盤がないかヴァルターに探してもらうと、思いがけない数が見つかったのだ。

 業務用のものだが、どうも貴族たちは少し台にひびが入ったとか塗装がはげたとか、見かけが悪くなったものはすぐ捨ててしまうらしい。

 廃棄用に積まれていたのが相当数あったので、これ幸いともらい受けることにした。台の辺りに欠損はあっても、どれも肝心の盤の部分に問題はないのだ。

 さらに、基礎文字表の板を配る。

 ヴァルターが書いた手本に加えて、ナディーネが真似して書いたものも十分使用に堪えるようになっていて、四組用意できた。これを、二人で一組見ることができるように机に置く。


「それじゃ、はじめる。せんせいは、なでぃね」

「え、ええ?」

「かてんかは、せいと」

「ちょ、ちょ――ルートルフ様、聞いてませんよ!」


 慌てて、ナディーネは両手をばたばたし始める。


――うん、言ってない。


 カティンカは、早々とウィラの隣に座り込んでいる。

 わたわたのナディーネに、横からヴァルターが肩を叩いた。


「基礎文字表の読み方を教えて、書く練習をさせるだけです。人に教えるのは、自分の理解に役立ちますよ」

「うう……」


 主と師匠に命じられて、逆らうこともできない。

 半泣き顔で、ナディーネはみんなの前に立った。


「それでは、文字表の一枚目を見てください。一つずつ読みを言いますから、みんなも声に出して続いてください」

「はい!」


 一斉に、いいお返事が響き渡る。

 先生の声はやや震え気味ながら、読み上げの練習が始まった。

 一文字ずつ読み、それから一行続けて読み。

 そんな単調なくり返しですぐに飽きが来ても不思議はないが、皆けっこう真剣に取り組んでいる。

 一枚それを終わった後、一人ずつ指名して、読み上げさせる。

 これを二刻近く行って、小休憩。

 休憩後、二枚目の文字表に移る。

 同じくり返しで、また二刻近く。

 覚える工夫も何もあったものではないが、せいぜい文字数八十程度と数字十個なので、これでだいたい一通り読むことはできるようになるのだ。

 そもそも、他と比較してはいけないのは重々承知だけど、僕などベティーナのお遊びの読み上げで、二刻かからずにすべて覚えられたほどだ。

 しかもこの世界の文書は、これでほとんど読むことができるようになる。

 何故もっと文字教育を広めないのか。ヴァルターの話ではこの国の識字率は四割弱くらいだというが、理解に苦しむ。


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