第44話 赤ん坊、生活を整える

 おそらく最初の指示が「男爵の次男で賢い赤ん坊を後宮に入れる。準備せよ」という程度の情報量だったのだろう。

 それが女官長へ伝わった時点で、「男爵の次男」「賢い赤ん坊」に合わせて、自分たちに都合よく解釈した扱いが検討される。つまりは「低級貴族の出」で「手がかからない」ということなのだから、熟練した侍女などの必要はないだろう、という方向で。不満を他に伝えられないはずの赤ん坊に対して、多少の手抜きは構わないだろう、という感覚だ。

 それでもそれだけなら、最低限外から見ておかしくない扱いになったと思われる。少なくともそれ以上、女官長たちが積極的に僕に不利益な状況を作り出す動機はないだろう。一歩まちがえば、自分たちの不手際を責められかねないわけだし。

 カティンカのような奥で持て余し気味の働き手はいたわけだから、そのような頭数合わせの侍女を数名用意するのは、難しくもなかっただろう。盥のような赤ん坊用品なども使い道なく持て余されていたのだろうから、別に用意するのに不都合もなかったと思われる。

 しかしそこに、何処からかやんごとなき方の干渉が入る。

 動機は、おおよそ二点か。

・男爵次男風情に予算や人手を回して、自分たちの方を減らされるのは、まっぴら。

・後宮の現状や、王位継承絡みの状況に、変化を加えたくない。

 これにより「もの言えぬ赤ん坊の居心地を悪くして、さっさと出ていくように誘導せよ」という意向が加わったのではないか。


「ごえいをつけないとか、きょうのなでぃねのしつむしつきんしとか、としかさのほうの、はっそう」

「なるほど、そうですね」

「それでもそれも、もうなくなる、おもう。これも、おうたいしでんかに、でてこさせたくないはず」

「それでも、なくなるでしょうか。それだけが心配です」

「もともと、いやがらせていどなんだから」

「その点、言い切れるでしょうか」

「ん。でなきゃ、こないだのばしゃ、もっとひどいことできる。ほんとうにつきおとすとか、もりにいってからきけんなとこつれていくとか」

「ああ」

「そんな、怖いこと……」


 テーブルで、ナディーネが身を震わせている。


「なかったんだから、いい。おかげで、ぼくは、こじたちとしりあえて、おおだすかり」

「だそうですね」


 テティスは、苦笑いになっていた。


「まあそれで、少し安心しました。後宮の中で必要以上に警戒しなければならないのは、精神的にきついですから。まあ、油断もできないでしょうけど」

「だね」


 それにしても。石盤を前にしたカティンカは、さっきからぽかんと口を開けて、こちらを見ている。

 僕のここまで細かい会話と、テーブルに四つん這いの筆記姿に初めて接して、この世の常識を丸ごと覆されたといわんばかりの放心ぶりだ。

 テティスもそれに気づいたようで、苦笑いを深めている。


「それに、女官長にルートルフ様の実態を知られてしまいましたね」

「それも、しかたない」

「まあ本来は、ここに入られた最初から、知られていても不思議なかったはずなんですよね」

「ん」

「ああ、この機会に確認しておきたいのですが。現状ルートルフ様の実態を知るのは、我々やあの女官長たちの他、王宮の上層部の一部、作業をしている孤児八名、ということでよいのですか」

「あと、おえらがたいがいでは、うらもんもんばん、りょうりばんみならい」

「逆に、商会会長や工房の親方などには、知られないようにしているとか」

「ん」

「で、知っている者には口外を禁じている、ということでいいんですね」

「ん」


 頷いて、テティスは侍女たちを見た。

 真剣さが伝わったようで、二人とも顔が強ばっている。


「聞いた通りで、二人とも肝に銘じてもらいたい。ルートルフ様の実態については、要するに極秘扱いだ」

「はい」

「はい」

「これは本当に、誇張抜きで重大事項だ。これが外に知られたら、ルートルフ様の誘拐、殺害の危険性は計り知れないことになる。先日の馬車の件、もしそれが目的だったら、今ルートルフ様はここにいらっしゃらない。外に放置された瞬間から、ルートルフ様は何の抵抗も逃走も手段を持たないのだ」

「あ……」

「は……」

「ルートルフ様の価値は、我々の想像を超えている。農業に関われば、作物の価値を一変させる。今は工業に手をつけているが、瞬く間に新しい発明がいくつも出てきているようだ。軍事にも活かせる発想をお持ちだ。知られたら、誰もが欲しがる。他国に連れ去られるかもしれない。この国においておけば自国に不利と思われれば、命が狙われるかもしれない。実際に、これまでベルシュマン男爵領で二度にわたり誘拐の憂き目に遭っている」

「ひ……」

「へ……」

「二度とも、わたしの失態が絡んでのことだったのでな。わたしは、二度とこれをくり返さず、命を賭けてルートルフ様を護る決意だ。二人には、そのつもりで協力してもらいたい」

「はい、わたしも身命を賭して、お護りいたします」

「わ、わたしも……」

「そうそう、とさなくて、いい」

「うむ。二人は、そこまで自らを危険にさらすつもりにならずともよい。むしろ、ルートルフ様とともに自分を危険に寄せないことを、第一に考えてもらいたい。具体的にはとにかく、どんな場合もわたしから離れない、ということを常に意識してほしい。わたしは、たとえそれが王太子殿下の命であっても、ルートルフ様の傍を離れない。そのつもりでいてくれ」

「はい」

「はい」


 冷静に考えればかなりぶっ飛んだ宣言なんだけど。

 侍女二人は、真顔で頷いている。

 テティスからの話は終わったが、その高揚感を受け継いだとばかりに、替わってナディーネが二人に自分のことを話し始める。

 自分の村と両親が、ルートルフ様に救われた。村の者たちは神のように崇めている。自分は一生をかけてこの恩に報いるつもりだ。

 テティスはうんうんと頷き、カティンカまで熱病が伝染うつったような興奮の顔になっている。

 その勢いで、カティンカも続けた。

 生まれてこの方ずっと、自分は役立たずとばかり言われてきた。

 信じられない幸運でここに勤めることができたが、やはり周りに役立たず扱いしかされない。

 自分の長所を認めて一緒に仕事をしてくれたのは、ナディーネ一人だ。

 絵の才能を認めて仕事に役立ててくれると言ってくれたのは、ルートルフ様が初めてだ。

 ここ以外、自分の生きる場所はない。死に物狂いで、ルートルフ様の役に立ちたい。


 聞かないようにしていても聞こえてきて、背中がむずがゆくなりそうな話ばかりが続いていく。

 その前に「みんな、すきなことをして」と言った手前、話をやめろとも言えない。


――新手の拷問かい。


 しくしく泣きたい気分で、僕は書きものを続ける。


 その夜の活動は、いちいち侍女二人の協力分担を確かめながら進んだ。

 そのために異例ながら連日の入浴をしようということになり、二人で湯の運搬をする。

 本当にカティンカは力持ちなようで、大人用の浴槽を満たすのに、四往復で済んだということだ。

 僕の入浴はカティンカが担当して、また前日のナディーネと同じく、おっかなびっくり「これでよろしいですか?」「痛くないですか?」の確認が続いた。今度こそ、次回からマシになることを切望したい。


 いつもと比べると疲労は少なく、僕は久しぶりに暗くなるのに合わせた就寝をすることした。

 その前に、テティスの寝る場所について、ナディーネが心配している。


「毎日寝袋では、体を壊すと思います」

「大丈夫だ。とにかく、この場所は譲れない」

「じゃあここに、かんいべっど、もってきたら?」


 僕が口を入れると、テティスは目を丸くした。

 え、いや、と周囲を見回している。


「いえ、この立派な部屋に、簡易ベッドの見た目は合わないと思います」

「だれもみない。おきゃく、こない」

「しかし」

「キルトのカバーがあるので、ふだんはそれを掛けておけばいいんじゃないですか」


 ナディーネの提案で、何とかテティスも納得した。

 簡易ベッドなので、テティスとカティンカでかなり楽に運ぶことはできる。ただ毎日出し入れは、さすがに煩雑だ。とりあえず、来客の予定が入ったらすぐ片づけることはできるだろう。

 カバーを掛けておくと、ひとまずのところ、貧素な見た目を隠すことはできる。もっとも、綺麗な模様だとはいえ、部屋の豪奢さの中でかなり浮いた外観になるけど。

 何にせよ本当に、我々が気にしなければそれでいいのだ。


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