第37話 赤ん坊、護衛と会う

 ひと目見て、僕は目を瞠っていた。

 革の防具を身につけたその人物を横に立たせて、ヴァルターが紹介する。


「ルートルフ様、こちら、新しく配属された、護衛職で――」

「テティスと申します。よろしくお願いします」


――はい?


 思いがけず見知り顔を前にして、一瞬僕の頭は白く染まっていた。


「あの、ててすさん?」

「はい」

「べるしゅまんけの、ほうは?」

「一昨日、退職させていただきました。こちらの募集を拝見して、即決で」

「はあ」

「主筋、使用人一同、皆祝福して送り出してくださいました。幸い、護衛も他の使用人も増員の募集をかけているところなので、代わりはすぐに見つかるはずです」

「そ」

「ただ一名、最年少の侍女だけには、泣きすがられましたが」

「は」

「『テティスさんずるい、わたしもルート様のところへ行きたい』と」


――わあ。


 ほとんど、その光景が目に浮かぶような。


「ベティーナの分もこの身を賭して、ルートルフ様をお守りする、と何度も約束させられました」

「……そうそう、とさなくて、いい」

「そうは参りません。ベティーナだけでなく、使用人一同の思いを背負ってここにおります」

「……かんべんして」


――何故に今日は、こんなに熱血話が続くんだ?


「えーと」ようやくという様子で、ヴァルターが口を入れた。「つまりテティス殿は、ルートルフ様のお知り合い、ご実家にお勤めだったと」

「そういうことになります」

「王太子殿下のご意向で、緊急に王都内に女性護衛職の募集をかけて、予想以上に大勢の応募があったと聞いています。その中でも昨日最終選考の武道戦で、圧倒的な差で勝ち抜いたということです」

「それほどでも」

「中には、テティス殿の名を聞いただけで、その場で辞退を申し出た応募者も相当数いたとか」


――騎士団予備隊時に、男に混じって剣技の大会で準優勝だったらしいからなあ。


「いえ、それでも昨日の決勝の相手は、以前予備隊時に互角近い戦績だった者で、苦戦しました」

「そうなのですか」

「幸い、鍔迫り合いの中で相手が突然むせ出すという予想外のことがあって、勝ちを得ることができました」


――わお。


「そうなのですか。幸運を招くのも実力のうち、と言われますね」

「恐縮です」


 相手をむせさせる技、『水』の量を加減して相手や周囲に疑われることのないまで、突き詰めたらしい。

 元々卑怯呼ばわりされかねない行為を極端に嫌う性格だったはずだけど、今回は手段を選ばなかったということのようだ。

 ちら、と僕を見て、どこか苦笑のような表情になっている。


「それではまあ、ルートルフ様について細かに説明する手間が省けて、たいへん助かります。この後すぐに移動の予定がありますので、詳しい話はその後にしましょう。ナディーネ嬢には留守番をしてもらいますが、テティス殿にはその移動にも同行してもらうことになります。基本的に今後、テティス殿には終日ルートルフ様のお側を離れず警護してもらう、ということですね」

「心得ています」

「では、ルートルフ様にはお昼食を続けていただいて、私も失礼して食事にしますね。テティス殿はお昼は?」

「済ませていますので。今この瞬間から、警護の任に当たります」

「お願いします」


 ということで、食事の続き。

 僕の傍に待機するナディーネは皆が出かけてから食事にするつもりのようで、そのまま直立している。

 ただ、ちらり横目で見ると、真っ直ぐテティスに向けた目が、どこか輝きを湛えているようだ。

 僕を挟んで逆の側、机の脇に立ち番の姿勢をとったテティスがそちらに視線を返し、それを受けてナディーネがわずかに動揺を見せた、ような。

 フォークを動かしながら、ヴァルターが慌て気味に声をかけてきた。


「ああ、ごめんなさい。少し想定外があって、紹介を忘れましたね。テティス殿、こちらは後宮の侍女のナディーネ。異例の形ですがこの部屋でもルートルフ様のお世話とその他執務をすることになっていますので、今後お二人はほぼ一日中顔を合わせることになりますね」

「そうですか」

「ナディーネです、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく」

「テティスさん、すごいです。とてもお強くて、ルートルフ様に忠誠を捧げているわけですね」

「まあ……そういうことになる」

「とても、心強いです」


 ナディーネの瞳のキラキラが、少し理解された。

 自分と同等かそれ以上の忠義の徒を見つけて、共感あるいは尊敬の念を抱いた、つまりそういうことのようだ。

 何か意味不明に『記憶』がざわつく感覚があったが、気にしないことにする。


 食後少し休んでから、部屋を出た。

 僕を乗せた赤ん坊車をヴァルターが押し、護衛のテティスは脇につく。


「これから、何処へ行くのですか」

「はい、毎週空の日のこの時間は、宰相閣下とベルシュマン子爵に一週間の活動報告をすることになっています」

「なるほど、そういうのがあるのでしたね」


 子爵邸でも先週の面会の結果が話題に出ることがあったのだろう。テティスは、納得の顔で頷いている。

 その横顔を見て、ヴァルターはわずかに笑いを浮かべた。


「テティス殿、私に対してそれほど丁寧な口調は必要ありませんよ。身分や職位に差があるわけではないし、貴方の方が年上ですし。私はふだんからこの話し方が多いのですが、そちらは違うのでしょう? 護衛職はもしもの緊急時の場合も考えて、簡潔な話し方を基本とすると聞いています」

「それは確かに、そうだが。いいのか?」

「はい。ルートルフ様がご不快に思うということでないのなら」

「それで、いい」

「では、そうさせてもらう」

「私も今後、ナディーネとはあの部屋でやや上下ふうになるので、少し口調を砕けようと思います」

「それが、いい」


 そんな会話をしながら、隣の執務棟に入る。

 例によって、いくつかの扉前に警護が立っているのが見える。


「ああそうだ、ルートルフ様。通常執務室の警護はあのように戸口前に立つものですが、これもルートルフ様は特殊なので、テティス殿には室内の身近な箇所に立ってもらうことになっています」

「りょうかい」


 内か外か、いろいろ考慮する理由はあるのだろうけど、これもとりあえず納得できる。

 単純な話、もし賊が突然窓から飛び込んできたとして、ふつうの貴族なら自力で一太刀くらいは抵抗できるだろうが、僕ならまったく何もできないのだ。

 ヴァルターの話では、戸口外担当の警護も近いうち配属されるということだ。


 先週と同じ、父の執務室の扉を開くと。

 待ち構えていた父に、たちまち抱き上げられた。


「ルートルフ!」

「ちーうえ」

「待ちかねていたぞ。それに先日、たいへんな目にあったということではないか。街中で一人になってしまったと?」

「ん。まちがって、ばしゃからおちた」

「怪我はなかったのか。怖い思い、しなかったか」

「だいじょぶ」


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